内なる理由と意義


最近、意図的にできるだけ昼飯と晩飯は家で食うようにしてる。
個人的に以前から理想とする田舎暮らしは何故だか、常に家族一緒にいることだった。もっと言えば、究極的に、家から一歩もでないのがいい。

朝っぱらから夜遅くまで家に居ないならその暮らしは街中でも事足りたから。“今ここ”の環境下にないものを求めていた。

まだ理想には遠いにせよ、この半年間で急速に満ちていって、ついこないだ、

『嗚呼、今、すごい満ちてる。もう、今でいいや』

っていう感覚がきた。なんとなく感覚的に前職を辞めた時の感覚に近いもの。もう別に、他に何もいらなくて、他の人で事足りてて自分としてはやることないし、いつ死んでもいいやっていう感覚。

世の中、自分がいないと成り立たないなんていう現場は、意外となかなか存在しない。
年々、幸せの底が浅くなっていく感覚がある。

こないだ頭を丸めたあたりから見た目も心底どうでもよくなっちゃって、また一つ欲しいと思うものがなくなりどうでもいいと思うものが増えた。このままいくとどこまでもどうでもよくなってしまいそう。もし今年金でも受給したら何もしなくなる人になりそう。

別に俺の人生には、今の所TDLもUSJも無用の産物で、この世にあろうがなかろうがどっちでもよくて。大型のショッピングモールに足を運べば、

『よくもまあこんだけ私の興味のないものを取り揃えましたねしかし』

という感覚になり。

家の中を見渡してもまだあれもこれも足りてないし、引っ越した当初から未だに片付いてない荷物もあるし、ダンボールに入ったまんまのやつもある。全てが全て、完璧にそろっていて、整っている訳じゃない。部屋も4つ使ってない。でも、足りてしまった。当初はあそこをこうしてああしてこんな感じで充実していってって、思ってたけど、失せてしまった。

もちろん、この今を継続していくのに、やっていかなきゃいけない事は多々あるし、やっていくんやけど、それにしても満ちた。
昔からこれといって成し遂げたい夢もなく、特にやりたいものもなく、ここまできた。でも、これといった後悔もない。多分、これからもそんなにない気がする。俺の人生には、別に夢も目標も目的も、そんな重要な要素ではないのだ。

仕事も、かねてから周囲には何でもいいのだと公言してる。およそ“やり方”には興味がない。“在り方”や“意義”、“価値”にはそれなりの執着がある。だから、関係者にはよく問うことがある。その仕事をやる価値はどこにあるのか?それを為すことで得られる意義は何か?と。そこに関心がある。

仕事が価値と価値の交換である以上、いかなる仕事に優劣などなく、それぞれに価値があるからこそ色んな仕事が存在する。人の仕事をとやかくゆう人にろくな人はいないもんだ。

一つの会社でも、意義をもって取り組む人もいれば、何やってるのかもわけわからないまま日々過ごしてる人もいれば、自分のことだけ考えてる人もいる。

自分は自分、他人は他人。
よそはよそ、うちはうち。

四年前、地域の課題を解決したいと声をかけてもらった。誰が何と言おうと、その一言がなかったら今がない。ざっくりとしてたのが最高だった。もし何かにフォーカスされてて、狭義なものだったらもう今がないかもしれない。先述の通り、自分は良くも悪くも、これといったものを持ち合わせていないから。

選挙を一つのきっかけに来た為か、図らずもこのタイミングで何か節目めいたものを感じている。ここからの四年を如何にして刻むか。それを改めて考える時期にきている。

というわけで、節目めいたものがきた訳だが、その訳を探ってみる。その為にふと、身の回りを見渡してみる。

会社の中は決して順調とは言い難いものの、移住相談窓口は今年度ずっと三姉妹を中心にお願いしていて、半年たったあたりからほぼノータッチ。最近だとよそ様の講演会に呼ばれて出てったりもして。

