問いの見直し
思うところを1つ。
最近悩み相談を受けてて、やたら悩んではる場合に客観的に見ていると、
“なかなか答えのでない禅問答的問いを自分に投げかけている”か、
“答えのない問いを自分に投げかけている”かのどっちかが大半を占めていて。
例えば前者(フィクションです)、
“なぜ人は恋をすると盲目になるのか?”
⇒知らんがな脳科学者に聞け、以上。
後者。
“A案とB案、どっちを選べばうまいこといくんだろうか?”
⇒やってみなわからんがな、1秒以上先の未来のことは預言者に聞け、以上。
例えが適当すぎて若干不安ですが
僕自身、短絡的で楽観的な性格をしていると自負しているので、パッとわいてくる回答はそういう感じになるわけですが(←せっかち代表)、
悩んでもしゃーない問いは後回しにするか、くっそ暇な時に考えてみるか、どうしようもなく他に何もすることができない時にもの思いにふけってみる(ランニング中頭の中が暇過ぎる時とか)とか。でええんちゃうかと。
少なくとも、夜とか心身ともに疲れてる時に真面目に真っ向から取り組む問いじゃないんじゃないかと。
哲学者になりたいとか、悟りを開きたいとか、解脱したいとか、悩んでる自分が大好きとか、預言者になりたいとか、暇つぶしたいだけっていうなら話は別でそれはそれはもう盛大に頑張れって感じですが、
そうじゃなくて、リアルに悩んでいて、まじでどうにかしたいんだったら、問いを変えてみたらいいんじゃないかなと思う訳です。
もっと簡単に答えのでる問いに。
真っ直ぐで見通しのたつ問いに。
例えば、
“A案とB案、どっちを選べばうまいこといくんだろうか?”
↓
“A案、B案のメリットとデメリットは?”
“A案、B案をやることでそれぞれどんないいことがあるのか?”
“A案、B案をやることでどんな自分になるか?”
“A案、B案をやらないことでそれぞれ何か失うものはあるか?”
等
これまで30数年間生きてきて思うのは、
世の中『1+1=2』みたいな事象は皆無に近くて、“答えのようで答えじゃないような答え”とか沢山ある訳です。
おまけに、実際のところ、答えは一つでなくて無数にあったりするから余計ややこしくなる。
その答えがどれも、100点満点でいえばどれもだいたい100点ではなくて30点だったり、40点だったり、50点だったり、また3点みたいな答えもあったりするから。
思いついたのが“微妙な点数の答え”だったりするから、その答えは“答えじゃない”っていう認識に知らない間にすり替わっていて、答えがでてないなんていうことに陥ってたりする。でも、それはちゃんとした答えなんじゃないかと。
どうしても彼女にしたい女の子がいます。
じゃあ、『どうすればお付き合いできるか?』と問えば、
“デートに誘ってみる”“いきなり告白してみる”“誕生日にお祝いしてあげる”“何か手伝ってあげて気を引く”等、いろんな答えがでてくる。ちゃんと。どれも立派な答えとして。
でも、どれもしっくりこないとする。100点満点の答えではないような気がして。
でも、この問いによって、ちゃんと答えがでてきている。それが微妙であったとしても。
随分と前から、
“正しい答え”なんか皆無に近くて、逆に
“正しい問い”は存在する、と思っている。
『どうすればお付き合いできるか?』
この問いは、正しい。ちゃんと答えがでてきているから。
ただ、その答えが微妙なだけ。
なんでか、答えにだけあってるあってないのメスが入るのに、問いに対して正しいか正しくないかのメスが入りにくい。
その問い、見直してみたらいかがでしょう。