人を探すか育てるか


午前中は来年の丹波市三十路式の幹事たちと打ち合わせ。

三十路式

幹事たちと、丹波市定住促進会議の副理事も呼んで、昨年の三十路式の会長も呼んで。
丹波市の現状を教えてほしいというので、軽く人口ビジョンの話と財務状況の話を。

かいつまんでいうと、2060年頃には丹波市の人口は今67000人いるうち、半分になるという試算になっていて、それよりも2020年、4年後のオリンピックの頃には赤字に転落する見込みになっていると。
あと4年経つと赤字になり、そこから5年もすると赤字が続いて色んな物事が立ち回らなくなってきて今までいらなかったものがとられるようになり、今までとられていたものがより多くとられるようにもなる。市区町村の赤字がどういうものかについては夕張市等が色んな事例を見せてくれている。

丹波市は広い。広いから隅々にまで行政サービスを行き届かせるなんていうのは今だけの話になって、都市部に一極集中させざるを得ない状況になり、青垣町や市島町、山南町の山間部は次第に手が入らなくなっていって、生き残らせていくことができそうなのはおよそ電車の沿線沿いだけになっていくんだろう、という感じ。

丹波市はなんやかんやいって、立地に恵まれていて、800人程は何もせずとも勝手に引っ越してきていて、それを上回る勢いで外に出て行っているのが実態。

そこで今、三十路式が何ができるか?なんてことを考えても、きっと間接的な補助にしかならないだろうし、それでも間接的であってもやらないよりはマシだし、まずは何より三十路式がとても有意義なものになり、30歳を迎える連中同士が実に楽しく繋がりこれからを一緒に歩める仲間になれるかが一番大事。

頑張ってほしいですな。

夏の思い出

昼から氷上町のご家庭に家族でお邪魔。BBQしたり、花火したり、うちの子を小学六年生の子に遊んでもらいました。
いい思い出。こういった、若い世代同士の交流をゆるく、たくさん創っていくことも、我々大人が次世代にできるちょっとした遺産だったりするかな。

ついでに、
ここに遊びにきていた来客のうち、元丹波市出身で現在某所で地域おこし協力隊として活動しているという方がきていて、色々話をきいた。あまりうまいこといっていないらしい。

これまでうちの地域おこし協力隊含め、色んな地域の協力隊の話を聞いてきた中で、うまいこといっていない傾向が割かしはっきりしてきているような気がする。

大体うまいこといっていないところというのは以下主な3点。

◆地域おこし協力隊=行政職員のようになっているところ
⇒本人からすれば、自分は地域おこし協力隊だという認識が逆に足かせになる為、じゃあ地域おこし協力隊なんかではなく行政職員としてやってもらったらええやんという状況に陥っている方々。

◆無駄に行政からの圧力がかかっているところ
⇒臨時職員(つまり立場が行政職員)ならば理解できるが、委嘱職員(つまり業務委託先扱いなので個人事業主)なのになぜかやることなすこと行政から指示され注意され管理され監視され、活動が抑制されてしまうケース。大体の場合、本来であれば協力隊に与えられているはずの活動経費枠200万分の使い道まであれは認める、認めない等と管理されてしまっている。

◆行政が何をやってもらうか具体的なものがないのにまるで何かやってもらうことがあるかのようにふるまい路頭に迷わせているところ
⇒協力隊の任務内容自体がゆるふわなのに、まるで具体的なものがあるかのように説明、実際着任してみたらまじゆるふわで何をどうしたらいいのかさっぱりわからなくなってしまっている間に任期を迎える。

つまるところ、どこも受け入れる行政側に問題がある。
もちろん協力隊側の素養もあるけど、素養が悪い人は面接等の時点で見抜いて落としたらそれで何も問題がないはずなので、やはりそこを含めても行政の問題。

以前国の協力隊を管轄してる人に話を聞きにいった際、地域側と協力隊側でうまくこの制度を利用してくれという趣旨であったので、要は制度というこの仕組みを使う側の人間がミスっているとしかいいようがない。

結局、協力隊自身が実に満足のいく活動をしていれば、自ずと協力隊ってまじでいいよ!最高!と言えるだろうし、そういっていれば後続が出てきてうまく循環していきそうなもんだが、自分と同じ目には合わせたくないなんていう認識で日々活動しているとすれば、自分と同じような立場の人間をこれ以上増やす訳にはいかないと身内で反発をおこすことにもなるので、そんな地域はやはりうまくいかなくなる。

道具をどう使うかは、ほんとその人次第。

“3年後に独立してその地域に根差す”ということを、大筋の目標としているはずで、本人が、自分の意志で、3年後その土地に残るかどうかを決めてもらうにあたり、この3年間で何をしてもらわないといけないか?というと、間違いなく、
“自分がこうしたらいいと思うことを活動費の範囲の中で全速力で試してもらう”ことじゃないのかと思う。

人にあーだこーだ言われて何かしても、うまいこといっても失敗しても“~~さんにやれって言われたんで”っていう余計な言い訳の一言を残す結果になるので、本人の意思でやってる訳ではなくなってしまう。3年間も、自分の意志じゃなく人の意志の範疇で活動し、3年経ったら後は勝手によろしくどうぞと言われても自分の意志で何一つやってきてないのでどうしたらいいのかわからなくなるし、指示を出していた側も三年経ったらもう面倒みませんというのは、それだけ自分の意志で物事を判断し決め動く機会を奪ってきておきながら、任期満了ではいさよならというのは虫がよすぎる話にしか聞こえない。

この辺の話はおよそ世間一般の就活事情とよく似ていて、
まるで世界はこうなっているというようなことを一方的にteachし、およそ言うとおりに動く人間を善しとし、あーだこーだと日々指示を出し、社会に出た瞬間にあとは自己責任といってほっぽりだす構造と一緒。

せっかく国が予算を担保してくれているんだから、地方も協力隊もその範疇で、成功でも失敗でもいいからとにかく思ったことをやってみる、やってみてダメだったら軌道修正をかける、うまいこといったら伸ばす、そのtry & errorをとにかく思いつく限り繰り返し行うことをトレーニングし世に放つということをしていかないと、3年で成果を生み出す人材を創り出すということは到底不可能じゃないかと思う次第。

少なくとも人の人生を左右することになるんだから、もっと当事者の為にうまいことやってってもらいたいですな。どこも。

人口減少するって、日本中でいってるんだから、代わりがどんどん効かなくなるってわかってるんだから。
代わりの人を探すより、人に育ってってもらうことの方が大きな意味合いを持つようになってくると思う。特に田舎は。