夢の描き方


『最近、飲んだり話したりしてる時、おもんないやつ多いんすよねー』

ということをいう人に、三日連続で出くわした。三人とも別人。
なんのデジャブやねん。

おもしろい、おもしろくないという次元の話は結局のところただの個人の主観なので、“はいはいそうですか究極の話関係ないから別にほっといたらええんちゃう?”で終わりの話ではあるが、さすがに三日連続別々の口から聞くと、何かただ事ではないような気がするのでちょっと考えてみようと思う。

どういう話がおもんないという話なのか?ということになると、
今更何も変えることのできない過去の話をうじうじ語ったり昔の自慢話に浸りまくってるような話とかをするやつとか、
今のことを恐ろしく悲観的な目で見ていて口からでてくることは文句や愚痴、不安等しか出てこないようなやつとか、
未来の話が全くでてこないか、お先真っ暗な話しかでてこないやつのことを、おもんないやつと言ってる感じで。ここんとこのお三方。

要は、“夢のない話ばっかするやつがおもんない”ということなんじゃないかなと。

“夢”という言葉は結構曲者なので、定義づけておくと、一旦ここから夢というのは=理想・希望ということにしておこう。

“夢のない話ばっかするやつがおもんない”というのは、夢を語らないか、語れないかということになる。

夢を語らないというのは、夢を語ることが嫌か、他に何か話したいきいてほしいことがある場合か。
夢を語れないというのは、過去と今に引きずられていて語る余地と余裕がない場合か、そもそも夢の描き方(語り方)がわからない場合か。

ここで、なんとかできそうなことというと、夢の描き方がわからない場合のような気がする。

時間軸には、過去、現在、未来がある。
本当にそうなのか?という哲学的な話は一旦おいといて、そういうことにしよう。

夢というのはこれから先の話なので、未来の話。
理想や希望なんて実現するかどうかもわからないことやから好きなように思い描けばええやんけ、と思ってしまうが、過去と今に引きずられていている人は理想を思い描いても即座に過去と現実が邪魔をして理想にたどり着くまでのはしごをすぐ降ろしてしまう。
こうしたらええやんと思いついてもあーやっぱこういうことがあるからあかんわ、ってな具合に。

まず何より、実現するかどうかはさておき、“さておく”のが重要だと思う。
過去と現実は一旦横においておく。じゃないと気持ちよく妄想が膨らまないから。
あと、他の人のこともさておくことが重要。まずは自分のことだけで膨らましていく。他の人のことまで考えるからややこしくなる。まずは自分にとって最も都合よく、そして最も考えてわくわくするもので構築していく。

僕自身は夢というか、妄想に近い気もするが、そういった、自分が生きていくうえでの大義名分を常に何か設定されて生きている。
それが実現できなきゃ生きている意味がないといった具合の。
毎週筋トレしているのもそう。“いつか守るべきものができた場合に確実に守れるようにする。力でしか解決できないやつに遭遇したら力でねじ伏せれるようにしておく”という訳のわからない保険の為に体を鍛え続けている。
みんなの家という会社は大義名分しかないといっても過言ではない。一つ一つが仕事をする意義とやり甲斐と生き甲斐をもたらしてくれている。

膨らますだけ膨らまして、実際にどうするかは完全に度外視して、MAXまで膨らました上で、じゃあ、今日は何をしようかということになる。
夢はどこまでも壮大であっても、日々やれることはほんのわずか。24時間しかないし、実際寝ないと僕は生きていけないから多く見積もっても18時間しかない。ご飯も食べたいし風呂にも入りたいから15時間くらいしかない。

現実の一歩が、あまりにも小さすぎて夢とのかい離が激しすぎてくじけてしまう人もいるかもしれないが、今日やったことで確実にまた一歩近づいたって思える一手を打っているかどうか。そう思えるかどうか。

なんかよくわからんくなってきたけど、要は、

こういうグダグダした話すんのやめて、おもろいことだけ話すようにしたらええんちゃうっていうことで。