“関係人口”とやらはもっと言葉を選ぶべき


最近あちこちでよく耳にする“関係人口”という言葉。

個人的に、正直あまり好きになれない言葉で。今後もきっと、声を大にして言うことはないだろうなと思っている。

丹波市の移住相談窓口は、方針として移住したあとの暮らし“定住”まで視野に入れており、移住支援だけでなく定住支援も行うこととしていて、わかりやすい例で言えばここ数年に移住してきた人達メインのランチ会等も行っていたりします。

ここで、“定住”というザックリとした言葉を我々はどう捉えているか?ということなんだが、それは丹波市が発足した頃当時大学生だった人が提唱した“関わり続けるという定住のカタチ”という概念がベースにある。

 

丹波市に別に移住して住み続けなくてもよそに住んでたまに遊びにきてくれたり、丹波市の人が街中で何かイベントするってなった時に手伝いにきてくれたり、自分は丹波市に住んでいなくても身の周りの誰かが地方へ移住を考えていて丹波市がお勧めって言ってもらえるとか、例えばスーパーで買い物しようと野菜を選んでいる時に丹波市産の文字を見たら丹波市の誰かの顔が浮かんでつい丹波市産のものを手にとってしまうとか、そうした関係性も含め“定住”と呼んでしまっていいのではないか?という事。

 

そうなると、我々が追いかけている定住支援というのは、二つの側面があって。

 

◆実際に丹波市に移り住んできた人が、気持ちよく暮らしていけるように支援する

◆丹波市に移り住まれることがなくても、気持ちいい関係性でいられるように支援する

 

なので、今雑誌やネット記事なんかで色々言われている関係人口の話を見聞きする感じだと、丹波市にとっては以前からずっと考えてきてやってきていることだなと。

 

あと、地方に実際に住んでいる身からすると、すでにいわゆる関係人口とやらにあたることになるであろう自分の友人知人、家族に対し、“人口”呼ばわりするのもなんだかなあと。

 

会社がマーケティング上見込み客と位置づけている人達に対し「あなたたち見込み客です」と声高々に言っていて、見込み客側も「私たちは見込み客」と言っているのと同じくらい違和感がある。

人口とつくせいか、マーケティング用語感と、統計用語感が漂う言葉なので、どうにも相手方がいる際に使う言葉として向かないという印象。

 

よその地方自治体でもかなり前から第二町民制度等、いわゆる関係人口にまつわることをやってらっしゃったりもするので余計に、何を今更という感覚があるのと、もっと他に言葉あるでしょという気持ちになってしまう。

丹波市内の人達であってもよその地方自治体であっても、本当に人との関係性をとても大事にされているところがあり、まるっと“関係人口”という言葉で括られてしまうのもどうなのかなあと思ってしまう次第。

 

概して、外に向かって大きな声でいうことではないということなんですが、言葉の使われ方として違和感があるのと、世間では色々言われていますが丹波市ではどうなのか?と聞かれると、まず個人的には現段階ではこうお応えするかな、というお話。