あなただったらどうする?


9月10日から9月28日までの18日間、我々の住むみんなの家に一人の人間が住んでいた。以下、都合上名前を“丹波君”ということにしよう。

是非、自分だったらどうしていたか?を真剣に考えてみてほしいと思う。
突っ込みどころは満載だろうが、ありのままを書き綴りたいと思うので、是非最後まで目を通してみていただきたい。

◆9月10日(木)◆
週末の地域仕掛け人市等東京出張を控えていたので、事前の準備に追われまくっていた。夕方、送る荷物も準備して発送の用意も完了した頃、携帯に一本の電話が入った。市役所からだった。

もうもはやどういう内容だったか忘れたが、『移住相談の関連で~』という切り口でもって、一人丹波市役所に突然現れたやつがおるので直接話を聴いてやってほしいという。ええですよと返事をし、直後に丹波君から電話がかかってきた。

何やら御年30歳真ん中。
実家は茨城県で、元々はとび職を主に仕事をしていてその関連で知り合った女性と結婚、子供もできて沖縄県に移住。平和な家庭が築けるかと思いきや嫁がとび職の仲間内と不倫をしていることが発覚、うつ病になり精神病院に通院することになり、その後家庭内不和が激化、仕事の人間関係もこじれてきて離婚。

実家に一度戻ったあと、このままではいけないと思い、これまでと違ったことをしようと派遣会社に登録。最初は実家から通える範疇で働いていたがなぜか丹波君本人の意思とは裏腹になぜか自己都合で退社してくれの連発で、1年どころか1か月ともたず、派遣会社から紹介される先がどんどん遠くなり、各地を転々とするようになったと。

全国各地を転々としたのち、直近でいくと宝塚で働いていて、そこもご多分にもれず即切りに合い、次の働き先として養父市を紹介され養父にいってみたら、そこは前回の派遣先で1年以上働いていた人しか働けないという勤務条件になっていると告げられ、受け入れられなかった。当然ながら移動に関しては自らの足がないので派遣会社の方が荷物ごと連れていってくれていたわけであるが、ここでどうにもいかんくなって一旦宝塚の市役所に戻ろうという話になり、戻っていくもこのままいくと市役所の営業時間に間に合いそうにないということで、途中のどっか市役所に寄ろうということになったそうで、それがたまたま丹波市の市役所だったと。

その時点で現状所持金は5万円程しかない、住むところがない、仕事もない、あるのは借金だけなんだと。

とりあえず一時的に住むところと、働ける先がないかと相談したところ、とりあえずみんなの家に相談してみたらどうだ?という話になり、電話がかかってくることになったと。

いやいや、うち何屋さんやねん・・・
地域課題を解決する為にIターン者が集いシェアハウスをやっているんだといってるだろうがと。解決するどころか本人がすでに問題だらけやろうがと。

電話の口調からして申し訳ないくらい正直きな臭さ全開で、さすがに今回ばっかりは断ろうと判断せざるを得なかったが、移住の関連でなんていう切り口でこっちに振られたことと、もしうちがここでぶった切って放置するとまあ間違いなく誰も引き取れないだろうし、丹波市内に一人のホームレスを誕生させることに直結するので、じゃあもうとりあえずしゃーないから来いよと。足ありませんと。荷物もありますと。

なんてめんどくさい野郎だと思いつつ、ほんじゃ市役所で待っとけということでうちの住人をこき使って迎えにいかせ、とりあえず引き取らせて詳しく話をきくことにした。

ここまでの流れは先述の通りで、で、どないしたいんや?と聞いてみると、ここまでなぜかうまいこといく流れに乗り切れず、流れ流れてここまで来てしまったが、所持金も少ないし、借金も返さないといけない、離婚はしたものの相手方のところには子供もおるのでお金を稼ぐ必要があるんだと。しかしながら情けないことに現状人の支援を受けないとにっちもさっちもいかない状況になってしまっているんだと。どうにかしたいんだがどうにもならんのだと。

このあたりまで聴いたところで、20時からはここんとこ2週間に1度の楽しみである仲間内とのバスケの時間が近づいてきたので、ほなもうとりあえず一旦うちに入っとけよと。ほんでとりあえず資金がある間に仕事探すなり、住み込みで働けるところ探すなりせえよと。ほんでうちはそういう人を受け入れる自立支援の施設でもなんでもないから可及的速やかに出ていく前提で次の生活基盤を見つけろということになり、住人に部屋の案内を任せて自分はバスケに。

