人生初長野の旅in小布施町~栗から始まるエトセトラ~


朝、目覚めてホテルを後に。

カムバック

弾丸で東京駅前にあるpasona地下一階にできたカムバックひょうご東京センターにふらっと立ち寄り、ご挨拶。
今後、兵庫県の移住促進において肝になるであろう場。移住交流ガーデンもせやったけど、結局、箱というのは使いまくってなんぼ、使いまくっていかないと息が吹きこまれない。

我々丹波市単体でどうこうしても、どうにもならんこともあるし、微妙に手が届かないことが多いと感じた今年度。
来年度の企みは、事細かに共有していかねば。

北陸新幹線

人生初の北陸新幹線に乗り込み、人生初の長野入り。
長野は、過去何回も旅先候補として名前があがってきたのに、なぜかこれまで一度も縁ができなかった。不思議と。それがようやく今回実現。

長野駅から長野電鉄長野線に乗り込み、小布施町へ移動。ここから一泊二日を小布施町で。
週末の日曜日、長野県上伊那郡箕輪町にお呼ばれしている関係で、間の金曜日と土曜日をいちいち丹波に帰るのも逆にめんどくさかったこともあり、せっかくなので長野県のどこかへ滞在しようと思っていた矢先、先日のコクリ!キャンプにてまさかの小布施町長と出会い、是非小布施へとお声掛けいただいたこともあり、小布施で滞在しようと決意したという流れ。世の中何が起こるかわかりませんなあほんと。

しかし、小布施町へいく!ということだけ決めていて、あとは完全にノープラン。

小布施駅

昼過ぎ、小布施駅に到着。
さて、どうしよう?

とりあえず小布施町長に電話してみようということで、予め伺っていた携帯電話にお電話。すると、普通に出てくれた。そして町役場で地域おこし協力隊に出会えという指令を頂く。
一国の主にいとも簡単に連絡がつく(いや、むしろつけてくれたというべきか)というこの驚愕の事態と、もはや来客と位置付けられる人が小布施町に現れた際のアテンドの手配がこ慣れ過ぎていてやばい。駅に到着していきなり感銘を受ける。

さて、一泊二日の中で、何を得よう?と考えた時に、ここまでの事前情報は以下2点。

1、小布施町は栗が有名であるが、その栗は実は600年前に丹波から栗を持ち込んで栄えたとされていること
2、小布施町長が過去に丹波市へ3回程こられたことがあるそうで、丹波市をうろうろしているとまるで小布施町にいるような錯覚を覚えたというほど街並みが似ているとのこと

この二つを考慮すると、どうやら今回、色んな縁で小布施町に足を運ぶことになり、単なる観光で終わるのもなんだかなあと。
なので、せっかくきたのだから、色々調べてみようと。

“丹波から栗が伝わったとされているが、その、丹波といっているのは本当に今の丹波市なのか?京都なのか?という疑問を解消する”
“栗以外に、現丹波市と小布施町に何か共通する接点があるのかないのかを調べる”

この二つを、知る為の二日間にしようかなと。

小布施町役場

早速、地域おこし協力隊のしおりちゃん(これまた過去にコクリ!ラボで出会っていた)に今回の主旨を伝える。すると、実は役場の真横が小布施町の資料館になっているとのことで、早速、まず最初の疑問である、丹波というのは丹波市なのか京都なのかを探る為の文献探しを行うことに。

ってか、彼女らが居る慶應SDMって、市長室の真横やん。そんでもって、中で繋がってるやん。すごい距離感の近さですなあ。

資料館の館長さんに事の経緯を伝え、小布施栗に関する文献が残ってないか伺ってみる。
すると、まず、そもそも小布施町に丹波から栗が伝わったという説は諸説あるうちの一説にすぎず、実ははっきりとした確証がないということが判明。しかし、今回丹波市から自分としては、やはり丹波から伝わったとされる説の確信を追いたいので、そちらを突っ込んでいくことに決める。

