選挙レポ


ええ天気や~。って、思ってる間に曇ってきてるやないか・・・カオス。

前の会社を10月末付で退職した後、11月に入ってぼちぼち本腰入れて転職活動をしようと思ってエントリーしたり面接がパラパラ入ってきていた矢先、事件は起こった。

我がご友人が選挙に出馬すると。人手が足らんので手伝ってほしいと。

選挙てww
という感じであったが、出馬自体、実現することはないと思っていた。出馬の条件として嫁さんの許可を得るという作業が間にあり、離婚話がチラついていることも聴いていたので、まあないわと思っていた。

が、その一報を受けた翌日、連絡がきた。許可がおりたと。
『出たいんやったらでたらええやん。でも応援はせえへんけどな』という、ハードルの0.1mm上空をスレスレ飛び越えるという偉業を為してきたので、このおよそ転職活動という点から考えるとただの空白の期間となってしまうリスクもあったが、たかが1週間かそこらで障害になるんやったら我輩も所詮そこまでのやつやと腹を決め、がっつりお手伝いにいくことに決めた。
と、言いながら、実際最終出勤日は9月末で終っており、10月いっぱいは有休消化期間。その10月も友人の結婚式に忙殺されている間に一瞬で過ぎ去った。ほんま、どいつもこいつもである。ニートに対しての扱いがすこぶる悪い。お金もらってプロのニートとして生きていけるレベル。
その、選挙に出馬することになったご友人。横田親氏。
丹波の市議会議員選挙に出ると言い始めたのが11月7日。7日に一報を受け、第3週から合流、投票日は11月18日。たった10日間の選挙活動。その記録がほぼもれなくすでに記事になっているので、詳細はそちらをご覧いただきたい。

http://techwave.jp/archives/51769925.html

我輩が合流した初日は夕方に向こうについたので、とりあえず選挙事務所に向かう。事前にある程度連絡が流れてきていたのでどういう状況で行われているのか大体は把握していたが、ガチの倉庫。ただの倉庫。おまけにずっと使われていない倉庫。

記事にも書いてある通り、金なしコネなしモノなし時間なし。
おまけにガスなし電気なし水道なしトイレなし。なんもないとはこのことであるというのを具現化したような選挙事務所。それがここだという感じであった。
当然、我輩は丹波に縁もゆかりもない。友人が選挙に出るからといって応援よろしくと声をかけれる相手もいない。前の会社に居た時にとあるバカがやらかしてそのケツを拭くために取引先の人と一緒に謝罪しにいった客先くらいしか思いつかない程に縁がない。
手伝うといってもどう考えても雑用しかできることがないなと思いながら、初日はひたすらハガキを書いた。それしかできることがないという感じだった。
全然どうでもいいが、我輩はそういった類の雑務は好きである。何にも考える必要もなく単純作業を繰り返していくうちに、次第に慣れてきてスピードが上がり職人芸のように昇華されていく感覚が好きなのである。
夜が更けて人がぞろぞろ集まってきて、皆一緒になってハガキを書きまくった。
しかし、我輩だけでなくきっと全員同じ感覚だったかと思うが、およそ悪ノリにノって集まったという感覚があり、必死さはなく。当然必死に作業してるんやけど、感覚的に。後ろのドアはしめてきましたという感覚はなかった。嫁さんはやはり終始ご立腹の様子。

でもそれは当然そうなると思う。いきなり出ると聴いて、まず最初に出る第一声とすれば、

『え?選挙出るんかいな?!』

であり、第一声、第二声で

『絶対勝たせたる!』

となる人はよほどの臨界点の持ち主だと思う。デコピンされた直後にグーパンチをくり出せる人物に近い。そんなやつはそういない。
その状態ですでに投票日まで一週間を切っていた。

が、いた。二人ほど。

一人はその夜、絶対勝たなあかんと涙ながらに全員に訴えた人。
もう一人は、横田氏とつい先日会っただけなのに夜事務所に来て自分の友人に片っ端から応援してくれと電話しまくっていった人。

その様子を見て、火がついたのか、おいおいまじかよしゃーないなやろかとなったのか、深夜遅くまで各作業が行われた。我輩も黙々と作業した。自己紹介すらほとんどせずまま。自分が誰か何てどうでもよいのだ。選挙に勝たせに来たんやから。
その夜、そのまま事務所のこたつで爆睡。
一方、横田氏も隣のこたつで爆睡。果たしてこの選挙、勝ったとしてもこの人らは終ったあと仲良く円満に過ごせるのか。ご近所さんらとうまくやれるのか?そっちの方が長い人生で考えたら絶対はずしてはいけない方なんじゃないのか?本当の勝利って、一体なんなんやろう?
そして、我輩は一体ここで何をしてるんやろう?というようなことを、真っ暗な天井を見上げながら昇天した。

