観光する側と守る側


朝早くから岐阜県は恵那市へ。恵那三学塾という、丹波市でいうところの地域づくり大学的な、生涯学習の一環で行われる講座で、全六回の内の1回を呼んでもらうということに。今年の3月中頃に連絡をもらって、それから半年。ほぼ事前に打ち合わせすることなく当日を迎えそうだったのでとりあえず知り合いに声をかけて恵那市に関わる人を紹介してもらい、実際んとこどうなん?的なぶっちゃけ話を前日に沢山聞かせてもらっての現地入り。

聞いた感じではものすごく丹波市と似ていて、wikipedia情報でも市の面積ほぼ一緒、でも人口が丹波市よりも少し少なくて50000人ちょい。うちよりも先に少子高齢化が進んでいるように見え、丹波市が今後10年くらいこのままいくとどうなるか?というのがすでに目の前の現実として繰り広げられているようなところなんだろうな、という仮説でもって恵那市入り。

時間帯的に通勤ラッシュにまきこまれるんじゃないかということを懸念して、琵琶湖の下からではなく福知山経由~舞鶴経由~米原経由という琵琶湖北部ルートでいった。渋滞なくスムーズにずっと走れて、8:15くらいに家を出て恵那駅前についたのが12時前くらい。なので3時間半程。意外と近いもんで。

真っ先に生涯学習センターに入り、事前に打ち合わせ&この日使う資料の提出。夜の本番まで時間があったので、恵那市がどんなところなのかを実際に見てみようと思い、観光パンフをいただき視察と称して一人観光に。まずは恵那市北西部にある恵那峡へ。

木曽川を人工的にせきとめてできた場所とのこと。向こうには恵那峡ワンダーランド。手前には湖。湖の周りには沢山ホテルがあって、植えられている木はこの辺は桜かな?

藤棚も。
第一印象としては、ちょーしっかりした観光地やなあ(丹波市のどこと比べても)と。ずっとのんびりベンチに座っていたいと思わせるくらいいい景色。
と、同時に、これは管理する側(つまり地元のおっちゃん側)として見た時に、途方もないなと。自分がこの景観を管理しろと言われたら、雨降って増水しまくった時どうしよとか、木が生い茂った時にどうやって剪定しよかなとか、雑草生えまくってきたらどんだけ草刈りせなあかんのやろうか?と、かなり憂鬱になる規模感。丹波市でもこんだけしっかりとした景観を持つ観光地があったら、色々話が違ってきたかもしれないなあと思った。丹波市にはゆうてないからね、観光地らしい観光地が。ゆうて寺くらいのもんで。丹波市にこんなところあったら、その集落はまじかなり壮絶なバトルが繰り広げられてそう。年輩者の今リアルに守ってる側の人らと、息子世代と。

その後市役所界隈でさくっと昼ご飯を食べて、少し南下して岩村城へ移動。

日本三大山城の1つ、岩村城跡
なんかもう、案内看板までかなり立派。丹波市にも山城跡自体は20箇所以上あるけど、こんだけしっかりと遺っている(遺している、の方が正しいか)ところはない。丹波市も柏原町が城下町とかいうてるけど、陣屋はあるけど城ないし城跡すらないし。

城跡からの眺めも素晴らしくいい。やっぱ山のてっぺんていいなあ。この天守閣付近まで車でこれるのも最高にいい。やっぱ山頂付近まで車で来れる方が、色んな人がこれるわな。歩いてしかこれない山はやっぱり人が入りにくいと思う。

何気にあの木もちゃんと手入れしてるしなあ。最初の恵那峡しかり、この景色を管理しろって言われると結構きつい。この城跡も別にお金とられなかったし、どうやって収入源もないのに管理し続けられるかっていうのが、持続していく際に考えておかないといけないんだろうな。

その後、降りて城下町へ。

同じような建物が並ぶ。丹波市の柏原町とは違って合間合間にコンクリや鉄筋の家も立つことなくほぼそのまんま遺されている。これはすごいなあと。こんだけしっかりと“遺されている”からこそ、打って出る物事も創りやすいだろうなと感じる反面、ここを継いでいく側の立場からすると守るべきものも重たそうだなという感覚もある。それはちらほらと空き家があるように見受けられるのと、丹波市のお隣、篠山市の城下町と空気感が似ていて、やっぱり観光地として突き抜けようとしても平日の昼間というものがどうしてもそんなに客足があるわけでも閑散としてしまう。そうなった際にやっぱり地元の付き合い頼みになりがちなところもあり、もしこの商店街も同じことを感じているのであれば、ガッと突き抜ける瞬間を創らないと結構きびしそうではある。

観光客視点と、その真逆で迎え入れる側の視点。両方から見ると、やはりギャップがあるように思えてしまう。

こっちは城跡側から見た下りの景色。景観的には小布施町と近いものを感じる。めっちゃいい景観。めっちゃいいから、しつこいようやけど、“遺していかなければならない”という重圧も感じる。地元の俺ら世代の人達は、どう感じてるんかなあ。

ところどころに、佐藤一斎さんの名言が掲げられている。こうした、過去にお偉いさんが居た地域というのも、先述の通り重たいものがある。そう考えると、丹波市内の観光地的なところにはこうした確固たる人物が居た場所があるといえばあるけどないと言えばないという程度のものなので、“こうしなければならない”、“こうでなきゃいけない”と縛られる要素が少ないからある程度今を生きる人の意向で自由にできる素地があるようにも感じる。

