答えのある世界、ない世界


夜、昨年移住相談にのって無事に移住した夫婦の友達が丹波にくるので会って話をきいてやってほしいということで会いに。

現在は予備校の講師をしているということで、今後どういう感じでやっていくのがいいかという話から、教育全般的な話に。

大学受験並びに大学の講義等、およそ試験的なものはすべからく答えが用意されている。
受験生たちはどこぞの誰かが用意した、“答えのある世界”で生きている。

~~するべきだ。なぜなら答えがこうだからだ。

~~した方がいい。なぜなら答えがこうだからだ。

~~せなあかん。なぜなら答えがこうだからだ。

およそ人生の中で、こうせえああせえと言える物事は答えのある世界だけで、答えが用意されていない世界には~するべきだとか、~した方がいいとか、~せなあかんとはよう言わん世界が広がっている。答えが何かわからないし、1秒先の未来でさえも誰にも見えないんだから何が起こるかわからないし、やってみないとわからない。Aさんはそれでうまくいったかもしれないけど、Bさんは同じことをして失敗するかもしれないし、うまくいくかもしれない。

答えのない世界に飛び出したら、あとは自分で答えを創っていくことの方が大事になる。

答えのある世界と、答えのない世界。両方を教えられる先生方がたくさんいてくれたらいいのになと思う。