決断の先にあるもの
本日発売のTURNSに掲載されました。12月号。
今回はみんなの家というか、うちの丹波市から委託を受けている移住相談窓口の取り組みについて。
戸田君ところはほんと色んな奇跡が重なって最高にうまいこといった事例。
でも、傍から見ていると決してすべてが運がよかったなんていうもんでひとくくりにできないもんがある。むしろ、運を引き寄せていっているようにも見えた。
あまりスピリチュアルなところの引き寄せの法則がどうとかは信じない性だが、戸田君以外の人でも最高にうまいこといっている人達には共通点がある。
それは
“決断”
決めきらない人はどこまでもふわふわしている。丹波市にくるのか篠山市にくるのか朝来市にいくのか、どこもいいしどうしようかなあなんていうてる人にはどうにもならない。そんな状態でいくら地元の人と接していても、地元側からすると
“こっちにくるかどうかも決まっていない人に対してはどう接していいかわからない”
“来るかはっきりしない人にどんだけ助けてもどっかいってしまうかもしれないんじゃ力を貸せない”
“方向性が決まってないならどう助けたら助けになるのかがわからない”
といった現象が起こる。
仕事も住まいもどうなるかさっぱりわからない段階で彼は
『とりあえず丹波市に移住することだけは決めました。なので仕事辞めました。』
といってきた段階で全てがもう決まっていたんだと思う。来るのか来ないのかだけでもはっきり決まると、じゃあ仕事決めなやばいやんかってことになって、物事が進み始める。周囲のみんなもそりゃえらいこっちゃなんとかせなってことで必死のパッチで応援してくれる。来ることがはっきりしたから。
本人はきっと、仕事も家も決まってなかったから全てが決まるまでの半年間はかなり胃の痛い日々だったと思う。
それでも、丹波の人がなんとかしてくれると信じて“丹波市にくることを決め”てくれたからこそ、こちらの人もがっつりその気になって応援してくれて。
この、一番最初の、小さな小さな一歩のハードルが越えれるかどうかにかなりかかっているのだ。
この決断を、移住希望者自身が決めないと、どんだけ移住相談窓口が頑張っても絶対的に無意味なのだ。移住相談窓口が頑張った結果移住に繋がるなんてことは起こりえない。この、決断を支援するところに相談窓口の意義があり、存在価値がある。じゃないと、家と仕事だけが問題ならばそんなもん町の不動産屋と人材会社に任せておけばええやないか。
移住者の数や相談の件数なんていう定量的な指標でこの仕事の価値は見えないのだ。
それがわからない窓口に価値はないのだ。
移住希望者は良くも悪くも、新天地に対しこれまでになかった有意義さを求めている。それを、受ける側が不毛とわかっていながら相手していても仕方ないのだ。有意義さを求めてくる以上、こちらも最善の有意義さを提示し、それが合致した結果論が移住であり、それはゴールではなく通過点でしかない。その後がなによりも大事なのだ。某大手大学に入りました、某大手会社に就職できました、某好きな人と結婚できました、で人生終了にはならないのだ。そこからが始まりなのだ。
決める気がある人はいつでもお越しください。どこまでも力貸します。