“関係人口”が巻き起こしている不自然な現状と対策


さて、本題の関係人口に入る前に2つ整理したい。

1つは以下を語る私の立場だが、仕事も複数あり、色んな立場や在り方が存在する。

どの立ち位置から語るかで考え方が変わるので、今回は移住相談窓口に関わる“移住担当者”として話をし、最後に“一田舎のおっさん”として締めくくろうと思う。

2つ目は改めて関係人口という言葉の、国が示している定義を見ておこう。関係人口はあちこちで語られ過ぎており、位置づけが曖昧な為。

~「関係人口」とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域や地域の人々と多様に関わる人々のことを指します。~

総務省ホームページ
http://www.soumu.go.jp/kankeijinkou/index.html

 

この文章を説明する形で、一緒に掲載されているイメージ図が以下。

 

つい最近まで国は地方移住を声高々に謳ってきたのが、なぜ最近になっていきなり関係人口と言い出したのだろうか?

 

 

関係人口施策は負け戦の敗戦処理?

 

 

先日、興味深い記事がfacebook内で友人がシェアしていたので紹介しておこう。

 

◆やっぱり若者は東京へ。日本の人口政策が大失敗している論理矛盾(newswitch:2019.08.17)
https://newswitch.jp/p/18862

~2020年までに東京圏への転入と転出を同じにすることを目標としたが、その差は縮まるどころか年々拡大している。目標達成は事実上不可能な状況で、政府が6月に示した20年度から5年間の地方創生施策案では「定住人口」ではなく、兼業や副業などで地域を関わる「関係人口」を増やす方向に切り替えざるを得なくなった。~

 

ぐうの音もでない程、この通りだと思う。現段階での見通しとして目標達成が難しくなり、軌道修正を余儀なくされた。

つまり、

“想像以上にみんな移住しなかったので、観光と間とって移住しなくてもいいやって方向でいこう”
とせざるを得なくなった。これがほとんどの地方自治体の実態だと感じている。

 

丹波市からの移住相談窓口業務を受託していたのが2015年4月~2018年3月末の3年間。

当時、丹波市に限らず県や国、各地方で活動しているプレイヤーの方々と頻繁に意見交換をしていた。

 

今から3年ほど前にはすでに、全国的に移住施策の行き詰まりが叫ばれており、

『“移住と観光の間”の施策がやれたらいいのに』

という話が出ていて、その時はまだここに“関係人口”という言葉がはまっていなかった。

 

ただ注意したいのは、定義づけられる明確な言葉がなかっただけで、今でいう関係人口施策としてのお手本的事業自体(長野県小布施町の“第二町民制度”等)は、国が地方創生だと言い出すもっと前から全国のあちこちですでに行われていたものもあった。

 

移住施策の行き詰まりというのは、大きく3つある。

1つは、移住者が来すぎて逆にもう沢山来られても困るというケース。

2つ目は、それなりに移住者が来ているものの移住者数等において中途半端だというケース。

3つ目は、喉から手が出る程移住者に来て欲しいのに全くと言っていい程来ないケース。

 

“関係人口施策”という冠でやろうとしていることは、それぞれ求めるものが違うものの、

『移住者が一気に来られても困るから緩やかに移住してもらいたいし、なんならまず最初にお互いのことをよく知った人にだけ移住してもらいたい』

『移住者を増やしたいが思いつく移住施策は行き詰まった。いっそのこと、移住しなくてもいいという打ち出し方で事業を行った方がきてくれるのではないか』

『これまでやってきた移住施策は本当に限界だ。他の手に出よう』

という具合に、これからやろうとしたものが合致した、それが関係人口施策なのだと感じている。

 

一旦これまでの移住施策は、ほとんどの地域で行き詰まり、または見切りをつけられたというタイミングなのだろう。

なので、やはり現時点では、負け戦の敗戦処理という雰囲気が全国的にも色濃い。

※そもそも、なぜ移住施策は失敗したのか?については、また機会があれば記そうと思う。ここでは割愛。

 

 

移住(観光)関係者が口にする“関係人口”は胡散臭い

 

先述の流れから、移住関係者の中で巻き起こってきた関係人口。個人的な考えとしては、移住関係者が外に向かって言ってはいけないタブーワードだと感じている。

 

総務省の定義に戻ろう。(上記参照)

 

交流人口は、観光関係者が追って日々業務にあたっている。定住人口は、移住関係者が追って以下同文。

では、関係人口は?

ということになる。つまり、今関係人口を追うべき主体がどこの誰なのか?が不明確な状態で、いわば過渡期なのだ。

 

『移住関係者(もしくは観光関係者)が定住人口を追いかける』

 

この様子を傍から客観的に見ている自分を想像頂きたいのだが、私自身が想像した時にイメージされたのは、保険の営業マンやネットワーカーが主催する異業種交流会のようなもので、交流を目的としているとはいうものの、どうせどっかで保険の営業かけてくるんじゃないか、こげつかないフライパンでも売られるのではないか等という、つい何か裏があるように感じてしまう。

そういった感覚がある。つまり不自然なのだ。

 

さらに言えば、上記の例でいくと、保険の営業(見込み客開拓の一環)が本当の目的であるならば、せめてそう思わせないように飲み会開きなさいよと、こう思わないだろうか?

