相談の極意


昼前、狩猟免許(罠猟)の更新の為にお医者さんのところへ診断書をいただきに。

診断書

無事に中毒者でもなく鬱でもないと認められました。よかったよかった。
でもこれ、猟に出てて鬱とかになったらどうなるんでしょうな。やっぱ出れなくなるんかな。

夕方は事務所から車で2分くらいのところにある、山南町奥の菊水旅館へ。認定農家さんの集まりにお呼ばれして参加。

丹波市内には現在、認定農家さんは120件ほど存在し、向こう10年程で150件まで増やしたいという計画になっているそうで。増えたら何かいい事あるんですかね?その数字の根拠の程はよくわからんけど、増やすということは、単純に増やす努力と減らさない努力が必要になる訳で、単純計算で30件増やせばいいということになるけど、実際問題どうなるんでしょうね。

それにしても、農家さんになりたい!という話と、経営者になりたい!という話で比べると、俄然農家さんになりたい!の方が難しく感じる。文武両道である必要があるから。
農業をするのに屈強な体が必要で、ただ作るだけじゃなくて経理等計算能力も必要、作付計画とか練れる頭も必要、最終的にできた農作物を販売していく営業力も必要。想定されている人物像がかなりのスーパーマンであるのが農家さんだと感じている。
たかが紙切れ一枚でポンっとなれる会社経営者とは少し訳が違う。学校生活を思い起こしてみても、頭もいいし運動神経もいいなんていう人物はそう多くない。

農業を一人でやることを想定しているととてもじゃないけどやり切れないケースがたくさん出てくる。だから色んな人と手分けしてやる必要があり一人で抱えてしまうとできる農業の規模感もかなり小さいものになってしまう。

この辺のさじ加減が難しいところですわな。

それにしても最近、お偉いさんポジションの方々から毎日のようにいい話を預かる。

いい話というのは、他の誰かにとってであって、俺個人には然程というか、ほぼ関係ない。
むしろ悩み事の相談という形で預かるケースが大半。

このままずっと、話が繋がらなかったらどうなっていくんやろう?というのが漠然と不安にさせる。

今日、なんでか立て続けに数人から色々相談を受けてて気づいたけど、軽やかに話が展開していく人は相談が相談になってない。相談してるようでしてなくて、およそ交渉の領域に入ってる。

自分はこれができます、これを約束できます、なのでこういう人いませんか?こういう場所ありませんか?といった具合に、受け手のこっちがものすごく動きやすく話をくれる。

およそ自分という人間を正確に把握していて、自分のリソースや能力等持ち合わせているモノも正確に把握している。一時も受け手であるこちらの動きが止まることがない。迷う余地がないから。それってどういうこと?と、聞いていて一切疑問がわかない、だから動きやすい。

相談する前の段階の、相談の極意について他の人に教えてあげてほしいくらい。

やはりうまくいく人はどこでもうまくいく人なんやろう。
逆に、うまくいかない人をどうするべきか?どう扱うべきか?にほとんどの争点が占めてる気がする。

今日はなんだかこっちが勉強になった。