アメリカ出張の目的


さてさて。目前に迫ってきたアメリカ出張。

今回アメリカにいくのは、主なところはwoodmizer社の視察。

美山里山舎

今年の4月、京都府南丹市の美山町にある美山里山舎がwoodmizer社の製材機を導入したということでお披露目イベントがあり参加。

アメリカではおよそDIYの次元が日本をはるかに超えているそうで、そこらへんの一般家庭が自分で木を切ってきて自分ちで製材し小屋をつくったりするんだとか。まじアメリカン。

ツラ

木を切断した面のこの仕上がり具合は、日本の大工さんもドン引きレベルの仕上がりだそうで、およそ半日程かけて切りだしてきた木をカンナで必死に削り、水平面を出しているところに、この機械を使えば女性でもハンドル一本軽く30秒程回すだけでいとも簡単に水平面を切り出してしまう。

製材機

この機械でおよそ20m程の木材を仕上げることができるらしく、20mの木材といえば家の柱なんかでも十分な長さであり、大体のことはこの機械一つで木材へと変貌を遂げてしまうことになる。

切り口

woodmizer社は元々刃物の会社だそう。この切り口の侵襲具合はほぼ包丁レベルちゃうかというくらい、切り口が薄い。チェーンソーは電動のこぎりというよりは電動かんなのような刃なのでもっと幅広く侵襲してしまうがこの機械であれば切り口がかなり薄い。こういう代物が、先述の通りアメリカでは一般家庭のDIY。なので、この製材機自体が一般家庭をマーケットにしておりかなりの販売台数があることから実際購入するとなると日本円にして約100万程だそう。ドン引き。

度の過ぎた趣味に100万円投下する、というのは、そこらへんでもよくある話で、ギター1本100万円、シンセサイザー100万円、ロードバイクに100万円、バイクに100万円、カメラに100万円と、何かおよそ100万円が一つの指標じゃないかって思うくらい一つの基準として存在しているように思う。

この、度の過ぎたDIYに100万円投下する。悪くない話だなと4月以降思ってた。

思い返せば丹波市にきてもうじき4年。

最初からずっと携わっているみんなの家は元製材所。しかしながら、入居が決まった段階で沢山置いてあった製材機が持っていかれてもぬけの殻になり、これまでずっとカフェ等別のカタチに変えようかと模索してきたが、規模があまりにもでかい為に二の足を踏んだりうまくいかなかったこともありずっとそのまんま。ゆうてしまえば放置し持て余してきていた。

そんな中、今年の2月頃東京で行われたコクリ!キャンプに参加させてもらった時の事。

3-1

そこでたまたまお会いした長野県小布施町の町長とお話を聞かせて頂くことがあり、勢い余って次の日から小布施町に足を運び、長い年月をかけて住んでいる住民にとってよりよい町づくりを推し進めることで町が住んでいる人に対し好影響を与えることがあるということを学び。町が住んでいる人の暮らしにここまで食い込むことってあるんだなって、これまでそんなに実感できなかった領域でものすごく感銘を受けた。丹波市でも歩いていける範疇のコンパクトさを柏原町や春日町の黒井あたりは参考になるんじゃないかなとか思ったり。栗を通じて互いの共通点や違いを模索するのに本当にいい機会になった。

4月に入って、みんなの家を出て、自分の家族ごと隣村に引っ越した際に、これまでは住むところと働くところが完全に一緒であったことが実によく感じられ、たかが車で4分程の距離しか離れていないのに、職場と家がこんだけ離れることでなんで不便で非効率的で対効果が悪くなるんだろうという感覚に陥った。今もそう。

例えばインターネット回線1つとってもそう。一本引くだけで、一本のコストで家も仕事場もまかなわれていたものが、2本必要になる。

家でも仕事もでも必要な物事が、家と職場が離れることで必ず2つ必要になる。これが実にアホらしく、この田舎で、住んでいる家がありその集落でその地区で生きていくことを考えた際に、実に無駄なことをしているなあという感覚。

