いかんともしがたい事実


昨年の4月から今の家に引っ越してきて、なんやかんやで10か月弱が経過。

ここまで結局、6LDK(+倉庫3つくらい+田んぼ+畑)くらいある我が家を2LDKくらいで生活できてしまっていて、持て余しまくっている。

倉庫

今年はなんとかしよう。活用しよう。と、思いつつも、最終ゴールのイメージがいまだつかず、ずっと悩んでいる。

この悩みはちょっと複雑で、自分でも珍しいと感じつつ、なかなか答えがでない。

昨年の4月から家族が大阪からやってきて、一緒に住み始めた。同時に、丹波にきてからずっと住み続けてきたシェアハウスみんなの家から出て、ここに来て自分の生活に“家族との時間”という新たな領域の時間がでてきた。

元々の理想としては、仕事も私事も全部いっしょくたにした暮らしがしたいとずっと思っていた。
やることなすこと、全てが仕事であり家族との時間である。そういう生活。それをしようと思うと、日々の拠点を家に置く必要がある。今の家から仕事場であるみんなの家まで車で約4分程。距離にして2.5km程。たったこれだけ離れてしまうだけで、実に具合が悪い。ちょっと忘れ物したら、今までとりにいくなんて目と鼻の先だったので忘れ物なんていう概念がなかった。例えば剪定鋏を買ったとして、それを一個買っておいておけば、家のことでも仕事のことでも使えた。それが、今完全に切り離れ、どっちかに置けばどっちかにないというジレンマに挟まる。こういった、幾分アホ臭く感じてしまう現象が如実に増えた。

職場としてのみんなの家を充実させると、我が家がないがしろになる。我が家をないがしろにすると職場がないがしろになる。この、狭間。

例えば何かコンセプトを分けたとして、我が家と職場を別々に充実させれたとしても、結局のところ、自分の体は1つしかない。同時に存在することはできない。だから結局のところ、あっちいってこっちいってしないといけないし、決して交わらない、積みあがる物事を単純に二分しただけにしかならない。どうしたもんかと。

ここのネックが埋まらない限り、なんとも進めようがないというのが本音のところで、さて、どうしたもんかなと。絶賛悩み中。

体は一つしかないという、いかんともしがたい事実が、悩ましい。