帰ってきたら、丹波君は母屋一階の八畳四つ間の一角に部屋をかまえ、荷物を広げもはやわが部屋化している。そして荷物の中にはなぜかダンベルが2つ。まじ嫌な予感しかしないと思いつつ、翌朝東京へ向かった。

◆9月14日(月)◆
夕方帰丹。
住人に丹波君はどうだ?と聞いてみると、やばいっすあいつまじやばいっすと。

何がやねんと聞いてみると、何やら主に早朝と深夜に『ヒャーーーーーヒャッヒャッヒャ!!!ヒャーーーーーヒャッヒャッヒャ!!!』とえげつないくらいでかい声で高笑いしてるんですわと。1時間くらい。

へー、意外とテンション高いねんなあと軽く流そうかと思ったけど、まじ五月蝿すぎて睡眠不足ですと。みんな怖すぎてびびりまくっていて、みんなの家にきて初めて部屋の鍵閉めましたみたいな住人もいますと。部屋に鍵かけられない部屋に住んでいるやつに至っては鍵取り付けてもらえませんか?と。

とりあえず、一体何があってそんな高笑いしているのか、自分もその現場に遭遇していないのでなんともいえないなあと思い、一旦流して夜を迎える。東京出張で疲れすぎていたのか気持ちよく爆睡する。

◆9月15日(火)◆
朝起きて、住人に昨夜はどうやったんや?と聞いてみる。朝っぱらから高笑いしまくってましたよと。聴こえてたでしょ?と。聴こえませんでしたと。

正直ね、住人が複数人、俺の部屋の下に位置する台所でワーワーはしゃいでたり、大勢のお客さんがワーワーはしゃいでる時の方がよっぽど五月蝿いし、何より俺もみんなの家に住んで最初一年は丹波君と同様母屋一階の四つ間に部屋構えざるとえなかったので、その頃の方がよっぽど五月蝿い。声が思いっきり筒抜けの隣で明朝まで宴会してる横で寝てた俺としてはよっぽど静かなのだ。

とりあえず、丹波君は足がないので当然休みの日も動くことができず、おまけに地理もわからないのでずっと家に居ましたと。どんだけのんびり構えとんねんということで、住人に仕事の時間を削らせて市役所とハローワークへ連れていかせることにした。しかし、大した成果を一切持たず帰ってきた。前職時代の営業として生きていた頃からすると外にでていって手ぶらで帰ってくるなんて考えられない愚行である。

この日の夜も爆睡。どんな高笑いも俺の耳には届かなかった。

◆9月16日(水)◆
朝。いつもの起きる時間に目が覚めると、下から謎の高笑いが聴こえる。おお、確かに笑っとんなと。朝っぱらからテンション高いやつだなと。部屋を出て下に降りると声が止まった。なんやねんと。

住人に昨日市役所に連れていく道中、どういう話をしたのか聞いてみた。
どうやらもう所持金がないようだと。は?なぜ?と聞くと、買い物したいからといってコンビニやらなんやらを寄ったそうだが、そこでの買い物がまあひどい。タオルないからとかいってコンビニとかで買い、あれやこれやを買い揃え、ご飯買いたいということでスーパーに寄ってみると、くそでかいカラムーチョとか買いよったんですわと。この金遣いの荒さと悪さからして、今の現状はなるべくしてなったなと確信に変わる。

◆9月17日(木)◆
朝一番に住人がハロワに連れてってやると約束していたそうだが、朝になっても丹波君は起き上がってこない。9時には出るぞゆうたやんけ!とキレて放置し始める。俺も俺でやることがたまり過ぎて相手できず。どうやら前日、歩いていけるこの界隈の求人を住人が一緒になってかき集めてきてあげたのに、一切連絡していない模様だと。
昼ごろにふらっと母屋にいってみると、部屋でずっとゲームしながら高笑いしてる丹波君を目撃。俺の中でこいつは救いようのないどうしようもないカスですなという認識に変わる。

◆9月18日(金)◆
住人からあいつ俺のラーメン勝手に食ってやがるんすよ!まじうざい!という報告を受ける。この勢いでお巡りさんに逮捕してもらうっていう荒業が閃いたが、一旦封印してもう少し様子をみることにする。兵糧攻めの観点で、さすがにお金もなくなって、家から食べ物もなくなったら動かざるをえなくなるやろうと。

◆9月19日(土)◆
昼前、事務所で仕事をしていると、外から謎の怒号が聴こえる。どこからやろ?誰やブチ切れてんのは?と思い、外に出てみると、母屋の風呂場から聴こえる。丹波君が風呂場で叫んでいる。まるで別の誰かに対して怒っているような口ぶりだが、何いってるのかさっぱりわからない。高笑いしている時もそう、何かと誰かとしゃべっている感じで笑っていたので、うつ病からこじれてこりゃ二重人格と独語症あたりになっておりますなという認識に変わる。

