ヨソモノと地元民のジレンマ


さてさて。

移住ってことでね。なんか書けっていうことでね。

僕はちょうど一年前、2012年12月3日、長年住んでいた大阪府吹田市から離れて兵庫県の真ん中の丹波市に移住しました。

当時の事を振り返って今更書いたらなんか当時と言ってる事が違うんじゃないか?っていう気もするから、当時書いてた方のブログ記事を貼っときます。(くっそ久しぶりにアクセスしてみたらまだあった!よかったwww)

http://ameblo.jp/hajime-no-nikki/entry-11426662421.html

うんうん、自分事ながら、まだぶれずにいけてるような気がします。

ちなみに今これを書いてるのは12月2日の0:40。
明日はね、夜、飲み会なんですよ笑
なので先走って書いてます。飲んでます。眠たくなってきた汗

毎年、この日を迎えるともれなく思います。

『みんなの家、まだ在ります(よかった)』

こないだ、うちのオーナーと久しぶりに落ち着いて話す機会があって。
声をそろえて言いました。

『楽しかったなあ、この3年間』

『でも、もう一回この同じ3年間やれって言われたら死んでも嫌』

いや、ほんとね、充実した日々です。でも、もういいです笑
毎日、やり切ってる証拠ってことですかね。いつ死んでもいいようにしておきたいですからね。

最近、色んなジレンマに挟まれるようになってきました。
それはもう、色んなもんに挟まれます。今日はこのことを書こうかな。数あるジレンマのうちの1つ。

ヨソモノと地元民のジレンマについて。

*****************************************************************************************

2012年12月、丹波入り。
2013年1月、シェアハウス“みんなの家”スタート。
2013年4月、みんなの家の世帯主として村入り。消防団入団。
2013年9月、法人化して株式会社みんなの家の代表取締役に就任。同時に丹波市商工会入会。

そして今年4月。うちの村は3組に分かれていますが、その2組の組長(隣保長ってやつでしょうか)、
人権学習委員、災害時の給仕係と、俗にいう“役”についてます。

多分、僕はここ3年間のうち、誰よりも猛烈な勢いで丹波の中に入っていって、
誰よりもどっぷり突っ込んでいっていて、誰よりも早く丹波のおっさん化が進んでいる自覚があります。

最も最初に感じたジレンマは、みんなの家の住人が一挙に4人増えた、2014年4月の段階ですでに発生しました。
うちの家にきた、自分よりも若い住人と話していて、こうしましょうああしましょうっていった話をし始めた時、

『あのな、今この村はこういう事情があってやな云々。
そういうのはこういう風に“せなあかん”くてやな云々。』

などといったセリフが頭にパッとよぎった時から、ああ、もうすでに俺の頭の中は純粋なヨソモノではなくなってしまった、
と思った。よくも悪くも。たった一年で。全部ちゃんと、ここで生まれ育った人並みに色んな物事を知っているか、
把握できてるとは思いません。でも、それでも、そうなんです。

でも、自分としては狙い通りの結果だったんですよ。
地域のことを、善し悪しも判断できるほど何も知らないしやってないのに、あーだこーだ能書きだけたれるのも違うし、
ちゃんとこれまで地域が培ってきた物事であったり行事であったり、やっぱちゃんとひとしきりやってからあれこれ考えようと。

やってもないのにグダグダぬかすやつが嫌いなんですよ。口だけ野郎といいますかね。
言うだけ言って自分はやらないやつとかね。なので、自分はそうはなりたくないから、やっぱ基本的にやってからモノ申したい性分なのです。だってね、ダサいじゃないすか。男として。社会人として。オトナとして。

2013年の4月から、今年2015年4月まで、出来る限り、丹波での用事を最優先しました。
大阪や東京や、よそでの用事は全て後回しにしてきました。土日祝とかどこ吹く風ってくらい突っ込んでいきました。

最近では、丹波で生まれ育ったやつより丹波に詳しいとか、丹波で生まれ育ったやつよりよくやってくれてるとか
言っていただけることが増えてきました。

ここで。

もし、今の僕の中に完全なる『丹波人』として仕上がってきている自分がいるとして。
今、僕が完全に丹波の人として。
これから来るヨソモノに何を期待するのか?ってことを考えた時。

自分じゃどうしても手をつけられないことをできる人に来てほしいのです。
自分じゃどうしても頭が回らない課題を解決するためのアイデアを出してほしいのです。
自分じゃどうしてもなんともできない物事をなんとかしてほしいのです。

村の一員としてだったら、
僕らこの村の人だけじゃ補えないものを補ってほしいのです。
僕らこの村の人だけじゃなんともできないことをなんとかしてほしいのです。

それは、もっと広い地域であってもそう、丹波市全体でもそう。

ヨソモノの皆様には、
僕らにないものを、できないものを、思いもつかなかったものを、存分に本領を発揮してやってってほしいのです。

その為に、

これまで地域で粛々と行われてきた行事に参加してもらうことが果たして必要でしょうか?
我々の大事にしてきたことを彼らにも大事にしてもらう必要はありますか?
これまでずっとこうだったから、そうやってきたから、っていうことは、これから先も本当に必要でしょうか?
自分たちの気持ちを知ってもらうことで配慮してもらえるようになって、それは僕らと脳みそが一緒になってしまって
僕らと同じ考えしか浮かばない人材を養成していることになったりはしませんか?
同情してもらって、その先に何が産まれるんでしょう?
今、やろうとしていること、考えていること、それは本当にヨソモノを活かす一手になっていますでしょうか?
これからを共に生きて、これから共にこの地域をどうすればよくなるのか?を共に考え、
共に行動することに、これまでの過去はそこまで必要でしょうか?
常識とか、普通とか、本当にそれがこれからの地域の為にということを考えるにあたり邪魔になっていませんか?