昨年度から丹波市の移住相談窓口の業務委託を受けて日々活動している中、丹波市というのは実に恵まれた地域だと常々思うようになった。

京阪神からわずか1時間半程で出てこれる為、京阪神の人からすれば特に移住しやすい。一年間で我々が相談を受けて移住した人が、一年間で丹波市に移住した人の人数のわずか10分の1程しかいないのがその何よりの証拠だ。10分の9は何の相談もなく、そのほぼ半数は仕事の都合だけで移住してきている。それはただの引っ越しの感覚であり、大阪の人が神戸に引っ越すくらいの感覚で実際に移住してこれている。おまけに、仮に仕事の都合じゃなくても、家だけが丹波市で仕事はお隣の篠山市や福知山市、多可町、大阪、神戸、三田、なんていう人はざらにいるし、元々丹波市に住んでいる人自体もそういう人が多い。

そうなってくると、丹波市からの委託を受けている立場からして、
相談窓口の委託金は市の財源。よそものを受け入れたいと考えている地域もあれば興味のない先も正直ある。どんな人でも受け入れたいなんていう地域はまだまだ少ない。そんな人達からすべからく集めてきたお金でもって運営されている。
そうなってくると、じゃあどういう人の相談にのり、どういう人に移住してもらうべきか?を考えていくと、丹波市に移住し、その移り住んだ家のある集落ないしは地区で仕事も行い、暮らしていく人をもっとたくさん存在してもらうことに注力していくべきなんじゃないかと考えている。

それは、丹波市全体で見ても、若い人がどんどん外へ出て、高齢化が進み、地域の担い手不足が深刻化してきている中、消防団であったり、地域の日役(草刈り等の村守り活動)にも参加してもらえるような人材を増やそうと思うと、やはりその家に常にいて、その地域で仕事をし、その界隈に常にいる人材をつくっていかなければ、過去のよい文化や慣習、村が大事に残してきたものなんかがもう守れない段階に差し掛かってきているし、次の一手に手が伸びない状況は日に日に深刻さが増してきているので、自分の体が五体満足動く間に動き始めなければいけないと感じ始めていた。

そんな時、また先程のコクリ!の繋がりで、ずっといきたいと思っていた岡山県西粟倉村のツアーが企画され、これまた参加させてもらって。

先述の、これから丹波市ではその地域に根付き、その地域で家庭も仕事も全てそこにあり暮らしていく人材を創るべきだという発想をものの見事に具現化している地域であるという印象で、民間企業も行政も、それに全力投球し相互に助け合っていてすごい好循環を生んでいるように感じ、実に勉強になった。

そこで、今回のアメリカの話。

南中

この、みんなの家が存在する南中という集落というのは、田んぼや畑がたくさんある訳じゃないから、農業では生きていけない。生きていけそうな可能性があるのは、裏にある山だけ。でも、その山も所有者が村に居る訳じゃないと聞いているのでどこまでできるかはまだわからないが、これから丹波市へ移住してくる人たちのモデルケースになれるように、この家にとって、この地域にある資源で、ここで全てがまかなえるような暮らしを実際にやってみようかという気持ちがグングン湧いてきている。

この界隈で、この界隈であるものだけで生きていこうと思えば、もう問答無用で山しかない。
その、実現可能性を追い求めてみたい。その為の、検討の為の視察。それが今回のアメリカ出張の目的。

今年の2月以降、色んなご縁で、色んなことを考え、視野が広げてくれて。
全然関係のないようにも思えるよその地域であっても、自分の中では少しずつ緩やかに関係していて、今回の出張に繋がっている。

自分は死んでも海外にはいかないと心に決めていて、自分が海外に行く時は死ぬ時だくらいで思っていた。それが、ここに来て揺らいだのは、それだけこの可能性の先にある世界を垣間見ておきたい、その純粋な好奇心。

どうなることやら。

とりあえず。いってきます。