立候補することにしました


さて。どこから話したらいいものか。
落選した、4年前の選挙後からにしましょう。

 

人生で最も人から盛大に応援を受け、人生で最も多くの人を絶望させた日

 

 

思い描いていた未来がなくなり、いつ終わるかわからない程に先の予定が真っ白に。

『これが燃え尽き症候群というやつか・・・』

と、なるかと思いきや。
ただでさえ仕事等で忙しかった中、無理やり調整できたものもあれば仕切れてなかったものもあって、即現実に戻るべく応援してくださった方々にお礼と負け戦にしてしまった謝罪をして回って。

周囲の皆様がとても、とっても、とーっても、気をつかって頂いてるのがヒシヒシと伝わってきてたくらい、ザザザザー!っと、まるで出来事がなかったかのようなスピードで、感覚的にはあっという間に元の生活に戻った、というような感じでした。

二週間程ほぼ寝ずにぶっ通しで必死のパッチになった経験は、30代ではこの時だけ。
自分の思いつく限りの手は打ち尽くした、燃え尽き切ったという実感だったので、清々しさすら感じる負けだったことも、リカバリーの早さの手助けになったように思います。

ただ、『次はどないするつもりや?』と聞かれると、『う~ん、今はとても考えられないです』という感じでした。

 

そもそも、もし今後も狙うにしてもちょっと気持ち悪さもあり。何年も前から次よろしくっていうと、全ての言動がその為にやってると思われるのも心外ですし。何より自分自身、一人でやってる仕事は皆無に等しいので、それはそれで周囲に余計な迷惑もかけますし。

なので、一旦綺麗さっぱりと公職になる道は視野から外し、目の前の仕事や生活を丁寧にしっかりやろうと再出発しました。

 

が、自分の負けはそれでよくても、

『やはりあの時応援してもらった恩は出来る限り、カタチを変えてでも返していかないとな』と、心苦し過ぎて頭から切り離れたことはありませんでした。

なんでこんなに心苦しいのかと思うと、人生であれだけ盛大に応援受けたことって一度もなかったからだろうなと。おまけにあの応援を落胆に変えてしまったことも重なって。本当に申し訳なかったなと。申し訳ないという台詞がもう、口から何度も何度も出過ぎて、とても薄っぺらい言葉のように聞こえるくらい。

あの四年前の出来事を一言でまとめると、

“人生で最も人から盛大に応援を受け、人生で最も多くの人を絶望させた日”

だったなと。
2017年に入り、株式会社みんなの家として三年目となる、丹波市の移住相談窓口業務が始まり、その年に出会った有賀史朗と2018年、竹内吉崇と三人で株式会社ニュービレッジ計画を始めることとなり。

移住相談窓口は、受けた当初からずっと自分の手でやり続ける意思がなかったこと、盤石な運営体制を築いた後はしかるべき人に渡し後方支援に回ることを考えて業務にあたっていて。

地域おこし協力隊の任期満了近かった中川ミミに相談しスムーズに移行できたこともあり、民間に全力投球する土台が整い。途中、第二子誕生前に妻が切迫早産で三ヶ月程入院し、娘との二人暮らしを強いられるといったハプニングもありつつも、落ち着いた後は日々仕事に暮らしに没頭していました。

 

決意の瞬間

 

 

しかし、頭から完全に切り離していた公職への道について、突如呼び起こされる事件が起こりました。昨年、4年前の選挙の時にがっつりと応援してくれてた人が自らの手でこの世を後にされました。

『やはりあの時応援してもらった恩は出来る限り、カタチを変えてでも返していかないとな』

そう思ってやってきた4年前のその後。ああ、ついにもう、直接返せない人が出てしまったと。

この瞬間から、もやもやした気持ちが離れないようになり。4年前の出来事を、完全になかったことにしてしまっていいものか否か。

ただ、周囲の人を一瞬で絶望させたあの瞬間の光景がよぎると、どうしても躊躇してしまう自分もいました。これは、人生初のトラウマというやつかもしれないなと。
ここ数ヶ月、続々と周囲で立候補を表明する人が出てきて、この四年間ずっと『立候補せえへんのか?』と色んな人から言われ続けてきたことも勢いを増してきて。