多分、たったこれまでの3年での経験でしかないんですが、
必ずしもそうじゃないこともあるんじゃないかなと思っています。最近。もちろん大事にしたいものもある。
これからもずっと継続していきたいものもある。でも、という話。

これは、地方に生きる人に聞いてみたい。
いかがでしょうか?

何かを始めるのは本当に簡単なんです。やりゃあ終いなんです。
今のご時世、株式会社作るのも紙切れ作って司法書士だか行政書士だかにあとやっといてっていって
20万かそこらでも払えばものの2週間くらいでできましたっていって連絡きますよ。どんだけ阿呆でも無能でも社長になれます。

逆に、何かをたたむのはものすごい労力がかかります。心苦しさもあるし、無念さもあるし、残念さもあるし、未練もある。色んなものを絶たないといけない。

ヨソモノを受け入れる地元側として、ヨソモノを“ヨソモノのまま活かす”ってことが必要なんじゃないかなと。
丹波人になってきた、僕の中の一つの在り方が、そう思っています。
これから先のことを、ちゃんと考えるタイミングがきているんじゃないかなと。

ただ、
もちろんヨソモノが誰でも彼でも聖人君主でとても素晴らしい人材ばかりで、
どいつもこいつも頼れる逸材とは、当然ながら思いません。どうしようもないやつも多いです。

うちの家の住人なんかいまだにゴミ1つ捨てにいったこともないやつもいますし、
いまだに風呂やトイレの掃除すらしたことないやつもいますし、
自分で自分の食う飯すら満足に作れないやつもいますし、
開けたドアはちゃんと閉めろって言ってんのに閉めれない若年性アルツハイマーなやつもいます。
同じヨソモノとして、一緒にされると困りますっていう感じです。勘弁してください。

なので、一人の人間として、社会人として、オトナとして。
ちゃんと独り立ちした人材であってほしいので、それはちゃんと自分磨きには日々勤しんでもらいたいところ。

互いにどんな人であれ、どういう背景で生まれ育ってきたかなんてことは、
これから先この地域をどうしていこう?どうやって活性化していこう?どうやって未来永劫、次世代の子供世代にまで
魅力ある地域にできるか?やっていけるか?ってことを考えていく、一緒に動いていくのに本当に必要かと問われれば、
僕は別にどうでもいいと思う。過去に一回犯罪者のレッテルを貼られたやつは二度と改善しませんというのと同じ。
関係ないじゃないすか、過去は。別にね。

これまでのことはこれまでのこと。これからのことはこれからのこと。

ヨソモノの気持ちもわかる。丹波人の気持ちもわかる。
両方の“在り方”ができてきたから。だからこそ発生するジレンマなんだろうなあと。

今、自分の中が忙しい。
1つの物事が発生した時、それの受け取り方がそれぞれ違う在り方の自分が違う受け取り方をする。
何人かで映画を見にいった時、見た後の感想がそれぞれ違うのと同じ。色んな感情が芽生えてくる。

これまでになかったジレンマが次々起こる。
それは自分の中に新しい“在り方”ができてきた証拠。
それだけ新しい何かに取り組んできた証拠。

ってな感じで。今日はここまで。

*****************************************************************************************

今年に入ってから、急速に移住に関して話をする機会がでてきた。
移住希望の人や、よその視察にこられた人らや。

当初から、正直ほんと、いつも思う。

『それ(なぜ移住したのか?移住した経緯は?なぜ丹波を選んだのか?なぜシェアハウスをはじめたのか?等
僕の個人的事情)聞いてどうすんの?』

大半の場合、あーおもしろかったって、終わってんじゃないかなって思う。
話してみて、応えてみて、結果的に移住に対して行動に移った人はどんだけおるかな?って思ったら正直全然そうでもないと思う。

結局、その質問が、地域へ移住する為に直結した回答を得られる質問になってないんじゃないかなって思う。
だから、本気で移住したいとか同じような取組をやりたいと考えている人の口から出る質問じゃないんだろうな、きっと。

移住することを決めたやつの口からは、

『どこに住もうか?』
『どんな仕事をして生きていこうか?』

って、これから歩むことになるであろう、具体的な一歩の為の、暮らしに直結していく内容になっていく。

僕、ほんと、性根がいがんでるから、
あんまり人のいうこと信じてないの。ごめんなさい。

どこに手を伸ばして、どこに足を運んでるか?その行動がその人の全てだと思ってる。
どんだけ町をよくしたいとかいってても、自分の町に全然いなくて町の誰とも触れ合ってないやつとか嫌でしょ?
どんだけ愛してるって口でいってても、そばに居る時ずっと携帯いじいじしてるやつとか嫌でしょ?
どんだけやります!できます!一緒にやりましょ!とかいってても、来年いるかどうかもわからないなんて嫌でしょ?
そういうもんだと思ってる。

