“お姉ちゃんなんやから”から生じる余計な足かせは出来るだけ軽くしておいてあげたい


うちの娘は年下の子があまり好きではない。厳密にいうと、その年下の子自体が好きではないのではなく、年下の子といることによって生じてくる

『お姉ちゃんなんやから遊んであげて』

『お姉ちゃんなんやから譲ってあげて』

『お姉ちゃんなんやから〇〇』

といった、周囲からの無言有言の圧力が嫌いなように見てとれて。

 

確かに、そもそも『お姉ちゃんなんやから』から生じる物事にメリットが見当たらないのである。何かを強いられたり、何かを断念させられたり。

『お姉ちゃんであることになんの意味もない』

とヤサグレてヤンキーになるイメージしかないので、普段からお姉ちゃんなんやからというセリフは吐かないようにしている。

 

ただ、先に生まれた身としての、『大人気ない』という指摘ならまだ理解できる。

例えば、息子が機嫌よくおもちゃで遊んでいて、それを奪い取って泣かしたとしたら、それは大人気ない。これはわかる。

かといって娘もまだしっかりと子供なので、大人気ないと言われてもまだ子供やしと言われたら確かにそうなので、時折余分に甘やかしポイントを作るようにしている。

今夜は娘ちゃんの食べたいものを食べよう何がいい?と聞いてみたり、よその同年代以上のお子様がいるご家庭をご飯にお誘いしてみたり、おやつの時間以外にでもアイスクリームでも食べようかと誘ってみたり。

 

うちの姉はコテコテの昭和世代の圧力によってなのか、

『お姉ちゃんたるものこうでなければならない』

『女たるものかくあるべき』

といったイメージ像を真っ向から受けて、合気道は黒帯、高校は進学校、大学は昔から数学の先生になるといってたので数学の科があるとこ、弓道は全国8位、大学でるまでユニクロでしか服買ったことない、大学でるまでよそで泊まってきたことない、大学から付き合い続けた人を旦那にし、お互い公務員という神がかったお姉ちゃん像を爆進してきた背景があり。

 

今でこそ全てが落ち着き、全てが丸く収まりかけてるからこそ、全ての過去が美談のようになるが、何か目に見えない圧に耐え忍んでいた空気を感じる時もあって。

その側を弟という立場で適当の化身として生きていた自分からすると

『もっと適当にうまいことやりゃあいいのに』

と思ってたこともあり。

 

 

意味のない足かせは、軽くしといてやりたいと思うのだ。