次の時代の男女共同参画


その時丹波が動いたという激動の平成を振り返るシリーズ最終章「社会の殻を破った女性ストーリー」ってなことで篠山のホロンピアホテルへ。

 

 

この日のゲストスピーカーは赤井俊子さん(地域通貨未杜 創始者)と、山下久子さん(丹波ささやまホロンピアホテル取締役)。

俊子さんは以前から顔見知りだがちゃんと取組みを聞いたことがなかったので参加。

 

内容としては二人が若い頃から取り組んできたことを、女性の社会参画という視点でみてどうかというのを含め平成を振り返るという感じ。

 

二人とも、総じて旦那が何するにしてもほっといてくれた、応援してくれたから、自分の思うようにできたという話だった。

 

そうなってくると、平成という時代は、女性の社会参画という点において二通り存在したことになる。

一つは、二人のようになんでも自分の思うようにできた人達。

もう一つは、昔ながらの圧を受けて参画できなかった人達。

両者の違いは、配偶者の気概一つ。そうなると、女性が参画できるかどうかは各自の家の問題ということになる。

 

そうなってくると、もはや“女性の社会参画”というのは家の問題で、“よそはよそ、うちはうち”なんだから、変に社会がどうだとか枠を広げて一般化せずに、各自の家の問題にしてしまう方が正しい判断なのではないかと感じてしまう。

 

確かに、昭和という時代は、戦前戦後の時代ということもあって、“家は女が守るもの、働きにでるべきではない”といった“THE 昭和”な考えが浸透というか蔓延していたのかもしれない。

 

ただ、それはバブルの時代もあって、一般家庭までもがベースとして潤沢な資金があり、家のどちらかが専業主婦(or主夫)でいれたというのは間違いなく大きな要因であったはず。

対して平成は不況に次ぐ不況、バブルもはじけ、専業主婦なんていう存在が夢物語に近くなっていってしまった感すらある。

 

今日でた話の中で勝手にまとめてしまうと、

 

昭和は確かに女性は社会参画しにくかった。

しかし、平成では家庭によっては女性も社会参画できるようになった。

平成の後半では、その一部の社会参画が可能となった女性たちの活躍のおかげで、世間一般的な女性の地位はかつて(昭和)に比べて格段に改善された(男女差がなくなってきた)。

 

では、ここから続く平成の次の時代は、どのような男女共同参画、女性の社会参画が行われるべきかという議論を行うにあたっては、今一度、前提を整える必要があるように感じる。

 

というのも、今行政なんかで語られる女性参画、男女共同参画は先述でいうところの“昭和の論調”のままな感覚があるからだ。

 

今日の話でいくと、“よそはよそ、うちはうち”で、各自家の中で話しあって決めたらええやんという次元の、家としての活動と、それでも各自ではどうしてもできない部分を行政的な活動として行っていく部分と分けて考える必要がでてきている。現に、各自の家の問題なだけですでに活動できちゃってる生き証人が存在してしまっているからこそ余計に。

 

結局、これから、何を参画したいのか、させたいのか。

 

そんなことを考える必要がでてきているんだなと。時代の境目ならではの課題ですなあ。

来年度は丹波市にも男女共同参画センター的なやつができるらしいし。どんなことになるのやら。