ここにきて怒号Ver.がでてきたというのは、以前までと比べて何が違うか?という話になると、明らか飯が食えてないということ。空腹がトリガーになってるのか。
ご飯を食べられない、空腹を満たせないことへのイラつきなのか、はたまたこの現状を打開できない自分へのイラつきなのか、それとも飯を与えない俺らへのイラつきなのか。よくわからんがこのまますんなり飯を与えるのも何か違うと思い、一旦放置。もし家の器物損壊が起こったり、人に危害を加えはじめたら遠慮なく俺の手で天国に送ろうと決意。ええ年こいたおっさんが甘えてんじゃねえよ!

◆9月20日(日)◆
朝、台所へ入ってみる。大分いろいろなくなってんのやろなーと思ったら、意外と残ってる。いや、むしろ、意外どころか、なくなったのはインスタントラーメンだけ。パスタ等はそのまんま、冷蔵庫の中にあったご飯のお供(肉みそ等)等の食材はそのまんま。いやいや、生活力なさすぎやろ・・・あるやんけ飯の材料なんぼでも・・・。隣の離れにいけば米も大量に置いてあるやんけ・・・。冷凍庫にうどんたんまり入ってるやんけ・・・。

ということで最悪なんとでも餓死は防げるので放置して地区の体育祭へ。

帰宅後、慰労会でもらってきた余りの弁当をそっと置手紙を添えて丹波君の部屋の前に置いておいた。この生活力の低さから餓死されても困るなあという方向の心配がでてきた為と、俺自身が大阪へでていかねばならずしばし放置する必要があった為。

◆9月23日(水)◆
大阪から移住相談者をひろって丹波周遊して夜帰宅。
先日置いていった置手紙の返信を台所で発見する。これとは違うやつだったんだが、お礼と謝罪の言葉が並んでいた。色々とややこしいやつだがまともな人格も確かに存在することを確認。

手紙その1

住人のうちの一人から、丹波君に飯を提供してやってくれないか?との提案がくる。飯を与えるのは簡単。しかし、与えられた環境からの脱却を自らの手で足で図ることがどんどん困難になる気しかしないので、軽やかにスルー。どうやらこの連休中、丹波君に飯をやってた様子を確認。優しいやつめ。でも、それが本当の意味の優しさになりえるのか?それは誰にもわからない。

この辺りから、あまりにも腹が減っている様子を見かねてオーナーが“草刈りとか家の手伝いをやったらご飯をやろう”ということを提示した模様。しかしながら1㎡分くらいの草を刈ってあるだけでなぜか全く完遂しない状況を発見。だめだこりゃということになる。

住人が、丹波君が自らの意思で仕事が探せるようにと、事務所にあまっていたパソコンをセッティングしてあげていつでもネットを使えるようにしてあげて母屋に設置。しかし履歴を見ても検索をかけた形跡が見当たらず、だめだこりゃということになる。

◆9月24日(木)◆
朝昼晩問わず、怒号が響くようになってきた。以前のような高笑いキャラがかなり鳴りを潜めはじめた。空腹によるイラつきが増しているのだろうと思われる。でもやはりここで満足のいく飯をやるのは違う。その前にそんだけ叫ぶ元気があったらはよ仕事と次の家見つけんかいボケ!

っていうか、なんでこいつの面倒を俺がみなあかんのじゃ!もとはといえば市役所どないなっとんじゃ!という気持ちが芽生え始めてきたところで市役所のお偉いさん方に報告しようという提案が飛んできてそうしてもらうことにした。すると速攻連絡があって、明日市役所の方々が保健師を連れてうちにくることになった。

なんやかんや、落ち着いている時の丹波君は部屋にこもり、ひたすらゲームをしているのを目撃、だめだこりゃということになる。

◆9月25日(金)◆
午前中に連絡があって、市役所の方にきてほしいということで、丹波君を車に乗せて市役所へ。初日以来、久しぶりのちゃんと面と向っての絡み。大体なんの話をしていてもお腹空いたしか言わないという結論に着地する状態。

市役所で面談。俺も同席する。13:30~17時過ぎまで。超絶な長丁場。最初の流れから、市役所の方々が根掘り葉掘りヒアリング。お腹空き過ぎて若干やさぐれているのか、終始丁寧な敬語を使い続けることができず大半タメ口をきく丹波君。

