夢とやら


前日の夜に下関市から帰ってきて、朝一から春日中学校へ。

教育委員会からの依頼を受けて、たんばみらい学っていう、子供の夢を応援しようってな講義に参加。
来年度は全町でやっていくことを想定していて、その前段階として一旦春日中学校でやってみるということであったので、じゃあ呼ばれるオトナは春日町の人がええんじゃないか?ということで何人か声をかけて集まってもらい。

正直なところ、夢はあったらそりゃ素晴らしい。でも、ぶっちゃけなくてもいいと思う。
夢あるやつばっかりだったら、サポーターが誰もいなくなってしまうから。気持ちよく人を応援できるやつというのはいわば夢のないやつだけ。どうも最近の世の中は夢至上主義みたいになっていて気持ち悪いところがある。夢ないとあかんとかほざくオトナまでいる始末。人の応援できるやつがいないと所詮一人でできることは限られているから巡り巡って全員が夢を追いかけていると全体効率が悪くなる。

今回は中学校卒業を間近に控えた三年生が対象やったけど、みんなの夢の内容を聞いている感じ、取り急ぎだしました感や、なんとなくええなあレベルの、いわば授業だから仕方なく感で書いてある夢が大半のように感じた。そりゃそうかなあと思う。
中学校なんて毎日遊ぶのに忙しいし、ほとんどの中学生の目の前には高校生活がまっているわけで目前に迫っている訳でもない将来の夢やらなんやらといわれてもピンとこないやろう。

夢をもちなさいと言うからには、やっぱりどんな夢が描けるのか?を考えうるだけの材料を三年間通して提供しておく必要もある。夢は後天的なものだから、それこそ身近に理想とする生き方をしている人に出会うとか、テレビ、インターネット、本等々、色んなものに触れておかないと夢の範囲がとてつもなく狭い。

これをもし高校生に同じ授業をしていたら、もうちょっとは具体的で、おまけに多種多様な夢の内容になっているもんなんだろなと思う。

自分自身、これといった夢もなくオトナになり、今にいたるが、何の支障もない。夢をもっているやつをいいなあとも思うけど反面ああはなりたくないなあと言う対象でもある人も多い。基本、自分勝手なやつ多いからね、自分の夢ばっかり追いかけてる最中のやつは。あまり好かんのだ。

夢はなくちゃいけない論者の人のご意見も聞いてみたいところですな。どういうロジックで成立するのか。