シェアハウスの一番いいところ


午前中、久しぶりに移住希望者の人のお相手をさせていただくことになり、まずみんなの家に集合。

丹波市内で働くことが決まっていて、あとはどこに住むか?を考える際に、シェアハウスがいいんじゃないかと思っていて、色々なシェアハウスを見てみたいということでアテンド。シェアハウスがあるという認識がほかの地域に住む人たちにもちゃんと通じていて、こうして選択肢に入ってくるというこの事実は、よその地域にはない丹波市の特色の一つなんだろうなと思う。

フラワーハウスはオーナー不在でさくっと外見だけ見にいって、その後サードプレイスはなやぎへ。

シェアハウスはオーナーの人柄がもろに出て、全てに左右する。完全放置の完全自由なところもあれば、色んなルールを決めてやっていくところもある。どこまで許せるか、どこまでやれるか、どこまで認められるか等、それはオーナーのさじ加減一つ、とあとは法律笑

オーナーも一緒に住むことになるシェアハウスなら余計に、部屋がどうこうよりも、オーナーと気が合うかどうかも結構重要な要素になってくる。マッチングまではなかなか難しいところもあるけど、がっちりはまったら最高におもしろい生活が待ち受けている。

シェアハウスのいいところは結局色々あるけど、

赤の他人と家族になるという疑似体験ができる

ということなんじゃないかなと。これは例えば、どこか空き家を見つけ買うか借りるかして入居し世帯主となり、その集落の村づきあいをするというその“村づきあいをする”という次元よりもはるかに深く、密度の濃い生活をすることになる。村の人たちの付き合いというのはIターン者からすれば、世帯主と世帯主、家と家の付き合いの集合体。地元の人たちにとってみたらそこに親戚も兄弟姉妹やらも家を構えていることがあるので全てが赤の他人との付き合いかと言われれば決してそうではない。

なので赤の他人が家の中にいるか外にいるか。中にいて、そして生活を共にしていくというのはもはや家族であって、友達以上家族未満な付き合いなのだ。

この密度の生活が普通にできて、円満にいけるということは、村付き合いはゆってもそれよりは濃度が薄い訳なので十分やっていけるはず。

シェアハウスの住人同士、自分と気が合う人もいる、合わない人もいる。“そして”一緒に暮らしていく。合わないから外すとか出て行くとかではなく、どんな人であっても一緒に暮らしていく。その疑似体験濃度はなかなかできるもんじゃない。

今はシェアハウスを出て、我が愛する家族と暮らしている訳だが、当然暮らしやすさが半端ない。だって赤の他人じゃなくて愛する家族と暮らしてるんやから。めっちゃハードル低い、結婚生活の方がよっぽど。なのでシェアハウス生活のおかげで、普通の家族の生活がとてつもなく最高に暮らしやすい生活に映る。

なのでやっぱり、シェアハウスに入るなら、どういうことが巻き起ころうとも一定期間、“しっかり暮らす”方がいいと思う。絶対今後の糧になる。