決断までの経緯


いやはや、毎日バタバタしてる間にあっちゅーまに時間が過ぎていきますな。気づいたら棺桶の中に入ってそうやでしかし。

あ~ビールがよく回る~。
さて、今月から丹波にきている訳であるが、ここまでの経緯を書いてみようと思う。できるだけ率直に。できるだけ簡潔に。まあそれは無理か。

同じような境遇にいるやつがいるなら、ちょっとでも何かの参考になれば。

※以下、全て自分の偏見であり、他の誰かや何かを否定するもんではありません。予めご了承。
社会人になって、6年半働いて、新卒で入社した会社を辞めた。辞めたあと何するのか明確なもんは何も決めてなかったけど、とにかく先に辞めることにした。後になって思ったけど、別に辞める『必要』があったか?と言われるとそうでもないかもしれない。結局のところ、俺はやりたいようにしかやらないと思うようになったから。
新卒で入社する際、ひとつ、自分の中で約束というか決めごとというか、があった。一つは3年間は途中で何があっても辞めないっていうこと。あとは30歳までは、金に執着しない、金はあとは後からついてくるということ。
450人くらいの同期がいて、入社初日が始まる前に辞めるやつもいたし初日の昼休みにトイレにいったまま行方不明になったやつもいたり。最初の1年で100人くらいになった気がするけど、そんなことはどうでもよくて。自分との約束があったから。
ちょうど3年経つのが2009年4月。
その間に合併したり合併したと思ったら即座に分裂したり幹部連中は1年も上に居続けたことはなかったり、多くの人と出会って別れて。色々あったけど、それも辞める理由にはならなかった。約束とは関係なかったから。
今、同じように3年間、何があっても居すわるなんていう約束は絶対しない。3年間ってのは、短いうように聞こえるが長い。それまでに何かしらの結論を出してしまいそう。3年もかけるなら何もかもかなぐり捨てて1年死ぬ気でやる方を選ぶと思う。年を重ねてくると、だんだん金とかよりも時間が大切な感じがしてくる。
その約束の3年を迎える前、2009年に入ってあ~、もうそろそろ約束の3年やなあ、なんて考えてた。確か会社の経理関係で、計上の仕方が変わったせいで過去にまで遡っててんやわんやしてる間に年度末を迎えてたように思う。そんで、とりあえず人材紹介の会社に登録して、面接を受けた。最初の転職活動。
この当時、リーマンショックかなんかで求人が激減してた時期で、知り合いの人も切られたり辞めたりがあった時期。ピークだったころに比べ関西圏内でも求人数が20%くらいになってるっていってた。
そんな中、これまでの延長線上のキャリアに進むつもりでいたから、医療業界とかの求人を出してもらってた。やってきた内容を見るとどこでもいけますよとか言われてた。けど、先述の忙殺っぷりで微動だにできないまま4月を迎えた。面談だけして、一歩も動けなかった。言い訳かもしれへんけどマジで動けなかった。
そのまま惰性のように4年目が始まり、もやもやしてた。このまま居続けてもしょーがないんじゃないかって。何か俺の手元に残るもんってあんのかな?って。続ける価値、続けることで手にするメリット、続けることで手にいれる未来。決して輝かしいようには見えなかった。
そんな時、同期の中で結婚したやつがいて、そんでもってガキができたってんで、エコーの写真なんかを嬉しそうに撮ってて見してもらった。
社内を見渡せばもう自分より低い給料で働いてるやつもいる、その中で嫁ももらってガキもできたやつもいて。そう考えると、自分は実に気楽なもんで。

辞めるのは簡単。目の前にあるリセットボタンを押すだけ。
築きあげていく方がずっと大変で労力も時間もかかるし一瞬たりとも油断もできない。ただでさえ、ジェンガのように支柱がスカスカになってきていて、自分達の肉を切って上に積み上げていってたような状況下で、スッと辞めていくのがどうもあかん気がした。自分の肩に乗っかってた貴重な売上、自分の見てた先の灯り。辞める訳にはいかん気がして、辞めるのを止めた。結局、一度も転職の面接にもいかず。

