不毛な話


午前中は兵庫県の還流プロジェクト関係の打ち合わせ。

それにしても行政の移住関連に関わるようになってから約2年。
不可解な言葉がよく飛び交う。意味のわからない抽象的すぎる言葉であったり、英語であったり、カタカナであったり。
共通点としては、それどういう意味なん?ときけば全員答えが違うもの。同じ言葉使ってるのに、全員意味が違う捉え方をしている状態がほんまに多い。それだけ御幣のある言葉を掲げまくっている。

そのうちの一つが“多様性”。

『これからの時代は多様性を認めないといけない』という。
このセリフが吐ける人というのは、自身は多様性推進派。一様性はあかんのだという。そうなると、一様性を掲げる人種はダメだっていってるんだから、全然多様性を認めていないことになる。もはや意味不明なことを言っていることに気付いていない人がやたら多い。多様性のある地域というものはどういうものか?をちゃんと考えていれば、決してこうはならない。

自分の使っている言葉が、どういう意味として使っているのかを自分自身も正確に把握して用いないと、相手に伝わる訳もなく。いや、むしろそのまま伝わっているのか、多様性という言葉が何かよくわからないまま使っているから相手もよくわからない捉え方をしているような感じで。

とにもかくにも、この多様性云々の議論はもう飽きた。話してて前にも後ろにも進む気がしない。
一様性だろうが多様性だろうがどっちでもいい。仏教かキリスト教かという話とよく似た次元の話で、どっちを信じてようがどっちでもいいやん、という風土がなにより重要。

ということで。