質疑応答が繰り返される中で、
・自分は親元を離れていてすでに自立している
・自立しているが色々あってなんでかいつも自分の気持ちとは裏腹に会社から切られる
・今は住むところもないしお金もないし借金しかないので支援してもらいたい
・実家は絶対に戻りたくない。親も年金暮らしで支援できる金があるはずがないし、これまで幾度となくもめてきたので自分が戻ることを受け入れるはずもない
・働く先さえあれば自分はなんだってやれるんだ(でもなぜかいつも外的要因でそれが阻害されるのだ)
・今は何をするにもまずはお腹が空き過ぎてやばい(ご飯ください)
という感じ。延々。

市役所の方々が『自立してるっていうのはどういうことを指していってるの?どこが自立しているの?』と突っ込んでいけばいくほど、横で聞いていてだんだんイラついてきているのがわかる。

なんの逆ギレじゃボケ!と俺が突っ込んでしまうと四面楚歌になってしまってもはや本音が行方不明になってしまいそうなのと、ここまでずっと丹波君の話を聴いていると、本人の中で闘っている空気を感じる。真っ当に生きていかなければいけないと考える本来の丹波君(ある程度丁寧な口調で話せる)と、どうしようもない丹波君(常に喧嘩口調、敬語皆無、キレキャラ)と。常にせめぎ合っている。

過去に遭遇してきた二重人格者さんたちも同じようなところがあるが、どうしようもない現実から逃げたいでも逃げられないという環境下の中で、本来の自分とは違う自分を創り出して現実世界を生き抜くためのバランスをとっている傾向があり、本来の丹波君も弱すぎる自分を恥じている側面があり、それを補う形で強い(けどどうしようもない)丹波君を形成しているように見受けられる。

それは大体の場合、このように色々状況の悪い方に詰められていくと、パッと見は本人そのものがイラついてきているように見えるが、それはよくよく観察してみると、少しずつ人格がチェンジしていくようにも見える。

途中、だんだん口調が粗くたくなっていくと同時に『あ~だんだん腹立ってきた。なんなのまじで。あ~頭痛い。頭痛くなってきた』とかいって席を外す場面も。

ただ、なんでかここまでずっと俺がそばにいる時(他のやつはどうだったか知らないが)はそのあかん丹波君は表に出てこない。今回のようにうっすら出てくることはあるが完全に入れ替わったことはない。先述の通りせめぎ合ってる感じで。先日も、家の下から高笑いが聴こえてきた際も、下に降りると声がおさまるのも、恐らくそういう環境だったんだろうと思う。このスイッチをOffにしやすいのが、誰も入ってこないであろう自分の部屋と風呂場であったんだと思われる。

そういう感じなもんで、横で聞いてる俺としても、ムカついてきたとか何ほざいとんじゃコラ!みたいな怒りが込み上げてきたり、あ~なんかまともな自分もおって闘ってんのかなあという謎の同情みたいな気持ちがこみ上げてもきてみたり、なんとも言えない感情が次々に自分の中にも湧いてきてもうなんだかよくわからないけど、とりあえず話を聴こうと終始何も突っ込まず聞くことにして。

とりあえずこの時点での状況を整理すると以下。
・所持金ない
・携帯電話がお金払ってないので電話ができなくなった
・私服(おまけに夏服)しかない
・足(車、自転車等)もない
・借金だけある
・家もみんなの家に居候(家賃払ってない、手伝いもできてない)
・実家には帰り辛さがMAX(これまでももめてきた、親に苦労かけすぎ、親もようやくの年金暮らしでお金ない等)
・本人の理想としては一時的にでも飯がちゃんと食えて仕事の斡旋等、自立を支援してくれるところであればどこでもいい

例えばここから、仕事を見つけるにしても、歩いていける範疇は限られまくってる&髪の毛ボサボサ&私服(夏服)しかないのに面接いっても受かるもんも受からないしそもそも履歴書すら買えないから応募すらできない。その前に今の精神状態だとどんな住み込みで働ける先があってもまともに受け入れてもらえない。住むところも住民票が他府県にあるので書類取り寄せるにもお金がない。日々生きていくための飯が食えない。

要するに、詰んでる。完全に。

誤解がないように言っておきたいのは、丹波市としても別にここまで相手する必要がどこにもないということ。たまたまふらっと寄られただけで、家がないんですといったところでへ~そうですか頑張ってね~で終了なのがもっともな筋。支援する道理はどこにもないから。今この瞬間にこの世を去っても丹波市に戸籍がない以上人口減にもならない。

