理解と自由の狭間


梅シロップは冷凍したやつとしてないやつでどう違うのか?結果発表!

梅シロップ

左、冷凍梅。右、生梅。炭酸水で割りました。

結果。

冷凍してたやつは色はでてるけど、生梅の方が風味も味も香りも強くて旨いことが判明しました。やっぱり生に勝てるもんはないね。梅仕事はこれにていったん終了。あとは一年後の梅酒を待つのみ。

夕方県民局へ。狩猟免許更新の手続きについて書類もらいに。
結局一度もでなかった罠猟。次こそは狩猟にでるぞ、という意気込みでもってとりあえず更新だけはしておくことにしよう。

その後無鹿へ。
求人を出されるということで、何かお手伝いでもしましょかってことで訪問。ええ人見つかるといいですねえ。

夜は篠山市の磁枇絵へ。

GBA

相変わらずの美味さでございました。

“何を考えているのかよくわからない”と言われることが、これまでの人生の中で何回もあった。

そらそうやと思う。わかってもらいたいとは俺自身がこれっぽっちも思ってない、そもそも。

ただ、もっとよくなったらいいのにとは思っていて、そうなるようにと常に動いているつもり。

理解されるされないは、俺にとってはどうでもいい話なのだ。理解されて、どうなる?嬉しいとか?安心するとか?それで、何か変わるか?

今までの決して長いとは言えない人生の中で、そこに固執して何かいいことがいいように舞ってきたか?と問われれば、そんな現場目にした機会があまりにも少ないだけの話。そこに頑張る時間と労力があれば他にもっといいようになるところに使う。それだけの話。

ほったらかして、自由になって、その環境下で自分で選んでその結果を余すことなく受け止めて初めて、大きくいい方に変わっていく兆しを掴むことができると、俺は信じている。まだ、他にもっとええようにいく現場を目にしたことがないだけ。それだけの話。

誰にも揺るがされない自分の人生は、自分の自由な選択の積み重ねで初めて進み始めると、ずっと長らく信じている。他に信じるに足る事象に出くわしたことが、俺にはないだけ。

他のことは?知らん。
神様か預言者にでも聞いたらええんちゃうか。