さて、どうしたものかと思っていた時、たまたま、とある現職議員さんと腰を据えて話を聞いてもらう機会があり。
ここまでの一部始終を話し、

『出ろって言われてる間が花なんじゃない?(普通なかなか言われる言葉じゃないからさ)』

とかけられた言葉に、ああ、確かにそうだなと。前回応援してもらったものを未来に繋ぐか繋がないかの選択は、今しかないんだなと。スッと、腑に落ちた自分がいました。

 

それから、まず真っ先に4年前最も盛大に応援してくれた方々に相談し、身辺整理をし。
同時に、これまで立候補を目指してきた同年代の友人から諦めることにしたという連絡があったことが最終的な後押しになり。

◆4年前、応援してもらった恩を無駄にせず、次に繋げたいと改めて思えたこと

◆前回『自分よりも若い世代が政治の世界を目指したいと思って出てくる環境をつくりたい』と思って出た訳ですが、どうやら完敗が確定しそうなこと

◆自らの手で意思で、政治の世界の課題に着手できそうなのは今しかないこと

で、決意しました。

もう、トラウマとか言ってる場合じゃないなと。むしろ、自分のせいで4年前の出来事で政治がトラウマになってしまった周囲の人もいるかもしれないと思うと、ね。払拭しようじゃないですか。

 

とにもかくにも子育て支援

 

 

と言うわけで、じゃあ今からどういう政治を目指すか?をざっくり言いますと以下。

『今、足りない部分を補い、溝を埋め、無駄を省き、未来への投資をし、話を紡ぎ、みんなの子ども達が成長し、大人になって家族を持ち、自分がこの世を去った後も、次の世代にバトンがわたっても未来がちゃんと見えるような、日々暮らす目の前の風景を愛し続けられるような、そんな丹波市を育んでいきたいのです』

 

具体的にどういう政策を行っていくのか?と言えば、まずはとにもかくにも“子育て支援”。

『子育て支援(厳密に言えば、子どもの支援と子育て世代の親の支援)』と、『商工振興(子育て支援が充実しても親の仕事が成立しなくなると暮らしていけなくなるから)』を追いかけていくべきなんだろうなと思っています。

 

これは6年前に丹波市の移住相談窓口に関わり始め、当初のかなり早い段階からすぐ頭打ちすることが目に見えていました。

と言いますのも、丹波市に関わらず、全国で行われる移住施策において、住まいの問題はほぼすべからく“空き家=中古戸建て物件”の紹介をしています。

丹波市には約1200件の空き家が存在すると調査結果で言われていますが、この時点で1200組しか移住できませんよね。しかもそれはどんな状態の家であっても全て決まるという前提。到底無理があります。

 

子育て世代をメインターゲットに移住を促す、といっても、特別子育て世代に対して空き家を優先的に紹介する訳でもなく、仕事の条件面を優遇する訳でもなく、近隣の市区町村と比べて突出して充実した子育て支援策を行っている訳でもない。移住施策(メインは移住検討者の相談に乗りマッチングすること)においてそれができるかと問えばできない。

なので、本当に子育て世代の移住を促すには、移住施策ではなく、市の政策(例えば給食費無料化、中学生までの医療費完全無料化等)で行う必要性が当初から発生しています。

 

 

またこれまで地域に村入りし、消防団に入り、様々な地域行事に参加し、役に就き、日役を行う中で出会ってきた地域の同年代の子育て世代の人と話し色んな悩みも聞いてきた中で、みんながみんな、今の暮らしに満足している訳ではないんだなということは肌で感じていて。

そもそも、地域の子育て世代が満足できていない地域に、どうやって外から子育て世代に移住してきてもらうのか?本当に丹波市に引っ越してくることが幸せになれる選択肢として自信もって提示できるのか?といえば、双方の気持ちがわかる立場だからこそ難しさを感じていました。

なので、最大の子育て世代移住施策は、何よりも市内の子育て世代が満足している状況をつくり出すことではないかと思うようになりました。

 

 

満足といえば余談ですが、自分自身も丹波市で子育てするにあたりここまでの生活で特段大きな不満に感じたことがなかったんですが、一度だけ先の生活が見えなくなった事件が起こりました。

それは第二子が生まれる前に妻が切迫早産で入院し、生まれるまでの約三ヶ月間の間、突然長女との二人暮らし生活となった時のことです。

 

