質疑応答編その1~誰に何を言われても“譲れない”ことetc~


いや~、アッツいですなあ今夜も。蒸し暑い。汗だく。
さて、では昨日投稿した際にいただいた質問にこれから少しずつお応えしていこうかと思います。質問いただきありがとうございます。色々絡めて返答したいと思います。あまり深く考えてまとめた文章を書くと嘘っぽくなるので考えながら書きますので駄文散文になる恐れ特大。

あ、随時質問募集。

Q、これだけは、誰に何を言われても“譲れない”ことは?

A、わたくし、基本的に超めんどくさがりなので、だいたいのことを逆に譲ります。譲らないことでもめるくらいならあっさり手を引くことが大半です。だってめんどくさいねんもん。
過去15年くらい振り返ってみても、あまり怒り狂った記憶もなく。自分がこうだって思っている、俗にいう“信念”とかいうものでしょうか、その信念すらある日その信念よりも素敵な信念に出くわすと即座に今までの信念を捨てれる人間だと自負すらあります。

なんでしょうね。
譲れないもの。あるかなあ?

『それだけは死んでも譲れん!!』なんてセリフ、自分の口から飛んでったこと、あるかなあ?

そんなに大事なものをまだ手にしたことないのかな。僕はまだまだ、ふあふあした存在なのかもしれません。

これから先、うーん。
わたくしにとって大事な人を傷つける存在が現れたら、全力でこの世から排除するかもしれませんな。子供とか家族とか、友達とか。ですかね。
Q、60才までの自分の目標は?
特にありません。厳密にいうと、特に『定めて』ません。

ってか、今のこのみんなの家とかでやってることを対外的に外に向けて最近話す機会が増えてきたんやけど、その目的は?とか目標は?とか聞かれることも多くなってきていて。

なんとなく、個人的に思うところなんですが、目的・目標を聞いてこられる人は『賢い』人なんですね。僕がいつも通り適当に思いつくままにお話ししたことのうち、
◆話した内容の中でもれている情報を確認し
◆自分にとってのメリットデメリットを探り
◆現段階の最良の判断(一緒にやろう!とか、こいつただのアホやから付き合わん方がええな等)をする
を、頭の中でしてはるんじゃないかなあとか思ったり。それがいい悪いとかいってるんじゃなくて。わたくしのようにアホな人はなんかよくわからんけどそれおもろい!とりあえずやろー!みたいな感じがあっているんですかね。で、やってみて死ぬほど後悔する時があったりw

あまり、わたくし自身、目的・目標を定めないことが多いです。

一旦考慮はします。そしておぼろげながら、
◆このタイミングぐらいで
◆この状態がこうなっていて
◆こんなんなったらサイコーやな!
っていうイメージをします。つまり、ゴールをイメージしているんでしょうねわたくしは。

ゴール(目的・目標)を決めたら、あとは逆算してやるだけや!とかいう人いますよね。

わたくし、それ無理なんすよ・・・汗
性に合わないんでしょうね。もしくはわたくしは、世間一般の人から見ればダメな人間なんかもしれませんね。

理由はいくつかあって、
◆ゴールに向かうまでの途中経過がただただ苦しい日々のように感じる(マラソンで走ってる途中のようなイメージ)
◆最終的にゴールした際、定めていたゴールに届かなかった場合にそれまで費やした時間と労力がただただ無駄に終わったように感じる
◆定めていたゴールにゴールした時、もうすでに途中でゴールする価値を見失っていた時ただただブルーになる
◆定めたモノゴト以外のものに目をくれなくなってしまう(視野が狭まる)気がする etcetc

“如何に毎日楽しく充実した日々をおくれるか?”が、
今自分にとってはすごく重要で、
“イメージしたゴールに毎日一歩ずつ進んでいる感触があるかないか?”が重要なんです。

一日一日、何を考えていようが、等しく、すべからく、日は過ぎていくわけで、同じように日々が過ぎていくなら、毎日充実したと思えるように過ごすことの方がよっぽど価値があると思っているわけです。

『あー、毎日毎日、今日もサイコーやったなー、いつ死んでもええわー』

って日々を過ごしたいわけです。

最初にゴールをイメージするといいましたが、それは目的・目標として設定しそれに
“基づいて”
行動するのではなく、
“参考にする”
という感覚ですかね。

日々、本当に日々めまぐるしく色んなことが巻き起こるので、今はあまり固定した概念を手に持ち続けたくないのもあります。
うん、そんな感じ。

そもそも、“目的”と“目標”って、どういう意味でつかってるのか?っていうのは、なんか人によって違いますよね。ごっちゃの人もいるし。明確に使い分けてる人もあんまおらんし。
まあそれはいいとして、あ、でも、そのイメージはいつもどれくらい先までやってるのか?っていうと、いつもだいたいの目安にしているのは30年先です。
30年スパンというのは、この人間の人生において区切りがいい気がしていて。なんとなく。世代交代とかが行われるスパンですよね、30年ずつって。なんか。

で、今のイメージは、
まだ自分の家族もいないくせにあれなんですが、自分の子供には一切の資本は残さないつもりでいてまして、その代わり、サイコーの、サイコーに遊べる“環境”だけは残したいなあと思っていたりして。30年先になれば、子供は30歳。今の自分くらい。次の世代が今の自分と同じ年代になった時、どういう環境を用意しておくか。

今の一歩は、その先につながっているか?

そんなことを考えてます。

毎日。
・・・2秒間ずつくらい・・・