違いは“在っていい”んじゃないか?
午前中、丹波市内の方が我々の移住相談窓口に来訪。
移住後の相談もたまに受けてます。出来るだけ、力になれるようにしたいと思います。
1つだけ、言っておこうと思います。
例えば仮に、移住者と地元の方と何かトラブルがあって、双方がもめているケースがあった場合、僕は片方の話だけでそうですかわかりましたとは基本的になりません。実態がつかめない間はどちらにも同情できないですし、応援もできません。
というのも、この移住相談窓口を行う前からずっと、色んなケースを見たり聞いたり触れたりしてきました。
移住者の方も都会での“当たり前”を丹波に持ち込んできて地元の方に対しそれはおかしい普通じゃない等と自分の主張を強いる場面もありますし、
地元の方も丹波での“当たり前”を持ち出してきて移住者の方に対し主張し強いる場面もあります。
双方ともに、違う“当たり前”を持っている訳です。それはあって当然です。生まれ育ってきた環境が違うから。
とにかくこの日本という国の日本人というのは、共通するコンテクスト(背景)がたくさんあります。
・どこ行っても通じる日本語
・どこ行っても同じような街並み
・どこ行ってもあるコンビニ、スーパー
・どこ行っても同じ人種
・どこ行っても同じように存在するインフラ(電気、ガス、水道、電話、ネット等)
・どこ行っても同じような教育環境(幼稚園いって小学校いって中学校いって高校いって大学いって就職する等)
・どこ行っても同じような宗教観
同じような背景をたくさん抱えている為、小さな違いを見落としがちになりついてっきり目の前のはじめましての人に対しても
“この人も同じはずだ”
“一緒じゃないなんておかしい”
“普通じゃない”
等と無意識にそう感じている場面が多々あります。
ここで大切なことは、その地域に住んでいく近隣住民としてうまく付き合いながら一緒に暮らしていく上で、その違いはあっていいと思うんですよ。傍からみていると。
違ってなきゃおかしいんです、本来は。
“おかしい”“普通じゃない”。だから“嫌い”“付き合わないようにする”。
じゃなく、
“おかしい”“普通じゃない”。そして“協力する”“うまく付き合っていく”。
ことが、双方にとって大事だと、僕は思います。
だって、同じ地域に暮らしていって、何か地域で問題が起これば一緒に解決に取り組むことになるし、地域の為に暮らし、働きかけ、協力しあっていくんでしょう。
村をよりよくしていこうという気持ちが、方向性が一緒なら、それでいいじゃないですか。
お互い違うから、何かやる際に自分ができないことを他の誰かができることもあるでしょうし、他にできないことがあるから自分の居場所がある訳で。
本当に何もかも同じであれば、今は存在しないと思いますよ。
そんなこんな、日々窓口を行ってます。
昼からとある事務所のPC環境設定に。outlookが使えなくなったという問題。
さくっと終わらせて夕方また丹波市内の方からの相談で窓口業務の対応をし、その後事務所にて7月に行うイベントのチラシ作成の打ち合わせ。
夜は、丹波市と行政内の組織である定住促進会議の皆様と意見交換。
諸先輩方のお話は本当に参考になります。夜遅くまでどうもお疲れ様でした。