社内にいるどんなやつでも、5年、10年、20年先、30年先まで見える未来を、そんな会社に変えてやりたいなんて思った。そんな力もなかったけど、そう思った。継続性、安定性、生き残る為の革新性なんてもんを真剣に考えるようになった。
その後、GW前に残ることを決意して、GW直後に親会社さんが特大の不祥事を出してえげつないくらいキャッシュが飛んでいく事件が勃発し、出鼻をくじかれ。4月からうちに就任したばかりだった某取締役も、右も左もわからん状態の時やったのでてんやわんや。IRの資料もってあっちゃこっちゃに謝りまくる生活が続いたりしたけど、それは別にそれまでの生活に比べると苦でもなかった。決めた後だったから。

平日の時間がストレスフルに忙殺されていくと、どうしてもそのはけ口が土日に集中する。
ストレスがたまったからといって誰かに当たるなんていう器のちっちゃいやつにはなりたくなかったので、如何にして自分の中で消化するか、発散するか。それが本当に土日の時間だったかと思う。この辺りからカメラをネタに年に200箇所くらい観光してた。土日に本気やった。
誰かをはけ口にすれば、せっかく受けとめたストレスが鶏の原理のごとく世に伝染していくんじゃないかと。何より、自分の口から不平・不満がでている自分が嫌いなのだ。自分でいうのもあれやけど、自分は自分を好きでいたいので、自分が嫌いになりそうな局面をできるだけ避けたくなる。
沢山、人を見送っていくと、どんどん感覚がマヒしていく。すげ~大事な、手放したくない手を手放す度に感覚がなくなっていく。

同じ事を繰り返すようになると、このままずっと同じことをして終わるんじゃないかっていう感覚になっていく。
土日に本気になればなるほど、土日の為に生きているような感覚になっていく。一週間のうち、たった2日の為に生きているような感覚になっていく。一週間は7日間もあるのに。
2011年を迎えるころ、次第に穏やかになってきて、余裕がでてきた。余裕がでてきたと思ったらもう30歳が目前に迫ってきていた。また一つの節目がくると。
人的リソース(及び工数)がすべてのようなこの事業形態において、意図的に切り始めるような方向に傾いていく中、阿呆やなあ~とか、自分で首しめるだけってわかってるくせにやったらあかんでとか、そんなことを思ってたんやけど、そこにもう自分がなんとかしてやろうという気持ちがすげ~薄れてることに気づく瞬間があって。某先生が言った、諦めたらそこで試合終了ですよってセリフが頭をよぎることが多々。基本的に俺は諦めが悪い。諦めるくらいなら死を選びたいくらい、挫折するのが嫌い。自分が嫌いになるから。
諦めるか諦めへんか。そんなこんなを考えてる間に2012年になり。
もやもやと考えてた間に、また色々なことが起こり。

ずっと一緒にやってきた先輩がやめたり、やめさせたらあかん人材がいとも簡単にやめていったり、ずっと一緒に仕事してきた取引先の方々が転々と移っていったり。

GWに入る直前、これまでずっと誰ひとりとして噴火させたことがなかった自分のお客さん。噴火させて鎮火できず、ここにきて初めて対応を上に任せてしまったこと。明らかに自覚がある中で抑えるのを諦めてしまった。
発端自体は自分ではなく、俺とお客さんの間では契約継続でってことでしっかり話をして、ちゃんと書類等も収めてきたけど、それを社内の管理課がなぜか切ってしまい、取り繕う事ができなかった。それまでどんだけ意味不明な話で自分自身には全く関係がなかったとしても何かどこかでクレームがあがれば一生懸命謝って修復させてきたのに、ここで抑えきれなくなった瞬間を迎えた。会社から見ればたった一件の契約に過ぎないかもしれないけど、それをよしとしたくなかった、でもした。意地でも、どんな理由であっても抑えにおくべきだったかもしれない。あれはしゃーないとか、ああいう人やってなけなしの助け舟を出してくれる声を耳にするたびに、情けない気持ちでいっぱいになった。諦めるというのはやっぱり、実に始末が悪い。
それであっと言う間に6月を迎え、半ばにさしかかった頃、ふっと、何もやるべきことがなくなって暇になった瞬間があった。その時、辞めようと決めた。先に辞めると決めて、そっちに動かないとお客さんにも取引先にも迷惑をかけてしまうと思ったし、何より同時並行で次の職場を探すというのはどうしても自分にOKがでなかった。
やめた後、真っ先にうちにこーへんかと声をかけてくれた人がいた。真っ先にというか、実際はここ二年間くらいずっと言ってくれてた人で、俺の生命保険を担当してくれている会社の人。大学時代からの知り合いでもあり、尊敬する人でもあり、恐らくずっと長気にわたって色々愚痴を聴いてくれて、受けとめてくれていた人。
結論からいうと、最終的にお断りすることになった。
理由は二つで、一つは生命保険を今後売っていくことになると、お客さんとなる人と一生涯のお付き合いをしていく覚悟でもって販売責任をちゃんとになって売りたいと思ったが、どうしても自分が今後の人生全てをかけてその会社で働き続けるイメージがつかなかったことと、もう一つが、ずっと支えてくれていたその人の恩に報いたいと思って最終まで話がいったが、最後所長に『ほんまに入る気があるか?○○さんに誘われたからそういってるんじゃないのか?』と言われたその言葉が胸に刺さって抜けきれなかった。絵に描いたような図星だったんだと思う。