小布施町史

文書館に保管されていた、小布施町の重要人物に関する情報が記載されている本(小布施町史)に寄ると、どうやら荻野常倫という人が、かつての自分の故郷丹波から栗を取り寄せたんだと。荻野といえば、現丹波市には荻野姓の人がたくさんいる。もしかするともしかするかもしれない。となると、まずは何より荻野常倫について調べてみる必要があるなという話になり、文献に記載があった、小布施人物誌なる文献に彼の情報があるかどうか調べてみないといけないということに。

すると、その本は町役場から少し離れたところにある図書館に置いてあるはずだという話になり、図書館へ向かう。
次から次へとクエストが発生し、攻略にでていく感がドラクエみたいでテンションがあがってくる。

図書館

図書館に到着。先述の小布施人物誌を検索し、本棚を探し発見。中をパラパラみていくと、ドンピシャで荻野常倫の項目が!
ドキドキしながら目を通す。すると、そこに下記のような記載が。

“大日本史に依れば常倫の父は朝忠と言つて丹波の國高山寺の城主であつた。”

高山寺と言えば、現丹波市の氷上町にある。むしろ何回かいったことのある寺だ。早速高山寺について調べてみると、確かに600年程前、荻野朝忠がいたということが判明。そうなると、とりあえず諸説あるうちの一つである、丹波から栗が伝わったとされる説については、

『現丹波市の氷上町にある高山寺に存在していた荻野常倫が、小布施町にきて、丹波から栗を持ち込んだ』ということに!
いきなり、持ち込んだとされる栗は、京都ではなく、現丹波市の話だ!すっきり。よかった、京都じゃなくて。

※丹波というのは地方名であり、現丹波市から現亀岡市あたりまでの一帯を指して丹波と呼んでいて、旧丹波国であり、丹波=現丹波市ではないというのが大前提。現在の京都府でも、丹波栗やら丹波の黒豆やらと銘うたれて生産、販売されているのはこのため。

一旦すっきりしたところで、まだ宿もどうするか決めてなかったのもあり、役場に戻る。
宿どうしよ?と協力隊のしおりちゃんに相談したら、もう町内のゲストハウスおさえましたと。来客用のゲストハウスがあるんですと。何それまじすげー。

とりあえず荷物を置こうとゲストハウスへ送ってもらいチェックイン。小布施町内のマップを手渡され、レンタサイクルの場所を教えてもらい、レンタサイクルを借りる。ここで一旦解散。

さて、栗の話は一旦置いといて、二つ目の目的、丹波市と小布施町の共通点を探ろうということで、小布施町内をチャリンコで爆走することに。小布施町は丹波市と比べると非常に狭く、4km×4kmくらいしかない、絵に描いたようなコンパクトシティ。
まずは東半分を攻めるかということで東へ。

雁田山

小布施町の東に位置する雁田山。どことなく、現丹波市の柏原町の風景に似ている。丹波市と小布施町では、標高が全然違う。小布施町の方が700m程高い。だから、山の高さ的には断然小布施町の山の方が高いのであるが、この街並みがある扇状地一体自体の標高が高いので、同じような高さに見える。

学校

学校の風景もどこか青垣中学校に見える。色々、確かに似てる。なんでやろう?
丹波が小布施を真似たのか、小布施が丹波を真似たのか。それとも、全く意図せず似たのか。こればっかりは全くもって謎。

しばらくすると、しおりちゃんから電話。
高井鴻山記念館にいる館長が栗について詳しいということを思いだしアポってあるのでそこへいって館長に会えという指令が。何このドラクエ感。小布施クエストか。

高井鴻山記念館

高井鴻山記念館がある中心地へ到着。景観がよく創り込まれている。柏原町の城下町にこれまた雰囲気が似ているが、もっともっと創りこまれている。

中に入って館長と出会う。事の経緯を話す。よくよく考えてみたら、なんで高井鴻山記念館の館長が栗について詳しいのか?

