おもろいかおもろくないかのライン


午前中はうちの事業である、wiseupの定例MTG。

昼からは丹波県民局との打ち合わせ。

そして夕方は、とある建築業者からの紹介で、春日町某所にあるお宅の、離れがかなり新しく建てたんだけれども今は全く使われておらず何かに活用できないかという相談があり、下見。

とあるお宅

めっちゃいい家だった。ただ、単純に用途がなくなり、誰も使わない。こういう物件は結構あるんじゃないかと思う。

ちゃんと整っていない、でも可能性だけは∞に転がってる案件がたまにある。

例えば、同じように母屋はまだ住んでるけど離れだけ使ってないと。しかも建てて間もなくてめっちゃ綺麗。でも、トイレと風呂がない。全てが整ってないから空き家でもない、でも空いてる。

周囲を見渡すと限りなく農地があり、しかも結構空いてる。それも日当たりは抜群、でも手を入れれる人がいないだけ。
全て、自分のもんじゃない。買うとなればかなりの額がいるやろう。でも、もろもろ貸してくれると。

ほんとはもう、実はオーナー的にはあげちゃってもいいと思ってて、でもどんなやつがくるかわかってないからあげれない。受け継いできたものは、やはり丁寧に継いで、うまく活用してくれてほしいと願ってる。

そんな場合があったりする。

三つ、持ち合わせていれば可能性が切り開ける。
一つは、相手の困ってることに先回りして助けてあげられるお節介気質と、自分の思い描いた未来に向かって粛々と固めていけるしたたかさ。
そして、目の前の損得に流されずに未来の投資に動ける度量。

全部、用意されると、のるかそるか。そこに主体性は、あるようでないのだ。

あれとこれとそれを、こううまいことやれば、ええ感じちゃう?と、誰にやらされることもなく、やれる。やると決められる。
用意されないとやれないのは、いつまでも用意しないといけない。それはやはり、続かないのだ。

おもしろい話というのはやはり、誰もやらない、開拓し甲斐のある可能性の方なのだ。