翌日から街宣カーに乗って丹波の町をあっちゃこっちゃ。
ウグイス嬢を乗せ、カラス男を乗せ、本人を乗せ、あっちゃこっちゃへ行きまくり、街頭演説も間近で聴く。

今回の選挙、事の発端は丹波新聞の候補者一覧を見た際に最年少の人が51歳であったことで火がついての出馬となり、若い力・30歳という若い層への訴えかけを主に演説や街宣を繰り返していた。

が、当然なのであるが選挙に出ると決まったのはつい先日。本人も選挙に出るために動いてきた訳でもないし、いかんせん経営コンサルタントなのでどちらかといえば間違いなくビジネスマンであり、政治家ではない。よって、およそ政策的なことは一切ゆってないし、近年国政ではマニフェストがどうだのこうだの五月蝿く言われる世の中であるにも関わらず、その政策すら言わない、ゆってない、ってか、ない。

ないことをかき消せる程の演説の巧さはあって、横で聴いている限りめっちゃええことゆうてるような感じで聴いていたが、後々になってよくよく考えて話していた内容を振り返ってみると、中身(政策的なこと)が全くない。素敵な程にない。
社会人になってこれまで、我輩自身、幅広い年齢層の皆様と常に仕事をしていて、会社に帰ればほぼ全員が同年代。飲んだり遊んだりも、外の人の方が多かった。ビジネスの中心がそっちだったからであるが、ビジネスだからというよりは関わる時間が多かったことが要因としては大きいように感じる。

我々の会社の人間が、『これからの若いもんが頑張らなあかん!世代交代や!』と言い張って取引先やお客さんを説き伏せている構図を思い浮かべる。まあ、うまくいかないであろうと想像がつく。なぜなら、そのこれからの世界に、上下の世代が含まれていないからである。共感できない、しにくいのである。
確かに、若い世代は頑張らないといけない。しかし、若い世代だけで徒党を組んだ場合、それは一種のムーブメント的であり、広く世に受け入れられるかどうかは別問題なのである。同年代だけで仲良くしていて、仮に上の世代と交流する機会があってその後同年代の輪に戻ってきた時
『あ~、ほんまおっちゃんの相手は疲れるわ』
的なことを考えていたりぶつくさいっているような輪になってしまえば、そこに影響は派生しない。若いもんだけで集まったところで、動かないもんは動かない。誰と動くか。

最近の若造は論争と、最近のおっさんは論争の果てに、共存はないのだ。
我輩は、同世代だけで群れることはあまりよしと思えない人間である。
そんなことを思っていたが、そうはいっても我輩はここに勝たせるためにきていて、街頭演説やらの反応がいかに薄かろうが続けていかねば話にならない。しかし、我輩は吹田市民。どこまで茶々を入れるべきなのか考えた。

が、そんなことはとり越し苦労であるかのようにその夜、皆様が同じようなことを思い、もっと反応の薄い地元へあたるべきだと、地元の票なくして勝てるわけがないと、一番譲ったらいけないところをしっかりと把握し本人に伝えていく様子を目にし、これはもういう必要はないな、黙っていようと決め、黙々と残ったハガキを仕上げたり作業にいそしむことにした。

その夜、さすがに風呂に入りたかったので風呂へ。丹波の湯。丸二日風呂に入らず顔を洗えない生活というのは久しぶりか初めてか。

当たり前のように帰れる家があり、そこに電気があってガスがあって水があって、風呂に入れる環境。あったかく寝れる環境。腹が減ったら冷蔵庫を覗けば食いものがある環境。歯を磨こうと思ったらすぐそこに歯ブラシがあり、その場で口がゆすげる環境。いつでも顔が洗える環境。冷たい風が入ってこない環境。引き出しをあければそこに着替えがあること。頭が痛くなればそこに薬が常備されていること。ご飯を食べようと思ったらすぐそこにお皿があり箸があり。お茶を飲もうと思えばそこにコップがある。携帯がいつでも充電できるコンセントがいつもすぐそこにある。先の見えない何かに不安や恐怖や懸念があった時にいつも話を聴いてくれる人がいる。