それでもあえて、こうして手を差し伸べているのは関係者各位のただの良心。

この状況で最善と思われる策としては、満場一致で実家への強制送還であった。この市内に本人の望む自立支援を行う組織がないからだ。当然の、当然すぎる帰結。

これ以上の手をとられるのであれば一時的にお金を負担してでも実家へ送り返してやって、その後親からでもその費用を負担してもらったらこちらとしては一件落着でしかない。しかし、丹波君本人は実家には帰りたくないし、その選択肢はないんだと豪語する。現実を見んかい!お前に選ぶ権利すらないんじゃ!という状況でダラダラと時間が過ぎていく。

しかし、終盤にかけて少しずつ変化が起きてくる。実家に連絡をこちらが勝手にいれるのは構わないという。

そこでまずは最近まで連絡をとっていたという妹の電話番号が明らかになり、市役所の人が電話をする。しかし繋がった相手はまったく別の他人だった。ここまで来るともはや何が本当で何が嘘かもわからない。

次は実家の電話番号を教えてくれた。市役所の人が電話をする。何度か荷電するもでない。合ってるのかどうかもわからない。ただの不在かもしれない。しかし、何もかもはっきりとわからない。本人の口からはもうお腹空いたしかでてこない。

あげくの果てに『いや~、もうどこにもいけないんだったらもういっそのことなんかやらかして逮捕とかしてもらった方が安心できるところにいけるんじゃないかなあ』とか言い出す始末。それは自分でいうべきセリフではないのだ。

とりあえず帰ろか・・・

この日は金曜日。親からもし折り返しがあってもその時間にはもう市役所は閉まっていて誰もでないだろう。終わった。完全に終わった。途方もない時間の無駄使いのような結果になりしぶしぶ家路に。

『すいませんね、なんか』と丹波君は言う。
『しゃーない。なんかよくわからんけどしゃーない』といって帰宅。

とりあえず事務所に帰り、ほったらかしの事務作業を着手。しばらくすると丹波君が家から出てきて事務所に向ってきた。

『これ、親の連絡先っす』

といって自分の携帯電話を差し出して電話帳に登録されていた親の番号を見せてくれた。“おや”と登録されていた。親父なのかおかんなのかもよくわからないが、さっきまで市役所で言っていたものではなかった。

『ありがとう、助かるわ』というと、『ういっす』といって戻っていった。
即刻この一部始終を市役所に伝え、市役所からこの親の番号に連絡してもらった。しかし電話はつながらなかった。

一体どういう親なのか?話してみないことにはわからない。でも、こっちもこっちで皆待ったなしの状況になってきている。どうしたもんか。とりあえず翌日は友人の結婚式二次会で大阪。日曜日も朝から晩までうちを盛大に貸し出す予約が入っている。

この飢饉の中でいさせると、万が一来客にくってかかっていってしまうかもしれない。とりあえずこれまでの状況を見ると飯さえありつけれていればワーワー騒ぐ以外のことはできないであろうから、二日分の食糧を購入し、部屋の前に置いた。置いたら、すぐガラッとでてきて『飯すか?!それ飯すか?!』といって出てきた。
俺は一体何を飼っているんだろう?というものすごく複雑な気持ちになったが、かつてない謎の後ろ髪をひかれながら大阪へ向かったのであった。

◆9月27日(日)◆
朝一番から氷上西高校で行われた地域教育フォーラムに参加して、昼飯を食った後帰宅。家ではBBQイベントを行っている皆様がわんさか。この日京都から遊びにきた友人を他のところへ連れていくべく夕方前に家を後に。

この間、ちょうどたまたま地域フォーラムにゲストできていた方が大阪を拠点にホームレスの自立支援を行っている方で、何かお手伝いできるかもしれないということで丹波君と面談してくれた。もしかするとお金の面やら工面できるかもしれないと。

日が沈む頃帰宅。BBQを主催していた方々からイベント中に丹波君が突然母屋から出てきて『何か食べ物はありませんか?』と聞いてきたので残り物をあげたと。もはやそこまでの領域に達してきたかという感じであったが、家の中で高笑いしてたり怒鳴り散らしていることがあってすごい怖かったと。

他にも村の女の子がたまたま家の方に遊びにきていてその高笑いを聴いて怖がって帰ったとか、お隣さんが怒鳴り散らす声を聴いて何事や!ということになっていたり。ついに家の中だけの話ではなくなってきてしまった。そして二日分として渡していたご飯をもはやちゃんと二日間生き延びるようにと考えて食いつなぐ発想すらない。