学習塾にいたっては二十歳そこそこの二人が必死のパッチで回していて、その割に自分たちの人件費含めちゃんと赤字を出さずに回している。売上規模でゆったら◯◯◯◯万円くらい。

よく考えたらすごい話で、自分が大学生くらいの頃といったらちょうどサークルで30人くらいのメンツでイベント打って100万円くらいの大赤字をこいて失笑の渦に飲まれていたのに。

こないだの丹波会も昨年は自分が必死のパッチやったけど今年はやり切りマンの丹波人たちが最高のパフォーマンスで締めくくっていたし。

もはや、完全に、社内ニートやな、と。
“代表取締役社内ニート”と肩書きを変えた方がいいんじゃないかと思えてしまう。

もう一段階、外を見渡してみる。

丹波市内初のシェアハウスとしてみんなの家をやってきたけど、現在3人。周囲には5人も6人もいるシェアハウスが存在していて、シェアハウスだけでなく農家民宿としても機能させたり、新たに色んな動きを見せている。もはやうちよりもしっかりと。メディアがうちに取材にきたいと言われるといやいやうちよりもすごいとこがあるねんと横流ししまくっている状況でもある。

集まる場所も丹波市内に格段に増えた。参加する側も集まる場所難民になるんちゃうかという程に。土日に何かしらのイベントが全くない日がないんじゃないかと思える程に誰かしらが何かしらを主催している。出かけたら必ずそこに知り合いが数人存在する。

“嗚呼、居ても居なくてもどっちでもいい人になってきたな、完璧やな”と。

完璧やな、と思ったのは、究極的に仕事というのは自分がいついなくなってもきちんと回っていく状況を創るということが大事だと思っていることと、自分の存在意義が揺れる環境下がどうしようもなく好きなのだ。

前職時代、とてつもなくリスペクトしてた歯医者さんがいた。

『世の中から虫歯なくなったら歯医者さんいらなくなるでしょ?だから、要らなくなって、仕事にならなくなって、潰れるのが理想。一刻も早く、誰もこなくなったらいいのに笑』

って、言っちゃった先生がいた。ほんまにその通りやなと思った。歯医者さんはコンビニの三倍近い件数があり、年々増えていることを憂いていた。

自分も、社長になりたくて丹波市にきた訳ではないが、流れで会社を作ることになり、当初から目指している最終的な着地点は、一刻も早く無用の箱になる事。

居ても居なくても一緒⇒やばい何かせなあかん⇒何か見つけて何かする⇒なんとかする為に頑張る⇒なんとかなった⇒一人でするのアホらしい⇒誰かとやる⇒自分よりもうまくやり始める⇒居ても居なくても一緒⇒やばい何かせなあかん⇒無限ループ

これを繰り返しているうちに、解決に向けて回り始める領域が広がり、気づいたら全てが自治的に解決に向かっていく、というのが理想。儲かるとか儲からないとかは二の次。何せ用済みになって、なくなるのが理想で、第一義だから。

なんでもそう、何かやってみたらすぐわかることがある。それは、一人でできる範疇は絶望的に限られているということ。草刈りでもそう、鎌一本手にもって山に突っ込んでいったらすぐわかる。すぐに絶望できる。

“地域の課題を解決する”

これは、非常にざっくりとした曖昧な定義。だからこそ、なんでも着手できる。でも逆に、地域の定義によっては追いかけている範疇がとてつもなく広くてでかい。自社のリソースでやれる範疇は、大概のことがやる前から判断がつく。

そんなこんな、してる間に、少しずつ、でも着実に、身の回りにはやる側の人が出現してきて、こうして社内ニートが誕生した。
『さてさて。じゃあ次は何をしようかな?』

って考えてみて、何をしようかな?って、考えてる時点で、今のこの瞬間にやるもんがないっていう証拠ですね、と。
嗚呼、じゃあ、こんだけ今やる側の人がおるんだったら、それを支持する側に回るのも一つかな?先陣切っていくのももう終わりかな?と、頭をよぎった瞬間に、頭を削いでいた。なんとなくそれが、表舞台からの終焉を感じさせる儀式だった。