会う人会う人、その会社の人は本当にいい人たちで、こんな会社があるんやなって思った。どこまでも筋の通った会社であって、自分もそうなりたいと思った。でも、どうも目指す方向は一緒かもしれないが、ステージが違うかったんだと思う。別のステージで、その先で会いたいと思った。
9月末で最終出勤を迎え、10月末で有給を消化しきって完全に退職。10月下旬に突如以来された高校の友人の結婚式の幹事と、その後これまた急きょ話がきた先日書いた友人の選挙活動で、ちゃんと過去を振り返ってまとまらないまま11月末にさしかかることになった。
およそ転職活動を行うにあたり、二つの方向性があった。

まず一つ。
これまでのキャリアを積み上げていくという観点から、WEB屋さんか、医療か。9月くらいから何をどうして生きていくのか、割りかし真剣に考えるようになっていった。
真っ先に消えたのはWEB屋。
理由は、WEBの世界は別にその会社に所属しなくてもサービスが享受できることと、万人に共通してだれしもが手に入れられる知識だけで構成されていることで、そこにやりがいが見えなかった。何より変化の多い業界であって、どこか一つに所属することで変な縛りが自分に形成されてしまうことで逆に世間のスピードについていけなくなるんじゃないかとも思ったりした。
真剣に進めたのは医療。
理由は、全てが終わってからはっきりしたが、給料がいい。待遇が分厚い。それだけではないが、ほぼそれ。これまで関わりのあったお客さんや取引先とまたお付き合いできるってことも可能ならば維持したかったけど、結果的に辞めた。
もう一つの方向性。
好きなことをおもいっきりやる。それを仕事にする。田舎で。
俺には田舎というものが存在せず、両家ともに大阪の町であるので、田舎に関わりがなかった。毎年とある時期になると田舎の実家からみかんが届いたりするやつがすげーうらやましかった。
これだけ日本経済が揺らぎ、いつどのタイミングで今手元にあるお金がただの紙切れになるか、紙切れになるのを避けられるかなんて誰も答えられないような状況下で、これから先、本当の意味での安定だとか幸せだとか平和だとかっていうのは、どうやったら手に入るんだろうかってのを考えてた。

その究極の世界にまでなってくると、

『衣・食・住』

じゃないかなって。それでもその中で衣。
服なんてもんはいくらでも腐るほどあるし、ただただブランドもんのロゴマークが入ってるだけで自分の給料の3分の1くらいの金まで払っておよそ身の丈に似つかわしくないカバンなんかを持ち歩いてるような人がごろごろいる。本来あるべき機能性なんてものは一切ない、架空の『ブランド的価値』『高付加価値』なんてもんを振りかざしているだけの商品なんかもあったりするわけで。そういったもんは好きなやつが買えばいい。俺には不要やなって思った。
俺は、いいデザインのものだけでは嫌で、機能性に優れたものが好き。機能美ってやつなんかね。それがないと、あまり価値を感じないのだ。