これで明日、親と連絡つかんかったら、もしかしたら強硬手段をとらざるを得ないかというようなことを考えていた。

◆9月28日(月)◆
朝一番に市役所から電話。丹波君の親と連絡がついたと。最後もらった電話番号がどうやらおかんだったようで、それを知った親父さんから折り返しの連絡をくれたと。そして今うちにいることを伝えると俺と直接連絡がとりたいということであったので連絡先を伝えてもらい、電話がかかってきた。

親父さんはとてもまともな方で、受け答えも真っ当。その中でここまでの丹波君から聞いた経緯をお伝えすると、親父さんも本人から聞いていた内容と全く一緒だと。

ここから昔からの様子を伺うと、彼が20代くらいからずっと今と同じような鬱の症状が出ており、親としては大人になって結婚するまでの間、あの手この手を尽くしていたがどうにもならず、心底まいっていたんだと。結婚を機に家を出ていったことでようやく人並みの家庭の生活が送れるようになっていたと。

金曜日から電話がかかっていたのはおかんの携帯電話であったが丹波君からじゃないかというのを勘付いて電話に出ることができずにいて、その話を親父が聞いて折り返してきてくれたと。

ここで、正直な話、こっちとしては別に親が考える理想なんぞ聞く耳ももたず問答無用で丹波君を実家に送り返せばそれで済む話だったが、一旦どういう対応が理想か聞いてみた。

すると、

『ぶっちゃけこれまでの間で心底疲れてしまっていて、戻ってこられてもこれまでもどうにもできなかったから戻ってきてほしくない。ただ、そうはいっても家族の問題であるし、自分の子供が色々周囲に迷惑をかけている状況であるので戻ってくるとなればそれは仕方ないし親の責任であるので受け入れる。そちらで費用がかかっているのであれば年金暮らしで全然余裕もないけどそれはなんとかしてお支払いしますし、病院や施設に送る必要があればその費用も工面する』と。

この回答を伺った瞬間、心底どうしようもない親じゃなくてよかったと安堵した。

ここまでの要点を整理すると以下。

・親も丹波君も実家で一緒に暮らすのは避けたい
・親もそんなに裕福な状態じゃない
・ただ丹波君はもはや何かしらの支援を受けないと自立不可能
(病院に入院するにも施設に入るにもお金がないからこのままだと入れないので生活保護を受けるか親から仕送りがないとどうにもできない)
・丹波君は働く以前の支援が先に必要

ということなので、関係者全員がハッピーになれるのはまず第一になにがしかの支援を受けて病院か施設に入って一時的療養後住み込みで働ける先を見つける。
無理やったら仕方なく一旦実家へ強制送還。ただ、さくっと支援してさくっとまた出ていけるようにしてもらう。

こういう風にできたらええですねと。ただ、そうはうまくいかないかもしれないけどという感じで一旦終了。

午前中に一本別件のアポがあったので猛烈ダッシュで春日へお伺いし、猛烈ダッシュで戻ってきて今度は市役所と打ち合わせ。

午前中の親父さんとの電話内容の共有と、対応策としての最善策の共有。

ここで市役所からでてきた提案としては、神戸にある自立支援のNPOで、カプセルホテル等に住んでもらいながら(ここに関しては一旦市役所が負担して、後日親等へ請求)毎日活動資金(食事代込)が提供され、就職する先も斡旋してくれるという先があると。もうなんだったら今日中にNPOに連絡をとって市役所側が丹波君をそこまで連れていきますと。これが出来うる最大限の提案ですと。

先述の理想論から考えると、親が負担せざるを得なくなることと、何よりも事前にまともに働けるようになるための支援がないことに関し100点満点の対応ではないが、繰り返すとそもそも丹波市役所がここまでして対応する必要性はどこにもないということと、うちもうちで対応を受ける道理がどこにもないということと、結構自分以外の周囲がびびりすぎちゃって色々面倒なことになってきていること等を考えると、これが現状の最大限できることなのかと。しゃーない。妥協はあまり好きではないが、しゃーないのかと。

じゃあ早速話しますかということになり、丹波君と市役所一同、そして俺との面談に突入。

今回用意した支援の内容を説明。支援の内容についての質疑応答。

このあたりで『どういう支援を希望されますか?』と市役所から話を振ったあたりから段々ややこしい話に発展。1人がやや高圧的に質問を投げかけるのでまた先日同様丹波君は横でイライラしはじめ、だんだん口調が粗くなっていく。