そんなこんなで、仕事は周囲が着々と動き始め、自分は社内ニート。一旦オッケー。

私事は、もういいやと。
この時点で、今後の計画が真っ白。

浮かんだのは二つ。

一つは山。
ここまでやってきたことは出たとこ勝負で長期的なものがなかった。なので、体が五体満足動く間にしかできず、今生でケリがつくかつかないかの次元の大きなものに着手しておこうかなと。
丹波市は世間的なイメージとして“丹波=黒豆”が先行してて、農業を目指してやってくる人が多いが、その影響もあって他の産業が見えずらく、林業を目指してやってくる人がほとんどいない。
丹波市は75%森林で、人々は25%で生活している。75%がどうしようもないゴミと化すか、有効な資源と化すか、ここからの動きで決まる。大義名分が大好物な性分からして、やり甲斐しかないなと。何事も壮大な方がいい。

もう一つ。
前回の通り、サポートする側に回ってみるかと。どこの地方もそうだが、零細企業が多く、どれだけ志高く意欲的に取り組んでいる社長や事業主でも、意欲が高ければ高いほど現実とのジレンマにも挟まれるし、リソースが少ないから行き詰まることも多い。同じ立場で相談できる環境も限りがある。

何事も、0から1にするのは超簡単、やりゃ終い。やったら、立ち上がる。問題はその後。軌道にのせて最終リリースさせるまでを、一緒に追いかける存在があってもいいなと兼ねてから思っていて、いっそのこと“株式会社右腕”とか“株式会社二番手”とかやってもいいなと。

農家さんたちも、新規就農する人がポツポツして、既存の農家さんたちも事業承継とか規模拡大なんかを目論む人も多くなってきた感覚があり。彼らを間接的に支援するような事が出来ないか?と考え、“株式会社お土産”でもやってやろうかなとか。
他にもやったろかと思ってる事業もあるが、そんなこんなでまた楽しい未来を創れそうやなと妄想が膨らんでいった。

が、しかしだ。

何か、後悔に近いもやもやが自分の中に存在していることに気づいた。それは、にわかに周囲が選挙モードになりはじめた頃からだった。

決め手

周囲『今年は28人議員立候補するんやってさ』

私『へー』

周囲『今回の最年少は39歳やってさ』

私『ふーん』

周囲『山南町からは6人でるんやってさ』

私『さよですか』

選挙の話題が耳に入ってきても、右から左に流れていく。そしてよくわからない淀みを残す。前回の選挙とはうって違って、全然盛り上がってこない。完全に“他人事”。これは何故だろう?

阪神ファンが甲子園で7回に風船ぶっ飛ばすのが楽しかったのにそれをブラウン管越しに見ているような、
体育会系のクラブに入っててレギュラーから外されてベンチで試合を眺めているだけのような、
音楽会で普通のメロディーラインで歌いたかったのに声が低いからという理由だけで低音域に回された本番のような、
自分だけ誘われなかった飲み会が後々になってあの日は楽しかったねーなんて噂で耳にしちゃうような、
そんな、蚊帳の外感。

『ああ、なるほど、身内感のある人が誰も出てないんだな』と。

一緒に泣いたり笑ったり、やったり共にしたり、遊んだり飲んだりやらかしたり怒られたりする、ツレのような感覚の、身内感のある存在が。

もちろん、現職の議員さんたちにも沢山尊敬する人たちがいて、色んなことを教えてもらったり、相談にのってもらったりした。でも、年配やしツレとは言い難い存在であることは確か(一方的にそういう気持ちで接しさせてもらってるところはあるにしても)。