あと住。
住も、そんなにこだわりがない。住めればいいとさえ思ってる。今がすでにそうやけど。
今後、日本の総人口は減っていくことしか予定されておらず、2030年までの間で人口が増えるなんていわれているのは滋賀県くらいらしいが、高齢化社会というのは当然にしてそれだけこの世をさり空き家が爆発的に増えていく。子供が爆裂的に生まれることは想定されてない未来に生きている。今の時点ですでに出来たての新築マンションが全室埋まらず悲鳴をあげているし、オフィスビルに至ってはすっかすかになってきている。ここに中古物件が絡んでくると空き家が増えていく予定しかない。
一戸建てを新築でたてたい!思い通りの家がほしい!というなら話は別かもしれないが、それでも家を『買う』という選択肢は、これからを生きる俺にとっては実にナンセンスな感じがある。いらへんよ、だって、余ってるし、余ってくるんやもん的な。3000万も4000万も5000万も払って一戸建てを買うことで、残りの人生の半分以上がそこへの返済で人生が終わって行く訳で、自分としてはそもそも願望を全て叶えきれないマンションを買うなんてのはもってのほかと思ってる。
またどっかの機会に書こうと思うが、過疎化が進む田舎ではそれがすでに顕在化している。値崩れの崩壊具合がえぐい。えげつない。仮に、あなたが都会に5000万円で建てようとしているその家、田舎では半額以下になるし、あなたが都会で賃貸で住もうとしているその家、田舎だったら5分の1くらいの値段でむしろ広くて立派な家に住める可能性が大いにあり得る。
最後に残るのが食。
これだけはやっぱり鉄板だと思ってる。金がなくても生きていける、最終兵器。ここに携わなければならない、関わらなければいけない。そう思った。いつまでも未来永劫変わらない、永遠に継続的に残り続ける価値。しかし、安全で安心な食べ物というのが実に手に入りにくい時代がきていて、ただ食に関わるだけでは未来永劫心から満足できる食を手にいれることは難しい。だから、自分の身をいつかどこかのタイミングで一次生産される土地へ移す必要があると考えていた。
ちなみに、こういう考えでいくと、医も大切だと思ってた。今の価値基準でいけば、本当はすでに

『医・食・住』

だと思ったりしてた。
医がないと、長きにわたって生きていくことが難しくなる可能性が高くなるから。

衣食住を用意できて、それだけで目の前にいる病気の子供が救えるか?
救えないのだ。これは、必要だと思ってる。そう考えていたら、最近こっちで全く同じことをおっしゃっていた方がいた。びびった。

だから、医療への選択肢は直近まで残してた。
しかし、転職活動を進めるにつれて、医療業界への志望動機を聞かれたり、会社への志望理由を聴かれたりして、それに取り繕ったように答えれば答えるほど、抜けがないほどに詰めて行けばいくほど、なんか違うという感覚が自分の中からわいてきた。特に人命に関わる商材を扱う先になってくると、こんな中途半端な考えをしている俺よりいった方がいいやついっぱいいそうな気がしてきた。俺じゃなくていいし、そこは俺じゃないのかななんて思ったり。
仕事に比べ、プライベートにおける好きなことへの取り組みというのはそこそこ充実してたと思ってる。
手始めに写真を極め、音楽が創れるようになり、映像が創れるようになり、そうしたプロモーションにおけるスキルを着実に身に付け、40歳くらいには自分の好きなものを好きなように、好きなだけ世に広めていけるようになりたいと思ってた。今も思ってる。
あと、これまでずっと、営業という職業について漠然とした不安がずっとつきまとっていた。
その不安としうのは、自分の中で営業活動というのは、ただただお客さんと会って話をするだけで、未来永劫にわたって必要なスキル・知識・経験がみにつくようには思えなかった。だって、お話してるだけやねんもん的な。俺は、ずっと営業だけでは生きてはいけないと思った。
そんなこんなを考えていた矢先、丹波での今の会社のボスが、ふっと声をかけてくれた。うちにこーへんかと。

ぶっちゃけ、それだけでは決断には至らなかった。
今後、人生のイベントして結婚とかもしたいと思ってるし、それには金を稼がなきゃいけない、子供もできれば養っていかなければいけない。今まで進めてきた医療の選択肢ではすでにこれまでより高い給料と分厚い手当が用意されている。安定もしているだろうし、定年を迎えるまでは揺らぐことのない業界でもある。ただ、その先々まで安定していけそうな未来に面白さを感じない。これまで通り、土日にはっちゃけて生きていくんだろう。そんなことを思った。
見えすぎた未来というのは、それはそれで面白さがなかった。でもダメな選択肢ではない。一つの正解であると思う。そっちも正解だから、悩むのである。

