材を創る
午前中は丹波市へのUターンを考えているというお方と面談。少しずつやけど、Uターンを希望する人が増えてきている気がする。
世の中の流れ的にもUターンというものが増えていて、なんだかUターンなんていう言葉ができてしまってから認知されるようになってしまい、数が増えれば増えるほどなんだか世間の流れに乗った乗ってないの話にさらされるようになって、なんだかその時代その時代にブームがある就活事情と一緒で、同じくUターンを考えている人ら同士の比較が行われてしまうようになっている感がある。
要は、ただ単にUターンして帰ってくるだけじゃ、あまり面白みに欠けるといった眼差しを向けられてしまうようになって、Uターンしてきたら何かおもしろいことをやらなきゃいけないといった謎の強迫観念があったりするように感じている。
本来、もっとありふれていていいはずのUターン。
いちいち取り上げられることで何か特別な感じがあるけど、根本的に自然発生的なもので、もっと自然に迎え入れられるようにならないかなと思う。それはIターンも一緒で、本来はただの引っ越しであるはず。
割るだけ割って放置中の薪。
地元の子供らでキャンプするから少し分けてほしいと言われ、おすそ分け。こうしてただの“丸太”を、“薪”に変えて置いておいただけ。それが人目について認知されていると、必要となる機会に思い出し声をかけてもらえるようになる。
これが、単なる“丸太”、単なる“薪”から、“製材された木材”“チップ”等に変えておくとどうなるだろう?
材がある、というのが田舎のいいところであり強みである。何か整えられたプロダクトである必要はこのご時世もうあんまりないような気がする。これから先一旦必要なのは、材だと思う。