城下町を後にし、農村景観日本一の地があるということでいってみた。

その景色はこちら。

どういう基準で日本一と選定されたのかはよくわからないが、めちゃ壮大な田んぼ。確かに美しい。確かに壮大。
でもやっぱり、これを守る側として見たら、こんだけ壮大な面積を草刈りしろ、雑草伸ばすなという暗黙のプレッシャーがかかったら、耐えられるだろうかと心配せざるを得ない。おまけに日本一だなんて言われたら。圧倒的に重たい。

こういう、これまた超のんびりできるダムまであって。ほんと守らなあかんところが多い恵那市。

恵那市と丹波市の人口データ等見る限り、恵那市は丹波市より10年程早く少子高齢化が進んでいるように見える。
その中で、今丹波市でこういう地域を守っていく動きにおいて起きている現象(親父世代が息子世代で継ぐやつがいなくて悩んでいる嘆いている等)を鑑みると、今、恵那市がやらなきゃいけない、優先しなければいけなくなってしまっているものと考えられるには以下。

“何よりまず諸々片付ける”

これまで受け継いできたもの、受け継がなきゃいけないということになってきているもの、何を遺すか、何を捨てるか、取捨選択のタイミングが迫ってきているんじゃないかと思う。
丹波市もそう、あと10年程すれば、きっとガンガンでてくる。昔から子供の為にとやってきた地蔵盆も子供の数も少ないしやる側が高齢化でもうあれこれでけへんてなってるのを辞めると決断するとか。昔は子供の数が多かったから各集落ごとにこども委員なるものを創り、でも学校でもPTAなるものがあり、あっちでもこっちでも役があり、やらなあかんことややるべきやということでやってきたけど、そもそももう集落にうちのところしか子供がおらんとか、そういう次元に差し迫っているにも関わらず子供会やらPTAの役員の席だけはある、という状態やら、もうほんまにこれまで通りにはでけへん、となった際に辞めるのか、形を変えるのか、そういった決断をしなければならない。片付けていく段取りを最初にしないといけない。

丹波市でも、あれもこれもそれもどれもと、過去からの流れをずっと踏襲してきて、でも人数が激減している集落や地区なんかでは、もう一人のおっちゃんが地区内のことだけで名刺が何十枚もある程色んな役についてはる例も少なくない。

片付けていく段取りをしなきゃいけない。それを切に感じた。

◆丹波市よりも少子高齢化が進んでいる(守る側の、物理的人員の減少が進んでいる)
◆“日本一”の農村風景や、“日本三大山城”等、丹波市に比べ恵那市は重たい(つまりそれほど重大な地域資源)が沢山あり過ぎる

だからこそ、真っ先に考えないと、全てが共倒れになってしまうんじゃないかなと思う。
まだ人数的に余裕のある丹波市でさえも、何か新しい事をやろうとかそういう動きがあった時に、もうそれ誰がやんねん、もう手一杯やでまじで、堪忍して等といった空気感が満載で、年輩の人らも息子世代に色々やってもらわなあかんことが沢山でてきて、自分達の手におえないものが沢山降ってきている状況でもはや下の世代に

『堪えてくれ』

なんていう絶望感しかない台詞吐くシーンも何回も見てきているからこそ、だからこそ、早いうちに。

やり続けるのか、辞めるのか。
遺すのか、潰すのか。
自分達だけで考えていくのか、他の人も協力してもらうのか。

決めなきゃ、前にも後にもいけない状況なんじゃないですかね。今でパンパンなら、新しい息吹が入る余地はどこにもないんだから、空白を創らなきゃ入る訳ないんだから、その余裕をどこかで創らなきゃいけない。

丹波市内の竹岡農園が集落内でやっている物乞いキャンプとか最高にいい事例だと思う。
世帯が13世帯程になってきて、村を守るための草刈り活動等がもうけっこう厳しい。そんな時に寝床と飯を提供するから草刈りとか手伝って、というキャンプ。月一で大学生やら社会人やらにきてもらってってやり始めてもう3年以上続いているんちゃうかな。自分たちで守り抜くということから、少し枠を広げて、村に関わってくれる外部の人の協力を仰いで一緒に守っていく。守りたいと思ってくれる外部の人達と共にこれからを創り上げていく。そういう遺していき方も1つだと思う。

facebookやら、instagramやら、SNSが発展して、誰とでも連絡がつけられ、いつでも連絡がとれる時代になっているんだから。なんでもできる。やる気なら絶対やれる。やれないことを探す方が本来難しい。いきなり100m走を10秒切れとか無理やけど、世の中の仕事等タスクなんてもんは、そんな特殊な能力も別にいらない、普通にやらなあかんことをやれるだけでなんとでもできちゃう方が大半。

何か新たにやる事よりも、辞める事を。その一歩を日本全国どこよりも早く踏んでください。
遺していきたいと考える人もいれば、そんなもん受け継ぎたくないという人もいる。傍から見れば、それでもその両者は同じ地域に住む同じ住民であって、色んな考えの人全部そろってその地域の住民。一人じゃ住民できないんだから、とことん話し合って、何から片付けて、これから何を重視していきたいのか。決める、てことが必要なんでしょうな。でもこれって、恵那市にも丹波市にも限った話じゃなく、どこもそうだと思う。

そんな感じの話をしましたとさ。

終わったあと、知り合いの知り合いが引合わせてくれた、恵那市のローカルメディア、おへマガを運営しているNPOえなここの園原さんと近くの中華料理屋さんで晩御飯。色々話せておもしろかったー、ありがとうございました。

そんなこんなで0時まで居座り、そのまま夜の高速をしこたま爆走して家に帰ってきたのが3時頃。
岐阜県の最東南の恵那市まで、日帰りで観光して仕事もしてこれるということが判明しました。ゆうて近いもんですな、岐阜も。

ありがとうございました。また行こう、必ず。