期待


昼間、丹波市商工会のセミナーに参加。

今回は、以前リクルート主催のコクリ!で出会った、宮崎てげてげ通信の長友まさ美さんが講師。
コクリ!後、丹波市に遊びにきてくれた際、以前から商工会の話を聴いていて、今会員さん向けにIT関連(主にweb)を重点的にやってきて、HP自体を持つ事業者さんが増えてきたのはいいが、中身のコンテンツを詰める作業(要はブログ記事を書く等)がなかなかできないと。

じゃあ、せっかくなのでローカルメディアのプロが来てる事だしご紹介してみようということで引合わせてみたら、この日を迎えることになった。いやはや、世の中何が起こるかわかりませんね。

講師

話聞くだけかと思いきやって感じで、ゴリゴリのワークショップ笑

丹波ではなかなか馴染みがない人が多いやろうから、すごく新鮮でしたね。

いい場でした。まーちゃんありがとう。

急いで帰ってきて、夜はとある人とお話を。

その後、別の来客がきてダラダラしてる間に23時を過ぎ、慌てて柏原町の八幡神宮へ。

17日、18日は厄神祭。

深夜0時には、ライトを全部消して行われる青山祭壇の儀があるということで、ギリギリのところで到着。

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ライトが消えた瞬間、周囲の空気が明らかに変わった。これか、神様が降りてくる瞬間といわれてるやつは!

マイナス3度の気温のキーンとした空気感の中、厳かな雰囲気に。

貴重な場に、居させていただきました。

その後、家路につくまでに、色んなことが頭をよぎっていた。

ぶっちゃけ、僕はあまり人に期待しない。
期待しないようにしてる。もっというと、期待しなくなった。

それは、人間不信とかそんなネガティブな話じゃなくて、心の持ちようで、期待せずにいたら、期待通りやってくれたら嬉しさの度合いが増すのと、期待通りにやってくれなかったとしても全然凹みもしないし、最悪自分でやるしかないというある種のピリッとした緊張感を自分に持ち続けることが出来るのと、最悪の場合のリスクヘッジを検討せざるを得ないので大きな失敗をしなくなるのと。

期待する<期待しない

こっちの方がメリットが多いという結論にいたった。社会人になって、3年目が終わるまでに築き上げられた話。

期待しないということは、決して人を“信頼しない”ということじゃない。
信頼は大いにする。この人やったらっていう人であれば余計に。ただ、それでも最終、最悪の事態が目の前にきた際、嗚呼、残念だったなーまあしゃーないなーっていうくらいで次の日には忘れることができる。

これは、別に人に誇れるような話では決してないと思ってる。これは、ただの俺の処世術。
期待する人がいて、どんだけ期待しても応えてくれる人に囲まれて、大いに信頼し合って、なんでもかんでもうまいこといくぜ!ってなればそっちの方が素晴らしいと思うからだ。

信頼してた人が次々と去り、期待してた上司が次々と去り、これはどうしたらいいのか?なんてことを社内の誰に聞いてもわからない(誰もやったことがなかったことだから)、何が正しいのか社内の誰もわからない、調べようにも調べようがない。

“自分がやるしかない”

誰もわからないしやったことないし知らないし頼れないなら、自分の身を守るには自分がやるしかない。
守りたいものを守るには自分が守るしかない。そうやって生きてきてしまった。ここまで。

30歳を過ぎると、自分の限界値も残念ながら見えてきてしまう。
“人の可能性は無限大”とかもはや空言のように聴こえてくるようになってしまう。

今更160kmの剛速球が投げられるピッチャーには、もう残念ながらなれない。
100mを10秒切れるスプリンターには、もうなれそうもない。なる必要すら感じない。

たった一人、目の前の人を幸せにできなかった、助けることができなかった、手を差し伸べることができなかった、そんな事例も蓄積していく。

“世の為人の為”なんていう言葉も、だんだん空虚になっていく。年を重ねれば重ねるほど、詰みあがっていくものもあれば、失うものも増えていく。
見えていた夢が、理想が、だんだん遠ざかって見えなくもなっていく。年をとっていくということは、決してすべてがどこまでも右肩上がりにいくもんではないことを、30歳を過ぎて実感と共に湧いてきている。

目の前の現実と、でも衰えない気持ちと。
そんなジレンマに挟まれたりもする。

そんな流れの中、でもどうしても譲れないものも出来上がってきた。

“せめて、自分の手の届く範疇だけは、理想の世界を築きたいし、守りたい”

こういった、だんだん下火になっていく自分の限界との狭間から湧いてきた気持ちは、見方を変えるとこれは“保守的”であるともいえる。年齢とともに保守的になっていくなんていうことが、実感値として理解できるようにもなってしまった。

ただ、“守り方”は、人それぞれだと思っている。
単純に防御するだけか、防御の為の攻めに出るか。それは誰もが選べる。

俺は今は、“守るべきものを守るために攻めに出たい”。そういうところに立っている。

そして今、ちょうど、先述の生き方を変えるタイミングなんだろうなとも思ってる。期待しないとしてきたものを、期待していいんじゃないかなって。期待することがあってもいいんじゃないかなって。もう、俺には明らかにできないし、わからない範疇が色々と迫ってきた。

そんな、狭間。
あまり自分の人生がいいもんだとは決して思えないけど、いい人には巡り合えてる人生だなとは思える。

目の前の、手の届く範疇は、必ず守るよ。俺は。

そんなこんな、気持ちを新たにした夜でしたとさ。