そんな、当たり前のようなことが遠くなると、妙に有り難いことと感じる。
日を重ねるごとに、町の反応が目に見えるように変化し始めた。地元を中心に周りはじめたこと、ハガキがちらほら到着しはじめたと思われること、皆さんがガンガン知人に電話を入れまくっていったこと等に起因すると思われる。
街宣カーが通るその先の家からどんどん出てきて手を振ってくれるようになり。
反応がでてくると、当の本人も気持ちがのってくるようで、一瞬たりとも休まずに声を出し続け。気運が高まる感覚とはこういったことを指すのだろうと思う。
昼過ぎ、ゆめタウンで演説。この日、事務所のメンバーやら、東京から応援にきはった方やら北海道からも駆けつけた方やら、沢山の身内がかけつけたこの回、演説中に横田氏は涙を流した。しっかりもらい涙がでた。
足りなかったパズルのピースがはまった、足りないパーツがはまった。何かがのった。そんな感覚。なんだったんやろう、理解を超えた何かがそこにあった感覚。いまだによくわかんない。

https://www.youtube.com/watch?v=WrhZ675VPJM

この後の街宣から本当に変わっていった。
街宣の場面としては、田んぼのわきでやってた3~4人のおばちゃんたちの世間話にも数回加わったり、スーパーハウスの中で談話してたおっちゃんたちの中に割って入っていっていったり、めっちゃ向こうの方のマンションのベランダから手振ってくれてたおばちゃんの元へダッシュしていってもらったり、家から出てきて手振ってくれたんはええけどそこへいくのに間に細い川があって車じゃいけなかったところへジャンプして飛び越えていってもらったり、ゲートボール中のじいちゃんばあちゃんの中にお邪魔したり、この先行き止まりやって書いてるのに突撃して一番奥の家の人と握手したあとそのまんま真っすぐバックしたり、他の候補者の車が前走ってたことが度々あったが彼らがすんなり走り去っていった後、手振ってくれてる人めがけて飛び降りて握手しにいくってことが何度かあり。

誰にも負けてないくらい、泥臭い街宣してたと思う。
一回くっそ細い道に入りこんで行った時、手振ってくれてたのに気づくのが遅くて通り過ぎてもうた後、横田氏が走って戻って握手しにいった際、
『この道通るやつはほとんどおれへんねや』とか
『せっかく家からでてきたのに握手しにこーへんやつはどうかと思うわ』とか
おっしゃってた方もいらっしゃったんで、ほとんどの街宣カーがいかないところまでいって、ほぼもれなく握手しにいってた。

地味なんやけどボディーブローのように票数に反映されてたんじゃないかと思う。
こうして、選挙という活動を通じて、色んな人の支援をバックにつけ、思いを肩にのせ、選挙に出た時点ではただの一般人であった人間に、政治家としての在り方を構成させていく。次第に政治家に成っていくその様子を見ると、今、世にでている政治家を何かで見て、なんじゃこいつと思うことがあるとすれば、世間一般のせいでもあると思ったりした。とりまきが原因となっていることもあるんじゃないかと。
我輩は、選挙やら政治には興味がなかった。今もそうかもしれない。
どこか遠くの方で勝手に金だけとって意味不明な何かに使われていくだけ。空気のようでいて金とられる分うざい存在。そんな感じ。自分の生活において町作り、地域作りなんていう言葉は一切でてこない。生活に影響してこない。影響を受けるのは国政のような、どこか遠い政策だけ。原発をどうするだとか、税金上がるのがどうとか、経済活性がどうとか。

政治の為の選挙ではなくて、選挙の為の選挙。

政党がどうとかってのは本来二の次であって、成し遂げたい政治があり、その母体として手段としてどこと組むか、所属するか。そういうものであるはずが繰り返される選挙の為の選挙。
目的と手段が入れ替わった選挙。そういったものを日々、TVのシンガーをモニター越しで接しているかのような距離感でもって傍観する感覚。
地方の選挙というのは本来、なんとかしたい地域の課題があって、それを解決すべく地元の応援を得て出馬し、当選し、それを政治という土俵でもって解決をはかっていくもんで。選挙に出る人間というのは、その人単体でつくられるもんではなく、その地域全員が押し上げる以上一蓮托生なはずで。当選させるというのはあくまで通過点であって、当選後、実際に当初の目的が成し遂げられるかどうか。そこまで一緒に行うべきであろうかと思う。と、今回思った。
政治家を一つの職業としてみた場合、たった4年で必ずその地位が揺らぐ。安定しているように見えて、金にまみれた印象のように見えて、それはたった4年しか保証されないのだ。4年契約の派遣社員といえる。
何年も議員をし、そのまま年を重ねた議員さんは、年老いた後になってふっとその足場が揺らぐということになれば、生活の面から必死になることも往々として考えられる。そこに地場との癒着があろうがなかろうが、いずれにせよ部外者である我輩が考えても必死になることは目に見える。
しかし、そこをいたしかたないとできるのは、あくまで世の中も自分たちの地域も何一つ不自由がなく裕福な間だけで、本来の目的から考えると選挙というのはそういったシビアな面もどうしても存在する訳で。

俗にいう天下り。これはなくなることはないんやろうなあと思う。もし万が一、仮に、知人が議員になったとして、そいつが必死に期間中頑張っていたがあろうことか4年後落ちたとすれば、なんとかして就職先を見つけてやろうと思うのは、それは人情ではないのか。
一概にはなんともいえないが、天下り方によっては、応援すべきものと拒むものがあっていいと思える。
しかし、今回の活動において、果たして自分の地元で同じことができるか?できたか?と考える。多分、無理だったと思う。

