色んな当たり前を持ち込んでくることと、色んな当たり前を受け入れることの重要性


昨夜、村の人から一個お願いを受けた。

『写真のデータをプリントアウトしてほしいねん』

はいはい、お安いご用ですよということで、今日午前中にさくっとプリントアウトしにお伺い。

『井口君はいつからそういうことできるようになったん?』

ふっと聞かれた質問。

そういえばいつからやろう?考えてみると、社会人になって、会社で必要に迫られたので、覚えて、できるようになった。いつのまにやら。

いつのまにやら、当たり前にできるようになってた。
こういうもんが、人の役にたつことがあるんやなあと。僕らの年代からすればプリントアウトすることは当たり前かもしれない。
でも、当たり前じゃない人も世の中にはいる。

今回のは些細な話やけど、
都会から田舎にIターンしにくるとか、Uターンして戻ってくるとかって、
よそでしっかり色んな当たり前を身につけてくるって大事じゃないかなと。

そして、田舎にいる側は、
よそから持ち込まれてくる色んな当たり前を受け入れていくって重要じゃないかなと。

もう丹波にきて二年が経つ。
二年もいたら、すっかり丹波のおっさんになってきている感覚もあり。

うちの家には色んな人がたくさん来る。
色んな当たり前をもって。
それが実に楽しい。自分には考え方であったり、やり方だったりするから。

どっちも大事じゃないかなって思える。
今の立場やからかな。余計に。

なんでもかんでも受け入れるわけにもいかない。それもそう。
かといって、お互いの当たり前を否定しあうのも違う。
なんでもかんでも認め合って融合すればいいってもんでもない。
融合しない方がいいこともある。

どっちもあっていいんじゃない?とりあえず。
っていう、どっちも存在していいっていう許容が、地域には大事だと、思っている。