シャドーワーク


このみんなの家では、一般的な家庭と同じく、数多くのシャドーワークが存在する。

※シャドーワークとは?
専業主婦などの家事労働など報酬を受けない仕事で、しかも誰かが賃労働をすることのできる生活の基盤を維持するために不可欠なもの。妊娠出産、子育てなどの再生産労働をこれに含ませる。鶴見和子はこれを「影法師の仕事」と訳したことがある。本来は消費社会化を支える隠された労働という意味合いで唱えられた。by wikipedia

◆掃除
◆買い物にいく
◆飯を作る・片付ける
◆洗濯する
◆ゴミをまとめる、捨てる
◆布団等を干す
等々

ちょっと具体的に、自分達の場合はどんな感じなのかを少し書こう。

だいたいこれまで平均して月に10日程、夜になにかしらのイベントがあり、その人数も大体10人前後が平均だとする。

まずはイベントの日の話。

今はもう、ある程度それなりに作ってきた経験があるが、まずどんな飯を作るか?を考えるor調べる必要があり、パッと決まれば10分もかからず、ちょっとこったもん作ろうとか思えば30分程はかかったりする。

せっかく家にこられるお客様方にはできる限りええ飯を作って出したいと思うのが人情なので、近くのスーパー以外にも地場野菜の直売所にいき、養豚農家さんが直売する店にいき、他の肉が必要であれば肉屋さんにいき、そしてスーパーに寄って帰るという買い物ルートが多いのであるが、ざっといって買い物してってするだけで1時間~1時間半はかかる。

スーパーでの買い物にいたっては、10人を超えるイベントの際はカゴ二つ分は買うので両手いっぱいの袋を手で持って車まで向かうことになる。
当然の事ながら、人数分の量を仕入れて持って帰らなければならない。食材も、飲み物も。
買い物は基本これまで、徴収する参加費の合計金額のピッタシカンカンを狙って買う実費くらいを狙っていて、それだけの素材を調達するように心がけていたり。ただの家だからね、今は。

そして調理の時間もこれまた何を作るかによるが、鍋等のまとめて出してはい終了みたいな場合はだいたい1時間前後。大皿料理等小出しに作っていく場合は大体2時間程。

使う部屋にいたっては大体いつも母屋一階の広間で、使うスペースとしては8畳×2部屋分くらい。掃除機かけて机の上拭いてってしてたら大体30分弱。

片付けに関しては使った食器を洗って拭いて食器棚に直してゴミをまとめてってしてたらだいたい30分くらい。

ここでさらに、宿泊する人がいるとなれば、事前に布団を干しておいたりする必要がでてくる。人数分。シーツの汚れがひどかったら洗う。
翌朝、片づけが終わってなかったら片付けをし、前日泊まった人らがいればその片付けと使われたタオルなんかの洗濯をする。

集まる人数が20人を超えてくると、自分の部屋の荷物をすべてとっぱらって掃除をしたりまたもとに戻したり、買い物や片付けの量も単純に倍になり。

大体こういう流れ。
使う時間は4~5時間くらい。

食材買ってくるときに翌日以降のストックとかできれば話は別だが(当然できる分はしてる)、ここ数か月は暑い日が続いているのでストックや作り置きというのはできるだけ避けて通ってきた訳で。食中毒者とかでてないのがある意味奇跡w
当然イベント以外の日にも、普段の自分の洗濯や部屋の掃除、共用スペースである台所の掃除や片付けや風呂掃除やトイレ掃除、庭の雑草むしりや育てている野菜への水やり等々。
最初にも述べたが、シャドーワークは、専業主婦などの家事労働など報酬を受けない仕事で、しかも誰かが賃労働をすることのできる生活の基盤を維持するために不可欠なもの。

つまり、家の住人にあてはめてみると、それぞれがそれぞれの生産的活動を行うにあたり、それぞれがそれぞれの生産活動を支える為にこの家の抱えるシャドーワークを消化していく必要がある。今の時点では全員独身貴族であり、家の中に専業主婦はいない訳である。

家というものに人がいる限り、生活する限り、必ず発生するこのシャドーワーク。
自分がまだ実家にいたころなんかを考えると、親にありとあらゆるシャドーワークをお任せし、自分はただ作られた飯を食って、洗ってもらった服をきて、掃除してもらった部屋でぬくぬくと過ごし、時に小遣いをせびって、時にあれが食いたいあれがほしい等と要望まであげてってしてた訳で。

“井口家”という一つの人格に対し、微々たる賃労働(要は家に金を入れるってこと)しかせずにいた訳であるが、誰かが賃労働を行う(基本的には外にでて仕事をしお金を稼いでくるという事象)為に、家では様々なシャドーワーク(朝飯を作る、晩飯を作る、洗濯物をする、シャツにアイロンをあてる、風呂を入れる、掃除する等々)が発生し、それらは必ず誰かしらの手によって行われる。

一昔前の日本のように、旦那は外へでて賃労働をし、嫁は家で専業主婦という名のシャドーワークを行うという構図が、今や共働きが逆に普通のような世の中(個人的な実感値。周囲で専業主婦してる同年代以下が少ないと感じている)では、どちらかにだけ一方的にこういったシャドーワークを押し付けたりするというのはもうそぐわないのだと思う。

シャドーワークは、“生産性”という観点からだけで見ると、遣り甲斐もくそもない作業。ただただめんどくさい“必ず誰かがやらなあかんこと”。
家がもし、“生産性”を求めていくのであれば、如何に効率的に効果的に迅速に、協力し処理していく必要があり。また、逆にシャドーワークを賃労働に変えるといった工夫が必要になったり。
家がもし、“生産性”以外の何かを求めていくのであれば、もっと別の処理の方法があり。

自身が、いずれかの家に所属し、何かの賃労働を行うにあたり、裏で発生してくるこのシャドーワークの存在をしっかりと認識し、それらを自分以外の誰かが処理してくれているのであれば、それらはやはり感謝すべきことと感じていて。
一人暮らしであれば全て自分でやらなければいけないこと。それが複数人が住むことによって、本来自身が処理しなければならなかったことを代わりに“やってくれてる”訳だから。
そして今後、この家のシャドーワークはどんどん増えていく計画にあり、種類も多岐にわたることが予想される。
自分としても今以上のシャドーワークを行うのは難しい。

ちょうど今、色んな方向性をまとめている時期。

うまーいこと、消化していく方向にしないとね。
最後になりましたが、いつもなにかと手伝ってくださる皆様、ほんとうにありがとうございます。心の底から助かっております。