肌感覚


午前中は丹波市春日町野村の婦木農場さんとのコラボイベント。

かねてから婦木農場で毎月二回開催されているまるカフェにて、よその地域からの人がたくさんきていて、移住の相談を受けることが結構あるっていうことで、じゃあ一緒にやってみましょうかということで実現。

向日葵

雨がぱらつく時間もあったけど、終始蒸し暑い気温の中無事開催。
よその地域おこし協力隊の人もきてたり。まあ、色々ありますわな、どこも。どこも環境と条件が違う。単純な横展開でうまいこといくわけない。その現場で頑張る人が踏ん張るしかないのだ、結局。

夕方は車のバッテリーを充電し、家の草引きをして、集落の集金常会に顔を出し、夜はとなる家族と家族同士の会食へ。

その人がどういう人か?ということを知る際に、自分の肌感覚を絶対的に信頼してる。
ここ数年、ずっと外したことがあまりなく、ああ、やっぱりねが続くから余計に、自分の肌感覚があってるんだなっていう信用までが積み重なってきて、どんどんぶれなくなってきてる。

最初にあまりいい印象じゃない人もいる、正直。
でも、自分の肌感覚だけが間違っていて、ああ、俺が間違ってたんだな、よかった、ってことになってほしいなーと思いながら、やっぱり最初の印象通りの展開になっていくもんで、なんだかなーという気持ちになる。

肌感覚的なところは、脳みそよりも判断が早く、自分でも何が基準なのかは即座にパッと脳みそで考えられた言語で言語化できないことが大半。なぜそういう印象をもったのか?思ったのか?に答えていけばいくほど、そうじゃない気がしてきて、どんどん嘘くさい回答になっていく。つまり、一旦肌で感じた感覚にぴったりあう言語がこの世にまだないからだと思う。言葉というのは実に万能じゃないとつくづく思う。こんなブログごときで脳みそを全部開示することができないことも、大学時代くらいからずっと書き続けているけど、1%も出せてないと思う。

肌感覚が崩れ始めるのはいつかな。