俺はもう自立してる→どこが自立なの?自立ってどういう状況のことを指すのかわかってる?どうやって自立するの?→そうだな、具体的には考えてないけどパン屋さんとかいいかな。→パン屋?!あなたパンとかつくったことあるの?ないでしょ?それどうやって勉強するの?あなた今お金もないよね?家もないじゃない?誰かの支援を受けないといけない状況なのはわかるよね?→いやいや、家はあるよ。→どこにあるの?!あなたは今みんなの家さんのご厚意で家に居させてもらってるだけ。あなたの家じゃないの。→確かにこの家は俺の家じゃないが俺はここに住んでる。家はある。→あなた家賃も払ってないでしょ?それは住んでるとはいわないの。所持金もないし、家もない、どうしようもなくて支援をお願いしてるんでしょ?!→なにいってるんだ、俺は家がある。家がない?ふざけんな腹立ってきた。→etc etc

どんどんどんどん、詰められていく。あれ、なんでこんな詰める必要あったんだ?ってくらい、詰められていってた。そしてどんどん口調が粗くなり、態度が悪化。

あげくの果てに今回の提案より昨日きた人の提案の方がいいな、あっちにするわと言い出し、早く昨日の人呼んで!電話できないから早く電話して!と言い始める。市役所の人に昨日きてた人がどういう話をしていたのか、俺自身も詳しく知らなかったので誰?何の話?みたいな空気になり、

『いやいやあのね、昨日大阪で“ホームレス”の支援やってはる人が来てね云々』

と市役所の人に説明しようといった瞬間、真横で丹波君の顔つきが明らかに変わる。

丹波君『ホームレス?ホームレスっていった今?何?どういうこと?意味わかんない。家はあるっつってんだろ!!』

俺『いやいや、あのな、昨日きてた人の説明しただけで、別にお前に対してホームレスやなんてゆうてへんやろ』

丹波君『俺はホームレスじゃない!昨日の人そんなこと一言も言わなかったよ!どういうこと?!まじ気分悪い。ねえ、ホームレスとか言われて気分いいやついないよな!何いってんのまじで』

俺『あ?だから、あのな、聞いてんのか人の話てめえ』

にらみ合うこと1分程。実際はもっと短かったかもしれない。でも妙に長く感じた。

即座に俺の拳が飛ばなかったのは、ただ単純にここまでこんだけ面倒みてやってたのにというなんだか裏切られた気持ちというよりは、確かにそれもあったがそれよりもあんだけ俺にちらつかせていたなんとかせなあかんともがいていた側面であったり、親元に帰りたくないのも自分が原因であることがわかっていてこれ以上迷惑かけられないと思っているそぶりを見せていたあの時の態度や雰囲気はなんやったんやっていう途方に暮れる感というか呆れたというか、色んなもんがワッと押し寄せてきて即座にしばかなかった。俺は元々超絶短気なのだ。売られたケンカはもれなく買う主義だ。しかし、買わなかった。無意識の判断だった。

お前(横暴な方)じゃないでしょ、と。

一触即発の空気感が母屋中を包み込んだところで、市役所の人が仲裁に入り、もういいじゃないですか、一旦神戸のNPOで支援受けられたらいいじゃないですかと。そこには一旦家もあって食べ物も支援してもらえて、仕事も探してもらえる。今よりは環境的にいいじゃないですかと。ここまで今すぐにでもやって差し上げるというとんですよ?!と割って入ってくれたおかげで、お互いに落ち着きを取戻し、じゃあそれでということになった。

部屋に置いてあった荷物を片付ける間に一度市役所に戻り準備してくるということで面談は終了。心底疲れて事務所へ戻って〆の作業をやることにした。

ぐったりしながら作業をしていると、そこへ母屋の方からとことこと丹波君がこちらへ歩いてくる。そこに車でさっそうと、前日に丹波会Tシャツを郵送してあげたO野君まできた。なんやねんもうややこしいねんもう。

丹波君の口から飛び出した一言目はこうだった。

『すいません井口さん。先程はついカッとなってしまって・・・申し訳ありませんでした。お世話になりっぱなしなのに』

意外だった。
反射的に『ええよ、別にもう。よー耐えれたな、あの状況で』って言葉が出た。丹波君は静かにうなずいた。

二人して事務所前に座り込んだ。どうしてもホームレスっていう言葉が嫌いなようで、ホームレスという言葉がきっかけでキレたことに関しての弁明をやたらゆっていたが、もう詳しくは忘れた。

