なぜバランスをとりたがるのか?


午前中、篠山市福住に住んでいるあだぴーがお客さんを連れて来訪。

インテリジェンスが厚生労働省からの委託を受けて行っているLO活を運営しているという担当者さん。

とりあえず丹波市の現状と今後の予定をお伝えして、その後LO活の展開を伺う。何か一緒にやれそうですなというお話になり、具体的に動き出せばもっかいつめようという感じに。めちゃおもしろかった。ちなみに同じ年。

我々もなんやかんやで今年で35歳になる年。35歳といえば、大学を順調に卒業してたらもう社会人歴も13年程。大手企業に勤めているやつらもボチボチお偉いさんか中堅どころの実行部隊の責任者になってたりもする。社会人始まったばかりの頃は、大手企業に勤めていたやつの大半は実におもんなさそうで死んだ魚のような目したやつが多かったけど、さすがにここまでくると逆にやれる範疇が大きくなっていたり、それなりの決算権をもったり、それなりの部下がついていたりもする。

我々と同世代が、社会の一役を担いまくる時期がぼちぼち始まっている感。これから50代迎えるあたりまでが色々やれそうやなあという感覚。楽しくなってくるなこれからが。

やっぱり自分はそんなに真面目な性質ではないし、真面目なことばっかり考えてると嫌気がさしてくる。どうしても。これはもう性分やなって思う。真面目なことばかり振りかざしてたら不真面目なことを考えたくなる。自分でもよくわからないバランス感覚が働く。何かに偏れば均衡をとろうとする。なぜか妙な偏りを許さないこの傾向。なぜこれほどまでにバランスをとりたがるのか、それは自分でもよくわからない。

何年かに一度、バランスをとってる場合ではなく、どんだけ傾いてでも突っ込んでいかないといけない勝負所というのがある。
その場面に出くわした際、躊躇うことなく突っ込んできた。突っ込んだ後、崩れまくったバランスをまたとろうとした時、ふっと振り返ってみると大きなバランスがとれるようになっていることに気づいたりもする。ヤジロベーに例えると、腕の長さと重さが、より長くより重くなったような。自分の中に、以前よりできる範疇が増えたという実感値とともに。

平和主義やから、何事もなく平和でいられるのが理想。でも、そうもいってられない場面がくる。その際、いつでもバランスを崩せる心構えだけは、今後ももっておきたいもんだと思う。