 

2017年12月クリスマスの朝、妻が『午前中に定期検診があるから』と娘を連れて病院に行き、診察中のはずの妻から仕事中に電話があり。

急遽入院することになったので娘を迎えにきてほしいと。『えっ?!』と、頭が真っ白になりました。とにかく病院へ向かい、娘を預かり、入院の荷物を渡し。

目の前に山積みの仕事。まだ保育園に預けていない娘。とりあえず、今どういう選択肢があるのか把握する為、家から送り迎えできそうな丹波市内の保育園数件に電話。

 

しかし、どこも年度途中での入園であり定員であること、2歳児を迎えるには保育士の数が足りていないことを理由に入園できず。

仕方なく仕事先にお願いし、娘の同伴を認めていただき、常に連れて動くことを選択しました。(当時のことは当時のブログ記事をご覧ください)

この選択を認めてくれた仕事先と、あれこれ助けてくださった周囲の皆様の厚意にはほんと感謝しかありません。

 

この時メディアでも騒がれていた“ワンオペ育児”という言葉。これも大変さが身をもって体験しました。もう未来が、『明日のご飯何つくるか』までしか、本当に考えられませんでした。

妻がない時に『ママー!!』と泣かれた時にはもう、ほんとどうすればいいのかと、途方に暮れたり。

また、自分がいかに子育てに向き合えてなかったか知る機会にも。子育てしてるつもりになってただけで、全然できてなかったなと。

 

この体験は、いざという時にいざという人を支援できるほど丹波市の子育て事情は余裕がないことを痛感することとなりました。

子供にとっても、親にとっても、子供にまつわる仕事に従事する人たちにも。今でもこの時期の写真を見ていると、娘には辛い思いさせたなあと振り返れば、しれっと涙が出てきます。

僕はほんと、職場に恵まれ、周囲にも恵まれてなんとか切り抜けましたが、僕のケースと違って終わりが見えないシナリオの人の場合の苦労は、到底こんな風には書き切れないものだろうなと思います。

 

 

さらに具体的に話を進めましょう。

 

参考になるのが、日本全国及び兵庫県内でほぼ唯一、子育て支援を主軸に成果をあげているのが明石市です。

全てをまねるのは規模も違うし市民の性質も異なるので慎重に進める必要がありますが、明石市の『条件をつけない子育て支援策』は、丹波市でもおいかけていくべきだと思っています。

 

例えば、中学生まで医療費無料(丹波市は所得制限あり)。

所得による制限を設けることで、支援を受けられる家庭とそうでない家庭がでてきます。支援を受けられない中高所得者層の家庭としては丹波市に住むメリットがない上に税金だけが取られる感覚になります(より多くの税金を納めているにも関わらずという構図)。

本当に支援すべきところに支援するという名目で所得の少ない層にだけ支援しますと、親の環境やステータスによって子どもの暮らしが左右されることになります。それはやはりどうかと思うのです。

 

また例をあげますと、中学生の給食費無料化(丹波市は有料)。

令和元年度の10月から認定こども園等を利用する児童の利用料が無償化されていますが、結局給食費等他に支払いが必要なものがあり、景気動向や将来的見通しが立たない中、二人目三人目と安心して産み育てる環境下にないのが実情だと感じています。

なので子育てに費用がかさみ始める中学生の間給食費をい親の所得に関係なく誰でも無料にするなど、安心できる幅を拡充していく必要があります。こうした、条件を設けない、全ての子どもを支援していけるよう拡充していくべきです。

 

また保育士等の処遇改善も、確実に必要だと思っています。実際に保育士として働く人たちから話を伺っていても、保育士がとるべきとされる責任に対し報酬がとても見合っていないように感じていますし、保育士不足が原因で待機児童が出ていることもあります。

また、保育園に子供を通わせている親御さんたちも、保育士や学校の先生方の大変さをよく知っていたりしますので、普通にお願いしたいことでも無理をいっているような感覚になり、言いたいことも言えないといった悪循環を生んでいるように感じています。

 

子育て支援の充実は、出生率が向上し若い世代の人口が増えることで税収の増加も見込め、税収が確保できてきますと次には高齢者の福祉等に充てることも視野に入ってきます。

投じた予算で、新たな財源が見込めるような事業や施策が、安定した行政計画には必要不可欠だと思っています。

 

