10年に1人の逸材
世の中にはたくさんの天才がいる。
それも多種多様な天才がいる。
特にこの半年に彗星のごとく現れた天才にはほとほと手を焼いている。
その人のもっている才能は、俺をもれなくムカつかせる才能の持ち主なのだ。
人生で三人目くらいだろうか。その時点で10年に1人の逸材と言わざるを得ない。
しかしその度が一定ラインを過ぎてくると、そのムカつきは次第に落ち着きを見せ、
『こいつまじやばいなすげぇわ逆に』
と逆転の発想に至ったことはないだろうか?むしろちょっと好きだみたいな。
今日、その瞬間がきて少し安堵しているとともになんかようやく肩の荷が降りたとかいうよくわからない状況になっていてとても清々しい思いだ。
過去の2人の出現時もそうだった。
人には色んな側面がある。
俺にとってはまじうざくてこの世に生きてようがいまいが心の底からどうでもよくてできることであれば金輪際現世の間は関わりたくないと思うような人材でも、そう思っているのは俺だけで、そいつが家に帰れば愛すべき家族でいて慕われてやまない存在であったりもする。ムカついてるのは俺だけで他の環境下では愛に満ち溢れたケースがある。
俺1人だけがこいつまじどうかしてるぜ!って思っているだけで、他ではそうじゃない場合があるんだ、ということに最初の1人目と遭遇した時に気付いたのだ。
『そうか、俺がちっちゃい人間になっていただけなのか』と。
この境地にいたるまで、俺自身も耐えに耐え、まるで茨の道を裸足で練り歩くような感覚でいたが、それは実は自分だけが勝手に誰から言われることもなく1人で痛い痛いまじ痛い茨の道を裸足で歩いたらまじいてーわ参ったねこりゃって言ってるだけなんだなって。
自分では絶対に舵とらない方向に舵をとるやつがいる。
自分では絶対にやらんわそれやったら死ぬ方がマシやわって方にばっかり足突っ込んでいくやつもいる。
また、10年もすれば出現するのであろう。
しかし、そういう存在も含まれているからこそこの世は存在し、多様な世界がなりたっているのだ。
まじ心の底から億劫だが、より大きくなった自分で勝負を挑もうと心に誓ったのでありました。