すると、過去に栗について調査をしていたことがあり、年二回発行する紙媒体に掲載する為のコラムとして執筆をしていた際、小布施に栗が伝わったルーツ等を事細かに、ガチンコで調べていたんだということで、過去に掲載してこられた記事を見せてもらいながら説明してもらった。

丹波栗

館長も諸説ある中の、諸説全てを検証されていて、本当に関心するほど徹底的に調べられていた。
とりわけ今回は丹波と小布施の共通点を探っているので、例の荻野常倫の説について話し合った。

まず結論からいくと、館長は荻野常倫説についていくつか疑問があると。

◆荻野常倫は南北朝時代の戦乱の中で敗戦し、丹波国から小布施町に流れてきた身であるのに、なぜ町の施策の中で栗を持ってくる等といった権力(上位の身分)があったのか?
◆過去に現在の小布施栗と丹波栗を比較してみた際に、明らかに品種が違うという事実があり、実際栗は日本全国どこにでも生息していたし小布施でも自生していたので小布施には小布施の栗がもともとあった可能性が消せない
◆実際に丹波の栗苗を小布施で植えてみた人がいるらしいが、小布施の寒さは丹波に比べて厳しくうまく育たなかった
◆600年程前の時代に、“栗を丹波から小布施に持ってきた”と一言でいっても、実際問題、今とは物流も全然違う中でどういう状態でもってきたのか?(苗の訳がないだろうから、実をもってきた?かち栗の状態から本当に育つのか?等)

なるほど。確かにそういわれてみればそうだ。1つ1つ、具体的に考えていけば、かなりそもそも論が、まじでそもそもだ。
深く掘り下げていくと、そもそも論がどんどん出てくる。

◆荻野常倫は南北朝時代の戦乱で敗北し、小布施町にきたとされているが、なぜ、たどり着いた先が小布施町だったのか?
◆仮に荻野常倫が丹波から栗をもってきたとして、もともと敗戦し丹波に居れなくなったのにどうやってもってこれたのか?
◆荻野常倫が実在の人物であったかどうかが実際問題確証がもてない
etc

確かに。ここからは完全に歴史ミステリーかつロマンの世界だ。1つ1つ、確証に迫っていき潰していくしかない。
館長もこの日、突然のアポだったので手持ち資料が少なく、家に置いてあるとのことだったので、明日に持ち越されることになった。歴史を追いかける難しさを知った。

ここから、まだ明るい間にいってないところをぐるっと回ろうと思い、西側へ。

カフェ

その前に駅前のつむぎカフェでお昼ご飯。

川沿い

千曲川。昔から川沿いが好きだ。時間の流れがゆったりと流れるから。
小布施町側から千曲川に来ると、夕日が沈む西側が正面にくるのも素敵だなと思った。一日の終わりには、夕日が指す方角を見たくなるのが人間の性というもの。

オアシス

道の駅オアシスおぶせにもいってみた。
町内に六次産業センターがあるくらいだし、お土産のパッケージデザインも手の込んだものがたくさん置いてあった。素晴らしいなあ、細部まで。ボルダリングジムなんかもあって。このコンパクトな町の中に色んなものが詰まってる。

夕日

栗畑を横目にチャリで爆走。チャリに乗るという行為自体もそうとう久しぶり。なんだろう、この充実感。

中心地に戻ってレンタサイクルを返し、しばらくぷらぷらと散歩。

酒屋

今日はざっくりと、色んな小布施をさらっと見て回ったという感じ。

パスタ

センツァノーメというお店で晩飯を食う。その後、小布施町長のご自宅で宴会が催されているというお話をいただき、小布施町長宅へお邪魔。ポップすぎるやろ。いやはや、改めてすごい話や。つい先日、はじめましてして、次会うのはご自宅でってね。これ真似できる首長は世の中に一体何人いてはるんやろうか。

町長と、小布施町で色々活動されていらっしゃる皆様に本日の活動報告をさせていただき。
栗という切り口からやたらおもしろいくらい垣間見えた、丹波市と小布施町の関係。これはやはり、ただ事ではない。ただ事ではないが、まだまだはっきりしない点も多々ある。これを追いかけていくことを決めた。600年ぶりに、丹波市と小布施町で何か新たに、このタイミングで何か一緒に仕掛けられたらめちゃくちゃおもしろいねって話になり。

関係者が、小布施人物誌に載る日がくることを目指して。

夜、あがったテンションが冷めなさすぎて夜散歩。

小布施の夜

小布施の町は、夜も綺麗ですな。

ほんと、小布施いいとこ。