まず何より、自分が出馬するとして、知人に支援を求めてみたところで大半がサラリーマンであり、平日稼働してもらうことが難しいと思える。今回、そういった雇われ側の人の割合が少ないように感じていて、事務所に足を運んだり様々な支援を行うといったその具体的な行為そのもの自体、丹波(及び近隣地域)の皆さんの支援だったからこそ形になったものと思っている。
我輩の身近に、すぐさま簡易トイレを調達してきたり、横の家から電気もらってこれたり、事務所が暗いから電気つけてといってはいよといとも簡単に付けれたり、車ないから貸してといって会社用でよければといって車を手配したりできる人はそういない。

そして政治との距離感が違う。
地方では先述の通り、地元の解決すべき課題が明確に身近にあって、それを解決するべく地元から候補者を選出して政治の舞台に送り込むのが大筋。都市部の政治は集まってくるお金も膨大で人口も多い、よって市制がすでにある程度一方通行であったとしても供給しているわけで、とりわけ町に対する不満などというのは、およそ何か派手に失態でもなされない限り公の問題として浮上してこない。とりあえず、我輩は我が町に対して不満という不満はない。強いていえば、会社辞めた後の期間の税金の調達は勘弁してほしいくらい。

そして何より、横田氏本人の人柄。
ただの阿呆でキモい人間であれば誰も力は貸さないのが世の常。人望が為し得た成果であったのは言うまでもなく。
かくいう我輩との間柄も、実に今回で会ったのが3回目。1回目は歌とピクニック。そして2回目は石川県・富山県ツアー&丹波篠山ツアー。そして今回。
別に会った回数や時間が問題とは思わないが、世間一般の人からすればどうかと思われるかもしれない。でも、それは別に問題ではないのだ。
政治への関心が薄いのは色んな課題があると思うが、それはさておき、知人を市制に送り出すという今回の事例は、政治への関心が強くなるという実感があった。本来こうあるべき、というものを間近で垣間見た感覚があった。
今回、傍から見ていて最大の成果だったんじゃないかと思うのは、嫁さんとの仲がよくなったことと、地元との仲がよくなったことじゃないのかなと。最終日が終った後、別にもう勝っても負けてもどっちでもええんちゃう?と思えた程。大事なのは選挙の先な訳やし。

最後の方で、本人の口からもでていたセリフがそのまんましっくりくる。
横田氏を今回当選させることで、地元の若いもんが『なんや、よそから来たやつが当選できるんなら、俺も4年後でたろかいな』という形で興味が湧き、今後市制にでてくることで、それまで50代以上で構成されていた議会があらゆる年代の代表者を通じて健全な議論が行われるようになり、さらにその4年後、これから先行われる様々な活動が身を結び始めた時、地元だけでなくよその世界の人からみても『ああ、丹波ってええ町やな』『丹波を見習わなあかんな』というようになる。全ての世代が関心をもって政治を行い、一緒になって未来へ進めていく。その為の一歩。きっかけとしての一票。

ただ、単純に若い人間を待っていたのだとしたら、今回同時に行われていた市長選挙で最年少だった稲上氏(38歳)も通っていたはず。しかし選ばれなかった。
恐らく、丹波の人にとって政治は我々以上に身近な存在であり、その人を擁立することで解決してくれそう、変えてくれそう、そう思わせてくれる人に票を投じるのだろうと思われる。

そうはいいながらも、今回の選挙の投票率は70%ちょい。結果だけ、数字だけ見ると、70%のうちの幾分かの人たちだけが盛り上がっていたのかもしれない。単なるムーブメントとして終らせてしまえば、意味がなかったことになる。

これからが愉しみですな。
当選後、打ち上げが行われた。二回。二回とも朝までいった。
そこでようやく自己紹介もしたり、ここに集まってきてはった人らが普段何をしてはる人らなのかとかそういった話をしたw
よくわからないまま輪に混ぜてくださった皆様に感謝。個人的にはすごい貴重な経験でございました。

寄せ集まってきた人が、同じ目的に対し、それぞれが自分のできること、やるべきことをやっていく。誰に言われるまでもなく、自然に、強力に。何より無償で。かつてないチーム構成しかし強靭。

こんなエモーショナルな選挙は今までなかった。街頭演説で涙する日が来るなんてことはまじでありえないと思っていた。これは選挙に関わらず、これ程燃えたのは久しぶりだった。
そんなこんなで。

手疲れた・・・
そして我輩の今後について。つい先日ようやく決まり、ご報告をと思ってたけど、時間切れ。
次回へ持ち越し!
さ、着替えてお出かけせねば。