『地域の自治会活動で若手の担い手が不足している』

『会社で若手の後継者が居ない』

『政治の世界で若手が出てこない』

こういった話はこれまで何度も耳にしてきましたが、結局自治会であれ会社であれ政治の世界であれ、今を生きる若い世代に肉体的、精神的、経済的余裕があまりにもなさ過ぎることが原因なのではないかと思っています。

なので、子育て支援はこれから丹波市を未来へ繋げていく為の全ての土台となるものだと考えています。

 

子育て世代の支援としての商工振興

 

 

次に商工振興です。

 

とりあえず目先の行うこととしては、丹波市は主要産業として位置づける領域を決めることや、日本国内や世界へ打って出る前に商品やサービス開発に力を注ぐべきだと感じています。

丹波市は市の統計データからもわかる通り、以前から主要産業が工業(約26%程)で、外部から見えるイメージでは1次産業者(専業農家等)が多いイメージですが、実際には数%しか存在していません。事実とのギャップがあるのです。

これまで自分自身、丹波市へ来る前の仕事でもwebサイト等を通じて情報発信を主な仕事としてきました。事実とイメージとのギャップがあるものはとてもPRしにくいのです。

例えば、とても綺麗なホームページをつくっても、実際にいったお店がとても汚く、店員の接客態度も悪い、商品も微妙といった場合にどうなるかは、とても簡単に想像がつくと思います。これと同じです。

 

また、自分でも小さいながら会社を興し事業を行い、これまで商工会等を通じて市内の様々な事業者と出会い話を伺ってきた中で、一つの実感値があります。

それは、丹波市はまだまだ恵まれているということです。それは単純に、市内の取引先だけで仕事が成立している事業者が思った以上に多いことです。

ただそれも、人口減少や不況で市内需要が緩やかに減少していることは確かで、今年に入ってからコロナウイルス等の影響もあって成り立たなくなってきた先も出てきています。必然的に、外へ向かうことが求められてきています。

なので、先述の通りこれから向かうべき方向性を定め、外へとビジネスを広げていく為の土台作りが必要だと感じています。

 

具体的には、

丹波市の特色を活かした起業の積極的な支援策ということで、現在の新規起業者支援事業補助金(家賃補助)以外にも、丹波市として今後育てていきたいと考えられる事業や主要産業においてはより手厚く支援できる仕組みの構築を行うことや、

商工会とも連携し、より幅広い視野や知見を得るために市外の企業等との一歩踏み込んだ交流(視察するだけでなく一定期間研修を目的に出向する等)を図っていく必要があります。

 

ただ、どれだけ大きなことも最初の一歩はとても小さいもの。その、小さい一歩でも単体では踏み出すことが難しい場合がほとんどです。課題を見極め具体的な一歩を支援する仕組み作りが大切になると感じています。

 

どういう政治家を目指すか

 

 

政治家として目指していく在り方は何より、そのままの自分で居ることが一番大事かなと思っています。

そのままというのは、別に政治家になったとしてもこれまで通りの自分でいるということ。

これまでの丹波市での生活で出会った人たちから『何も変わらんな井口は』って言われる人で居続けることが結局、身の回りの人たち、総じて市民の人の声を一番拾いやすく、市政に反映させやすい政治家なのではないかと思うのです。

 

 

どんな大きな話も小さな一歩から。目の前の一人を大事にする人でありたいと、思っています。

 

 

 

さて。というわけで。進めていきたいと思います。

 

長々と書きましたが、一言でまとめますと、

丹波市で生まれ育つ子供らがいつまでも気持ちよく暮らしていけるように、我々オトナが全力で応援していきましょう!!

と、いうことです。

 

自分自身、これまで沢山の人に支えられて生活してきました。うちの子ども達も、色んなオトナに囲まれて遊んでもらって。これは絶対に、かつていた街中では絶対味わえなかっただろうなと。

丹波市の人が持ちあわせている気質だなと。本当にそう感じています。

この優しさを、目に見えない次への想い、託していくその気持ちを制度化していく。これがやっていくべきことだと認識しています。

 

 

応援していただける方は市内外問わず大歓迎です。いつでもご連絡ください。

 

——-(絶賛同士募集中!!)————

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