伝統vs今


上田さんの丹波猿楽を見学に。

これまでの人生であまり能の世界観に触れてこなかったもんで、最初に宮司の祝詞?お祓いを受けてから始めるのを見て、能って神道と関係あるんやなとか始めて知ったり。
伝統芸能とはほど遠い生活をしてきたので知らないこといっぱい。全然よくわかってないくせになんやけど、めっちゃよかった。心に触れてくるものがあった。

猿楽というのは能のことであり、丹波猿学の言うところの丹波ははるか昔から伝わっているものであるから今の丹波市を指すものではなく、亀岡あたりまでを指す「丹波地方」という意味での丹波。

丹波市には全国で三カ所しかない、建勲神社がある。この建勲というのは明治天皇が織田信長に対して与えた神号で、戦国時代の武将に対し神様として奉るようにと与えた称号。かつて信長が愛した猿楽、というところで織田家にゆかりのある柏原において織田祭りの際に能を舞い始めたのがちょうど100年ほど前だそうで。上田さんは数年前に大阪からきたIターン。彼が丹波にきたことによってこの丹波猿楽の普及を行おうという動きがでてきたので、彼は伝統を繫ぐという立場をとっている。

この途切れかけた伝統を次世代に繫ぐ、というのは響きがいい反面、とても現実的な課題に直結するものでもある。
それは結局、この伝統というものが次世代にとって有意義なものかそうでないか、というもの。

受け継がれるべきか否か、というこの「べき論」の土俵にあげてしまうこと自体どうなのか?という議論もあるが、世間一般の人にとってみれば結局のところ伝統というものがどんだけ自分達の人生豊かにしてくれんの?価値あんの?というのが何よりの関心であり、こうした文化的な伝統はそうした土俵ではとても分が悪いもので。俗世間は言ってしまえば「衣食住」が何よりの関心事だから、文化がどうこうという類は二の次になってしまうからだ。

なのですでに途切れてしまった伝統というのはつまるところ今後の世界に関しさほど価値なしといった烙印を押されたといっても過言ではない。この丹波猿楽も、生き残りをかけた局面にきているんだと感じている。この件に関し、何よりもまず、伝統としての丹波猿楽を遺すか遺さないか?の前の次元で、この丹波市において、丹波市民はこうした文化を大事にしていくかいかないか?の議論の方が先に必要だと思っている。結局、文化を大事に思わない人種であれば、伝統芸能の一つとしての丹波猿楽も大事にしないものの一つで終わるからだ。なので、何よりも文化を大事にする文化の醸成が必要になるんだと思う。これは1,2年で解決する問題ではないので、少し息長く関わるべきもんだなと思う。

このお面は近々千年祭を迎える柏原八幡宮にずっと保管されてきたお面だそう。割れずに残るもんなんですなあ。
丹波地域は明智光秀の丹波攻めのおかげで重要な書物や過去を探る上での手がかりとなるような代物が思いっきり焼失していると聞く。その為、この地域の過去が証拠をもって語れないという、昔からの歴史を語る上で致命的な状況でもある。こうした貴重な過去を知る上での証拠物からどれだけのことが知れるかといった、歴史を紐解く作業にも関心がある。過去丹波栗の歴史を追いかけてみた時もそう。ルーツをきちんと把握したいのだが、なかなかそれができない。わかる範疇でなんとかするしかない、というのもきついところ。歴史と伝統。この地域に生きている以上、やっぱ知りたいんやけどなあ。なかなか労力がかかりそう。

夜は篠山市福住の住吉神社ビアテラスへ。とにかくビール飲んで、飯食う、以上!という非常にわかりやすいイベント。
最近なんでもかんでもそれらしい仰々しい目的が盛り込まれたものばかりで、いささか疲れていたので、こうしたほぼ目的なく参加できるイベントはいい気分転換になるなあと。めちゃよかった。
それにしても、神社でこんなことしていいんやな、って思う人も結構いるんじゃないかな。実際あるから、やれない訳ではないんよな、どこの神社も。