これからの“家の在り方”


昨日の平成を振り返るシリーズ第五回の最終回。

平成に限らず、人の人生の振り返りを聞く機会というのはとてもおもしろく。

 

そのおもしろみはどこにあるかと言えば、自分の人生と照らし合わした時に、当時の複雑な心理状況をうまくいい表すことができずにいた事なんかが、今になってバシッと言葉にできたりするところだったりする。

今回、俊子さんと山下ママの話を聞いていて昔を思い出し気づいたことが2つ。

 

たまにとても合理的な人だねと言われることがあり、そう言われてしっくりこない自分が居て。

合理的であることを求めるその前に、“理にかなわないことが嫌”“筋が通らないことを強要されるのが嫌い”“意味がわからないことをやらなきゃいけないのが苦痛”“理屈が通らない話が気持ち悪い”な自分が居て。

その自分がいつから出来上がったのかというのが小学生の時。きっかけは親父かなと。

 

家の中の話であるが、うちの親父は典型的な亭主関白(そこまで強い訳でもないけど)で、家のことは完全におかん。

例えば親父がティッシュ取ってとかビール取ってとかいうことをおかんに言い、おかんがめっちゃムカついてる顔しながらそれらを取っていた光景がフラッシュバックしてきて。いちいち家の中の空気を不穏な空気にすんなやとか、いやいや親父の方が近いところにおるがなとか、そんなことを思っていた。

起点は間違いなくこの辺で、ここから色んな物事に及び、先述の通り理にかなわないことが嫌いな自分が盛大に創られていったんだなあと。

 

2つ目。これは再確認に近い。

自分は割と世間一般的な家庭と比較して家事をする方かなと思っているが、そんだけ家事やってて偉いなとか、すごいねとか言われることがあり、これまたそう言われてしっくりこない自分が居て。

結局、別に褒められたくてやっている訳ではなく、過去の後悔から来てるなと。その後悔も小学生の時。

親父が勤めていた会社が潰れ、これからどうなるのか先行き不透明になった時期があり、おかんも働きに出ることになり、当時世間で言われていた言葉を使えば“カギっ子”というやつになり。

カギっ子になって何日かしたある日、家を出る際にカギを持っていくのをすっかり忘れ、夕方学校から家に帰った時にカギがなくて家に入れず途方に暮れ。

別にどこかへ遊びにいけばよかったのだが、どうもその選択肢が気軽にとれない時期で、ただただ、夕暮れていく外の景色を見ながらただただ親の帰りを待っていた。

夜になり、おかんが帰ってきて、不覚にも泣いてしまったのだった。

 

翌日からだったか、おかんは働きに出るのをやめてしまった。なぜ家にいるのかを聞いたら、そうすることにしたんやと濁された瞬間のおかんのなんともいえない表情を見て、当時ではとてもいい言い表せない感情が巡った。あれは、総じて後悔だったと、今ならわかる。

 

おかんは以前から外でなんやかんやしてるのが好きで、きっと働きに出たり、なんかのボランティアなんかに積極的に出て行くのが楽しいという人だから、本当は辞めたくなかったはず。家の事情がどうとかではなく、外にでたかったはず。それを自分のせいで止めてしまったのだなと。

ちなみにこれについては丹波市へ移住するとなった30歳あたりの頃に全部おかんにぶっちゃけていて、本当に後悔してたのだと。なので、俺も姉ちゃんももう家におらん訳なので、子育てが終わって燃え尽きている暇があるなら今からでも好きなように好きなことをやってくださいませと伝えたことがある。

 

結局、この時の後悔が、割と自分の中で本当にしっかりとした後悔として自分に残っていて、亭主関白を振りかざして専業主婦として嫁に強いることだけは絶対にしないようにしよう、だから嫁が何かしたいことがあって外に出たいとなった時は気持ちよく出れるように家事と子育ては自分がやれることはやろうと。

そうしているのだなと。なのでやはり、褒められたいからやってるのではなく、ああはなるまい、あれだけは避けたいという、ネガティブな要素を起点としてやっていることだから、褒められた際にいやいやちゃうねんそうちゃうねん、っていう気持ちになるんだなと。

 

“男は外で働き、家は女が守るもの”という社会通念が、親世代はとても強く存在していんだろうなあと話を聞いていて思う。

もちろん、そうする事が夫婦にとっての、家族にとっての全体最適であった時期なんだと思う。長く働けば働くほど儲かる、年功序列、終身雇用な世の中ではどっちかに集中させる方が間違いなく生活基盤が安定するだろうから。

 

ただそれは慣習的なもので、別にみんながみんなそうではなく、同じようなカギっ子事件が起こっても、「カギ忘れたらそうなるやんw次は気をつけやw」で済まして働きに出続けることを選んだ親もいっぱいいるだろう。

結局、法律で決まっている訳でもないから

 

“よそはよそ、うちはうち”

 

であって、よそのうちとの比較はあくまでも参考にとどめるものに過ぎない。親世代の女性でも、昔からずっと自分のやりたいことをやれた人もいた。

ただ、マジョリティはやれない人が多かった。昭和や平成というのはそういう時代だったのかなと。

 

会の最後の方で、平成の間に女性の格差的なものは随分とマシになってきて、昔より相当やりやすくて楽しい時代になってきたといった話もあり。

俺みたいにかつての家の在り方に疑問を感じた人がもし同年代でも多いのであればきっと、これからの30年間でだいぶ風潮が入れ替わるだろうなあと思うし、一旦その女性云々の問題がある程度目処がついたとするなら、次の年号を迎えるこれからはきっと“家の在り方”の方が重要なテーマになるんじゃないかなと思う。

やっぱり今は過渡期で、不況によって夫婦共働きがすでに当たり前になり、取り巻く環境がどんどん悪化していくのでどう対処すべきか方法なんてことを決めてもすぐまた変わるのでとても柔軟に乗り切っていく必要がある。

しかし、世の中、そんな臨機応変に立ち回れる人達というのはほんの一握りしかいないんだと思う。決められた枠に乗っかる方が生きやすいという人数の方が圧倒的に多いから、未だに日本はサラリーマンだらけなんだと思うし。

今こそ、家訓みたいな指針が必要なんじゃないかな。

 

人の人生を伺うことを通じて自分の人生を振り返るというのは、先述の通り、理にかなった生活をしたい自分としては、

“今、なぜ俺はこれをしているのか?”

“今踏み出そうとしているその一歩は何に繋がるのか?”

とかがとても気になる。なので、整理して考える上でとても貴重な体験だなと。

 

理にかなわないことが嫌いなくせに、たまに理にかなわないのに誰かの為なのだとか、誰かの為になると思えるものならば受け入れてしまうことがあり、それは親譲りなものなのだなと。理屈よりも大事にしなければならない物事もあるんだなというのは、良くも悪くも親から教えてもらったことなのかなと。

 

年号が変わることもあり、大きな節目でいい機会でした。