自由論


俺たちは自由だ。

例え、世の中で戦争が起ころうが、尋常じゃない天災が起きようが、どう生きていくか選ぶことができる。

誰かに雇われていても、言われた指示に従うかどうかは自由だ。選ぶことができる。
どこまでやるかも自分で決めたらいい。例え側からみたら全く働かん、役立たずのカスにしか見えなくても、自分がそれでよいのであればそれでいい。死ぬまで周囲からカス扱いされて満面の笑みでこの世を去ればいい。

死ねと言われて死ぬやつはそういない。死ねと言われて、死ぬか生きるか選んだ結果、生きる選択をしているからだ。

人は自由を手にした時、本来の自分があらわになる。誰から何を言われようが、誰から何をされようが、それが自分の選んだ道であるからだ。

大切な、身近な人から別れを告げられて、悲しくなるのか、テンション上がるのか、寂しくなるのか、途方にくれるのか、追いすがるのかも自由だ。好きなん選べばいい。

お医者さんから病名を告げられ、病気であるかどうか、病気じゃないと思うかも自由、言われるままに処方された薬を飲むのか飲まないのかも自由。

先の見えない仕事をいつまでもグダグダ続けるかどうかも自由。
未来の見えない環境に死ぬまで居座るのも自由。
金が尽きて働くのか誰かからご飯をもらって生き延びるのかそこらへんに転がってるもんを盗んで食べるのかも自由。
人の為に頑張っているというのを言い訳にいつまでも新しいことを始めることへの恐怖に打ち勝てずにいる状況をどこまでも続けても自由。
いつまでもウジウジいいながら、しながら、うつ病だなんだとかいってみて家に引きこもっているのも自由。
今この瞬間息をするかしないかも自由。全くもって自由。今の瞬間はこれまで全部選んできた物事の総和と結果論にすぎない。

お金がなくても、雇われてても、拘束されていても、自由なやつはどこまでも自由。

自由は、残酷なまでに自由だ。
残酷すぎて、手放す人も沢山いる。不自由な方が楽で居心地がよかったりもするから。

自由な人は、人を不自由にしない。自由だからだ。
不自由な人が人を不自由にする。

人は、元来自由だ。
どこまでも自由でいるかも自由だ。

といった本を昔読んで以来、ずっとそう思っている。名前はもう忘れた。
未だとって変わる理論はまだ俺には現れていない。いつまでこの理論で生きていくのかも自由だ。

どうやったら自由に、自分らしく生きていけますか?って?

その質問投げてくる間は絶対に飛んでこないってことやで。