これからどうしたらいいですかね?と聞かれたので、今の現状を踏まえて、神戸にいったあとどういう動きをとればいいか考えうる最良の手立てを伝えた。

わかりました、ありがとうございますといい、荷物の整理へ向っていった。30分後、市役所のお迎えの車がきた。

その間、自分でもよくわからないが手紙を渡すことにした。行きの車の中で呼んでくれといって渡した。内容について自分でも何か意味があったのかなかったのか今となってはさっぱりわからないし、丹波君がどう受け取ったのかももはや知る由もないが、彼と彼の家族の皆さんには、これからしっかりと生きていって人生を全うしてもらいたいと思う次第。

手紙と一緒に、せめて最後くらいちゃんと飯をやろうかと思い、先日BBQでもらったおすそ分けのお寿司的なお弁当をやろうかと手にとっていたが、それは結局渡さなかった。気持ちよく次へ飛び立ち、気持ちよく次で生きていってほしいと思った。

手紙-724x1024

最後に。

今回の件については、ややこしいやつがきおってなっていう笑いのネタにすればそれはそれで終いの話。
でも、なんとなく今回の件については途中で投げたくなくなったというか、いつ誰のもとに起こるかもわからない、でも確実に目の前で起こった事件としてここに記しておきたくなった。

親父さんとの会話がまともだった時点で、これは親がまともであれば子供はこうはならないという次元でもなく、今は平穏に過ごしている家庭でもいつ何がきっかけで子供がこうなるかわからないという波乱を含んでいて、おまけにもし万が一自分の子供が今回のような流れにのまれた時、世間はそんなに対応してくれる先ばっかりの平和な世界か?と問われれば、即答でYesとは誰もいえないはず。

市役所の対応としても、これは同じ市内の人からみれば100点という人もいれば、0点という人もいるやろうし、市外の人でもそれは同じ。

賛否両論しかないと思う。
でも、俺からすると、今回関わっていた関係者各位はまじ最善を尽くしたと思っている。

なので是非、これを読んだ皆様には、自分だったらどうしてたか?これからこういう事態に遭遇したらどうすべきか?を、一度真剣に考えていていただきたい。

人間、土壇場で本性がでる。
逃げるやつ、避けるやつ、敬遠するやつ、知らんぷりするやつ、あーだこーだ文句だけゆって手を汚さないやつ、いい顔するやつ、こそこそ隠れるやつ。

どういう人間でありたいか?どういう人生でいたいか?
深く考えるきっかけになれば幸いです。

3 thoughts on “あなただったらどうする?

  • 2015年10月5日 at 9:43 PM
    Permalink

    井口君、ご苦労様でした。
    色々な問題が起きそうな時、逃げるのが一番、何事もなく過ごせるけど、時間がたつと自分にも何かできたのではないかと反省と後悔が付きまとう。
    僕も、いろいろな事と関わり合ったけど、そのお蔭で人間的には少しづつ成長したのではないかと自分分析をしてみる。
    但し、今思えばいらん苦労もしてきた、人の為、自分の為だったのかもしれないけど、今回の記事を読んで少し考えたのは、もし自分だったら、先に両親に連絡が取れれば、少しは安心して受け入れして最終的に両親に責任を・・・なんて考えてしまう。
    ホームレスや、生活保護を考えたりかかわっている団体なら色々対策など知っているのだろうけど、井口君そこまでようやったと思う。
    情だけではない、尊敬します!

  • 2015年10月5日 at 10:46 PM
    Permalink

    よくそこまで対応されましたね。
    いらだちながらも誠実に支援していただいて感謝します。
    間違いなく性格破綻していますね。食事が身体も心も壊していきます。
    まだ病気になっていないほうが不思議ですが時間の問題でしょう。
    間違えば犯罪になる危険性も。逮捕されれば食べて住めるという考えに。
    だんだんこのような人がふえています。添加物などの影響を感じます。
    仕事は無理です。
    そこで掃除や雑用もする気もないのはすでに正常ではありません。
    できたら野良仕事で救えるかなとおもいますがその機会を与えられてもしなかったのですね。
    人間社会では無理でしょう。できるなら自然の中で身体をつかって働くことで改善されないかとかすかな希望です。農作業で食と住まいがあれば理想ですが農作業の選択技が本人になければどうにもなりません。
    病人として扱ってもそれは薬漬けの廃人になる方向です。自然が癒してくれるしか。
    そこにいる間そう

  • 2015年11月5日 at 12:49 AM
    Permalink

    井口君、お疲れ様でした。これ以上出来ないくらいの対応ですね。それより何よりその我慢強さに敬意を覚えます。市役所が「みんなの家」を便利屋に使うことがないように注意しておきます(^_^)

Comments are closed.