でも、いつか地方にいきたい。いかないといけないと思ってる。でも、今のタイミングなのか?5年後10年後じゃダメか?色々考えた。

他にもいろいろお誘いいただくこともあり。
大学の友人から『神様も思わず二度見することをやろう』などと声をかけてもらったり。おもろさで振り切るのであればいっそのこと独立しちゃうのもいいのかなとも思ったりした。
どっちにいこうか真剣に悩んだ。悩み過ぎて、人に悩み相談をするのが嫌いな俺が人生で初めてちゃうかってくらい人に相談した。めっちゃ電話やらで話聞いてくれた人らに心から感謝したい。ありがとう。

身近な存在には全部経緯も含め話した。姉貴にもおかんにも話した。率直に。どう思う?って聞いたら、難しいねって言ってた。そりゃそうやと思う。自分で選びなはれやって世界やから。

真剣に悩んでいた時、とどめの一発が飛んできた。
『井口君がくること想定して、井口君が入れるように家買うことにしたから』
・・・は?!

奇想天外な提案がきて面食らった。かつてない衝撃やった。アホちゃうかこの人っていう感じの。でも、それができる、できてしまうのだなあと。その他もろもろ、自分にとって色々、やりたいことが存分にやれるようにという条件を提示してもらったので、いくことに決めた。目先の給料が下がろうが、今住んでる地域を離れることになろうが、今のこの年齢のタイミングで、アホになれる環境へいこうと決めた。

何より、ボスとは選挙で初めて知り合って、お互いの自己紹介すらもまともに1時間もしていなかったし、お互い何してきたかなんてことも知らなかったし、おまけに俺の履歴書すら提出していない。昨日・今日でようやくはじめましてから1ヶ月くらいが経ったくらい。それやのによ~そんな提案できるなと。理解を超えた次元の提案。

おもろいだけの選択肢をとっていいのか?真剣に考えた。でも、逆にそれができるラストチャンスでもあるのかなと思った。
阿呆な方の選択肢とったなあ~って思った。周囲では30歳を迎えるにあたって結婚したり仕事も順調にやってて順風満帆にやってるやつもいるし、それもそれで正直めっちゃうらやましくも思う。でも、どうやら自分はそんなかしこになれなかったようで。

それが、先月末。そして今、もうすでにその生活が始まった。始まったばかりであるが、ストレスが一切ない。

思ってることと、行動が一致する人生っていうのは、実にストレスがない。そうやって生きていたいと思う。天職がどうだとか、そんな言葉では片づけられないけど、今はほんとにのびのびとさせてもらっております。
ここまで決断した後になってすげー思ったこと。
丹波にくるってのは、今までの全てをかなぐり捨てて、一切合財投げ捨てていくような覚悟が必要というか、そういう感覚でいたけど、今になって思うけど、全然そうでもない。だって、1時間半で元の生活圏に帰れるんやもんw

いやほんま、今はそう思えるけど、決断の直前はなんか、なんでか断腸の思いみたいな感じがあった。でも、そうではないし、これもまた後日書こうと思うけど、そうしたらあかんとも思う。都会と田舎は、行き来しなきゃいけない。どっちの在り方も身につけておかなきゃいけなくて、どっちかだけの生き方をすることは、求められてもいないと感じてる。
ここまで関わってくれた前社の関係者の皆様も、本当にありがとう。辞めたあとも色々声かけてくれたりするお客さんや取引先の皆さんもありがとう。なんとか生きております。そんな大変な感じでもないけどw
この二カ月、色々ご迷惑をかけた皆様、ごめんなさい、ありがとう。
ご友人の皆さん、先述の通り、しばらくはどっぷりこっちにいるけど、いったりきたりする予定なので、これまでと変わらぬお付き合いの程よろしくお願いいたします。遊びにきてね。

あ、高校の皆さん、毎年の忘年会、さすがに開催を保証ができるのは今年がガチで最後かもしれません。人数が全てじゃないですが、愉しくワイワイ飲みたいので、まだ悩んでるお方は是非お越しくださいませませ。
あかん、もうあかん!眠い!やばいもう深夜過ぎるやばい!眠いやばい!
おやすみなさい・・・zzz