ワンオペ育児の限界ライン


ワンオペ育児の定義がいまいちよくわからんけど、ここまでワンオペ感がそんなにない。

ご飯作ってもってきてくれる人や、
家の御飯に誘ってくれる人、
必要な時間子供を引き取って預かってくれる人、
仕事中代わりに面倒みてくれる人、
うちの代わりにやらなあかん事やってくれる人、
スーパーで買物してたら知らん人でもやっぱり父と子だけのセットは珍しいからか毎回誰かしらに声かけられるし、
親の代わりにトイレトレーニングしてくれる子や、
飲食店にいけばおまけしてくれたり。ありがたいことでございまして。

名キャッチャーがいっぱいいるおかげでストライクにはならないまでも暴投にならないボール止まりくらいでギリギリいけてるかな。

ワンオペ育児なるものが家事と育児を一人でこなさなあかんということだけなら、まあゆうたらただの専業主婦(一昔前の定義な感じなのかね、専業主婦も)かな。いちいち声を大にしていうもんでもなく、ただの家庭の問題かなと思う。

ワンオペ育児なるものが家事も育児も仕事も全部一人でこなさなあかんということなら、まあ確かに成立する条件は限られてくるやろうから大変かな。今回プチ介護みたいなもんがおまけでくっついてきたけど、プチでよかったなぁと思う。さすがに離れた場所でガチ育児、ガチ介護は物理的に無理。無理無理。四身の拳覚えなあかん。うちの家庭よりももっと晩婚さんは、もしかしたら実家の親が介護になっていうことになればそのガチ無理な状況下になるやろうなあというのは、容易に想像がつく範疇だからきっと、世の中にはそのガチ無理な状況下にいる人も相当数いるんだと思う。

もし今回俺がガチガチのサラリーマンで多少の貯金もしてきてなかったら萬田金融にいくか東尋坊にでも出張してたかもなぁ。可能性的に。ガチサラ一択の暮らしをしていたら、この生活は成立しなかったやろう。

ガチ育児してると最初ほんまに未来の予定は最長明日までしか見えずで、明日何食わすかだけで脳みそいっぱいになる。

これまで奥様に明日以降の予定の話ししててもどこかうわの空な感じだった気持ちがよくわかる気がする。明日何食わすか、今日何食わすか、今夜無事に平和に寝れるかが、何より大事になるよねほんと。未来が見えるなんて神様じゃないんやから、どうなるかわからん未来よりも、今、平和か、幸せか。

どこまで普遍的なものかは知らんけど、育児におけるマインドセット。

とりあえずどこまで続くか知らんけど、人生の中での一つの経験として、この道は通っておいてよかったかなと思う。
毎日刻一刻と過ぎていく日々の思い出として子供と一緒の時間を刻めることや、これまでの自分ではわからなかった立ち位置の違う人の気持ちとか。

万人に同じ経験しといた方がいいとは思わないけどね。ないにこしたことはない。