丹波に来る前の、完全に興味もへったくれもなかった、政治に対する無関心さが、また蘇ってきている自分に気づいた。テレビの向こう側の、別の世界で繰り広げられている感。前回はあんなにお祭りモードだったのに。これまで微塵も興味のなかった、むしろ若干めんどくさいものとかうさんくさいものとかいう感覚で嫌煙してた世界が、一気に楽しいお祭り感覚になることがあるんだなというのは、丹波市が、前回の丹波市の選挙が自分に教えてくれたことだった。

最初に述べた通り、別に仕事も私事も、自分の求める範疇はごく小さいことで、政治とは無縁でも十分叶うし、叶った、満ち足りてた。しかし、何だこのロスト感は、と。

かつていつか田舎暮らしがしたいと思ってて、海が好きやから島に行こうと考えたのに、山に囲まれた丹波市でいいやと、むしろ丹波市がいいなと思えたのは結局、

近しい距離感の人が議員にでることで、普段何気なく話しているような、もっとこんなんできたら楽しいよね、おもろいよね、とか、ただただ身内で楽しく遊んで暮らしているだけなのにそれがいつか大きなウネリに変わるんじゃないかとか、目の前の小さな、ごくごく小さな、でも自分にとって大事なものを大事にしたくて大事にしてたらそれがいつか街全体の宝物に変わるんじゃないかとか、そんな、“大きなウネリに繋がるきっかけ”があるんじゃないかという期待が、この四年に一度のオリンピックに込められてるんじゃないかと。

自分にとって、自分が丹波市に居続ける、繋ぎ止めているその楔は、この期待に、明るい未来があるように見えていたんだなと。何か俺たちで、そこに自分もちゃんと居て、創り上げていくことができる世界があるんじゃないかと。
閉塞感としがらみに満ちたこの世の中に、突破口が開けるじゃないかと。

〜一旦、それらが完全に途切れてしまうのではないか〜

これが、もやもやする気持ちの、全ての理由なんだなと。もはや隠しようのない、実感としてある事実だなと。

四年前の選挙で、ずっと横で演説を聞いてた。

『次の四年後を楽しみにしててください。次は自分よりももっと若い世代が、あいつがやれるんなら俺もやったろうやんけと、次から次へと政治の舞台に名乗りを挙げられるような、そんな町にしようじゃないですか』

ずっと、ワクワクしながら聞いてた。そんなおもろいことができたら最高やなって思った。人生で指折りの共感を得た。

だからこそ、切り口こそ変わるものの、俺も民間の立場からできる限り、俺らよりも若い世代が気持ちよく飛びててこれるように、いとも簡単に俺たちなんて抜き去っていくように、杭が出すぎて打つ気が失せるほどになるように、それを目がけてやってきた。

移住の窓口なんかもやってる関係もあって、元々丹波市出身の子で今は逆によその土地に住んでいるという子たちにしばしば遭遇する。うちの会社が地域の課題を解決するなんていうことをいうてるもんだから、なぜだかよくこんな子たちに出くわす。

『地元に帰りたいけど親に反対されるから帰れない』

『生まれ育ったところに戻りたいけどいい仕事がない』

『田舎は田舎特有の付き合いがめんどくさいの知ってるから帰りたくない』

話を聞いていると、どうしても、寂しい気持ちになることがある。なんだかなあと。うちの子が、大きくなった時はどう思うんだろうか?と。だからこそ、地元の若い子らにこそなんとかしたいと、思ってやってきた。

が、叶わなかった。俺の負けなんだな、完全に力不足で間に合わせられなかったと、認めざるを得ない状況だなと。
満ちてるのに、何か悔しい。なんだこの不思議な感覚は。

“普通に”“普通の”生活をしていくなら、それは出来そうだ。でも、それじゃ満ちないものがあるなら、そっちの道はやはり、どうしても妥協でしかないなと。

と、いうわけで、

勝負に、いくしかないのかな?