考えていることと、ゆっていることと、やっていることが完全に合致したのが何より気持ちいいに違いないと、
3年前、移住する時に思っていて(冒頭のブログ参照)、実際にここまでそうしてきているつもり。
どこまでできているか、完璧ではないにせよ、今は充実した日々を過ごせている。

ほんと、それもこれも、周囲の皆様に感謝。
おかげさまで、気持ちよく生きています。

最後に1つ。
声を大にしていっておきたいことがある。

最近、みんなの家が色んなところに取り上げられて、色んな人が興味をもってくれて、
色んな人の役にたてるように、ようやく土台ができあがってきたかなって、感じがします。
形式上、僕が代表取締役でってだけで、僕のいってること、やってることが全てのような見られ方であったり、
伝えられ方だったりする時があって。Iターンが主役になって、Iターンが頑張ってますとかね。

それはね、全然違うんです。

何よりも最初に、僕が移住する数年前に、志高く、ほとんどの同年代が地元に帰らない中、
丹波にUターンしてきて、地元で活動してきたうちのオーナーが僕を誘ったからこそ、
始まった訳です。

全ての最初のきっかけは、Uターン者からです。

おまけに、そのUターンが動きはじめたきっかけを作ったのはもっと縁も所縁もなく飛び込んできたIターン。

僕は絶対、お誘いされなかったら丹波にはきてなかった。自信もっていえます。
当時、僕は海を求めて島を目指していたから。

家が、家族が、たった僕一人で形成される訳ないでしょ。

これまで一緒に住んできた、共に生活してきた住人がここに居て、
一緒に創ってきたんですよ。一人一人が家に対して、こうしたらもっと快適に暮らせる、
これを導入したらもっと都合よくなる、あれがあったら住人全員喜ぶやろうな、
あんなんあったら来てくれる人にも喜んでもらえそうやなって、
1つ1つ、積み重ねてこられた集大成なんです。

この先どうなるかなんて皆、わからない中、壮大な社会実験を今なお継続中な訳です。

やってみなきゃ、なんもわかんない。
世の中はファミコンじゃないから、こうすればああなるなんていう予定調和は一切ない。
お勉強の世界とは違って、これの答えはこう!なんていう公式はほっとんど当てはまらない。

僕が移住した時なんて、
別にやりたいことも夢とかもなかったよ。今もそうかな。別にこれやりたい!
これしかしたくない!なんていうもんもない。人生の目標とかって別にない。
なくてもいいかなって思う。そんな先のことはあまり今に関係ない。今をしっかりと生きたい。

特になにかこれといってやりたいことがない人は、とにかく今、目の前にいる人で困っている人がいたり、
自分に何か持ち込まれた相談があったり、お誘いがあったら、それに注力すればいいんじゃないかな。
だって、その相手方はあなただから話を持ってきたわけでしょ?少なくとも、本気の相談事や悩み事は
誰にでもしないもんだよ。自分事に必死こくもんがないなら、他に注力してもいいんちゃうかなって思うけどね。

夢がないやつだけが、夢があるやつを応援できるし、
やりたいことがないやつだけが、やりたいことをやってるやつを気持ちよく応援できるもんだと思う。
ただでさえ自分の事で困っている時にこそ、他で困ってる人に手を差し伸べた方がいいと思う。
そこに費やす労力と時間が、自分の器を大きくされる時やと思うから。もうあかんって思ってる時に
油売る訳やからな。そりゃ大きくなると思うよ笑

お金がどれくらい稼げるかなんて、こっちきてから目途がついたよ。
全くわからないまま、先に行っちゃった方がおもしろいやん。後日談でさ、
『いやー、なんぼ稼げるかまったくわかんないまま行っちゃったんだよねーテヘペロ』って、
ちょうどいいネタになるなくらいしか思ってなかったよ。

みんなの家に住む前の、
最初に住むところなんて、風呂もないしガスもないし、トイレの窓は閉まらないし
真冬に水しかでないっていう家からスタートしたし。あれはほんと、いい体験だったな、
これまで30年間培ってきたシティボーイ感覚が完全にリセットされたし。
家に風呂があるだけでどれだけ素晴らしいことか、あれだけのインパクトあった感銘はなかなかないな。

そもそも、“移住”なんて言葉、まだなかったかな、自分の中に。
田舎に住みたい、田舎に暮らしたい。それだけ。移住したいとか当時だと多分
“イジュウシタイ”って聴こえたんじゃないかな。何それおいしいの?的な。

移住がどうこうとか、
都会から田舎への移住がさっさと当たり前になって、
ただの引っ越しになればいいのにね。

“イジュウシタイ”っていう人は、いつでもお待ちしてますよ。
是非遊びにきてください。

では。ぼちぼちこの辺で。

おやすみなさい。