未来への投資


先週末、加古川沿いの桜を見に行く途中でふとかつて住んでた南中にさしかかり、広場の前で車を止めて歩み寄ると、自治会役員の方々がお花見兼役員会をされていて。

コロナの影響を考慮した、最高の三密を回避した役員会ですねえ。皆、同じように外でやればいいよな、確かに。

 

加古川沿いの桜を見に行くんやという話をすると、あの桜は県との事業で、丹波市になる前の30年程前、経済的余裕があった時にやろうとなって植えたんだという話を聞き。

植えた当初は全然小っちゃい苗木で、今みたいに綺麗になるイメージもなかったんだとか。

 

現地にいってみると、石碑発見。発見というか、過去に何回も見ていたのに、ちゃんと観てなかった。

 

 

昭和56年から開始なので、ギリギリ俺も生まれてない。30億7000万円の一大工事。

いくらバブルど真ん中とはいえ、でかい病院できそうな規模感。金額的に春日のクリーンセンターくらいかなあ。

 

木をつかった景観に関する事業は本当に息が長い。30年はかかる。ある一定の年齢に差し掛かっていたら、事業の成果が垣間見られる30年先に自分は居ないのかもしれない。そこに投資するという感覚は、いくらバブルで経済的に余裕があったとしてもなかなかできるもんじゃないと思う。

 

この、30年先への投資が過去にあったから、うち含め子連れの家族が今こうして行ってみようと思える場所となっているし、軽トラにのったばあちゃんが携帯で写真バシバシ撮っているし、B系リトルヤンキーが嬉々として動画撮ってるし、ペットの散歩がてら花見をするようなスポットになっている。

 

今、仮にバブル当時の10分の1の経済的余裕だとして、投資できる金額が10分の1だとして、こうした30年先への投資を起こせる我々なんだろうか?とか思う。

同じ内容はできないけど、気概だけは持ち合わせておきたいもんですなあ。

 

今の景色は、昔の人の投資した結果なんだなあと思うと、感謝ですな。