家族との時間


午前中は畑の畝立て。黒豆をええ加減植えてしまいたいので、ずっと残していた1列の除草と整地。
いい天気過ぎて意識朦朧。うちの畑は大体5m×20m程度なので、1畝くらい。いきなり機械に頼ると機械の有り難みがなくなるという理屈で手作業で農作業をしてかれこれ2年目。最初の頃はすぐ筋肉痛になったが、もうあまりならない。こうした野良作業を当たり前にしていると体が強くなる。

昨年は全然ダメだったトマトももうじき収穫できそうな気配。昨年と同じ場所に植えたんやけど、今年はちゃんとできてる。何が違うかったのか。よくわからんけどまあとりあえずできてるからよしとしよう。

昼から家族で西脇市にあるMiraieへ。

本当はめっちゃ暑かったので噴水で水遊びさせようと思っていたけど、全然見向きもしない我が娘。代わりにもっていってたシャボン玉で遊ぶことに。シャボン玉と子供はとても絵になる。久しぶりに子供にカメラを向けた気がする。

こうしてしっかり遊んであげられる日はここんとこ月に2日程。そうなると年に24日。
そのうち保育園にいって子供らで遊ぶようになるとこうして家族で遊ぶ機会は減っていくんだろうな。ってことを考えると、こうして家族で遊びにでかけるのもあと人生で何回あるんだろうかな。下手したら100日ないかもしれない。そう考えると、日々成長していく娘の姿を喜ばしく思う気持ちもあれば、一抹の寂しさもこみ上げてくる。手放しで成長を喜べるようになっていくのが、大人側が求められる子離れというやつかな。

帰ってから夜は村の集金常会、その後消防。

日々色んな用事がある。全部に応えていると、家族の時間が失われていく。家族の時間とのバランスが難しくなる。だから、仕事の時間や集落の時間、地域との時間も家族との時間であるといえるような暮らし方、生活の仕方ができるのがいいのかなと個人的に思っている。家族がどう思うかはまた別の話であるが。全部いっしょくたになればいいのになと思う。