選択肢


午前中は家の畑の草刈り。

畑

今年の4月から入居しているけど、当初はまだオーナーさんが玉ねぎとかを植えてはったので、いらんことせんとこうと思いそっとしていたら、玉ねぎを採り終わる頃にはもう草ボーボー。お隣の米の高さを超えてきたのでとりあえず刈っておこうと思い刈った。アメリカから帰ってきたら、ちょうど枯れてきてええ感じになってるかな。

昼前に柏原町のma-noに移動。三十路式の打ち合わせと、10月に控えているTokyo丹波会の打ち合わせと。

三十路式はもは日本各地でやってるし、三十路をとっくに過ぎている俺としては、自分らの楽しいようにやりゃあいいんじゃないかなと思う。

俺も28歳の時に高校の同窓会を企画して、1人で幹事やってたけど、100人くらいはなんとかなった。
その後やってくれと言われるもんだから、30歳までの3回、同窓会をやってきたけど、飽きちゃってやめた。同窓会というのはどうしても昔話に花が咲いて、懐かしい連中と懐かしい話で盛り上がってそれはそれで楽しいんだけど、それ以上でもそれ以下でもないから、やめた。同窓会という括りに限界があるのもある。

それに対し、三十路式というのは、同窓の括りもいらない、色んな30歳が混ざることが可能。やれる範囲が広がる。
昔懐かしい思い出にひたりたいやつは同窓会をすればいい。これからを刻む仲間が欲しいなら三十路式をやればいい。ただの同窓会がしたいならそれはそれでいい。どうしたいかは自分らで決めることであって、人からどうこう言われてやるもんじゃない。いい年こいた大人がやることだから、自分たちで自分たちの欲しい結果を自分たちでもぎとるのが大人というもんだ。

家に帰ってから、アメリカ出発前にやっておかないといけないものを粛々と。

夕方、とある悩める子羊が現れて人生相談みたいな感じに。
ブラック企業にお勤めだそうで、色々と理不尽な生活を送られていてどうしたらいいんでしょう状態なんだという。

世の中、蓋をあけてみると理不尽なことの方が多んじゃないかと思う。想像以上に理不尽なことが多い。
世界は理不尽かもしれない。

でも、自分は常に選択肢をもっている。
理不尽とわかっていてもそこに甲斐や価値があると思っているからやり続けるのか、それともやっぱり何の意味も見いだせないからやめるのか。人から言われたからしぶしぶやらされている、というのは違う。それは自分がやることを選んでいる。そこには何の言い訳もない。

自分が選んだ結果である、という感覚が身についてくると、自然と世界がどうであれ、自分は自分であるという世界観が生まれてくる。世界は自分が創り上げていくものだ。

海のトリトン

夜読了。手塚治虫先生の海のトリトン。
先日家の整理してて大量にでてきた本の中でこれだけ残してて、昨夜読了。
まじ名作。グッときた。次の世代で勝つことを選びそれでよしとできるやつはこの世に一体どんくらいいるんだろうか。

今年度読んだ漫画の中で現時点で最高傑作やった。さすが手塚治虫先生。