自分自身、元営業マンなので、右も左もわかっていない新卒が企画した飲み会のように感じてしまう。

 

本当の狙いを一旦完全に横に置ききれる人間というのも想像以上に少ないというのが個人的な感覚値でもある。それだけ、難易度の高い施策になるということでもある。

 

特に移住や観光といった類いのものはおよそ行政と関わっている場合が大半で、行政といえば“縦割り”“横の連携皆無”といったイメージもある。

そんな環境下に生きている職員に対し、隣の部署の仕事をやれと指示したところで、本当に動くのだろうか?といった点でも不自然な感覚がある。

 

不自然ついでに言うと、私自身が知っている範疇でも、

『ふるさと納税をしてくれた人は関係人口だ』

とする自治体も存在する。この話を聞かれた人はそんなふざけた事があっていいのかと思うかもしれないが、総務省の定義をしっかりとご覧いただきたい。

 

~「関係人口」とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域や地域の人々と多様に関わる人々のことを指します。~

 

定住人口でもなく、交流人口でもないから、関係人口なのだと言われれば、そうなってしまう。この総務省の定義では、ただふるさと納税した人でも定住人口として解釈できてしまうのが実情なのである。

なので、国としては別に間違ったことを言っている訳ではないのだが、果たしてこれは本当にこのままでいいのだろうか?

 

最後に

 

関係人口を取り巻く環境は今、とても過渡期にある。あちこちの人が勘違いをしていたり、違う定義で関係人口と言っていたりする。過渡期ならではの混沌とした時期なのだと感じている。

 

紹介したリンクの通り、現時点では地方移住を推進するという意味での地方創生は間違いなく失敗であって、東京移住者の数が圧倒的に伸びている。これは動かしようのない事実である。

 

だが、個人的には地方創生は完全に失敗であったか?ということに関しては、今というタイミングで判断すればそうなるが、今後はどうなるかわからないし、むしろこれまでは種まき期間であってこれから先芽が出てくる可能性を感じていたりもする。

 

自分自身、地方へ移住し、かれこれ7年が経つ。

この間に、地方移住ブームや地方創生ブーム等が巻き起こり、時が経てば経つほど、地方への関心が年々高まっている感覚があるし、今と移住当時を比べても、遙かに環境が違う。

 

定量的な目標達成はなされなかったが、定性的な目的としてはそれなりの価値が感じられるものがあった。

現時点で私が感じている違和感がもし全国的に共通の感覚であるなら、ここまで蒔いた種がちゃんと芽が出るように仕切り直していくだろうし、実がなれば刈り取る動きが必要になる。

 

地方創生では全国に無駄金をばらまいただけで何の成果もない愚策だったという人もいるが、あれはある種、各地方自治体がばらまかれたお金をうまく使えるかどうかを国に見定められている側面があると感じていて、受け取ったモノをどう使うか、活かせるかを考え、実行する。

 

結局、それができる地方自治体が魅力的に映り、都市部の人の関心を寄せる。つまりはそれが直接的にではないにせよ関係人口が目指す目的地と同じ方向性なのではないかと思ったりもする。

 

移住者でも、移住関係者でもない、ただの“一田舎のおっさん”としては、交流人口だろうが、定住人口だろうが、関係人口だろうが、まず何よりも

『普段の暮らしは、自他共に大切と思える間柄の人達と一緒に暮らしたい。
普段の仕事は、気持ちよく付き合える仲間とクライアントと働きたい。』

これが全てである。これが揺らいだり、損なわれるものは愚策と言わざるを得なくなる。関係人口施策がそうならないモノであって欲しいと願う。

 

また、総務省の定義でいけば、交流人口でもない、定住人口でもない、自分の親や親戚一同、かつての友人、仕事仲間に対して、関係人口というものはここまでの話でいえば自分の関係者であるということで勝手ながら『あなたたちは関係人口です』と冠を付けうる定義となっている。

 

正直、自分の家族や友人等に、勝手に関係人口という冠を付けて頂きたくはないし、もっと言えばそういった大切な人達に『~人口』と名付けるのは如何なものかと真剣に思う。

私が住んでいる地域だからということでふるさと納税等、応援してくれる人がいる。その人達は大切な友人や知人、家族であって、それ以外の何者でもないのである。

 

それこそ、ここから先、本当の意味で、お互い大切にしたいと感じられる関係性を構築していくことに関心を寄せてくださる人達と、今後の未来を考えていきたいものである。

 

そういう意味でも、“関係人口”の施策というものは、仕掛ける側に“よその人と関係を創りたいという意思があるか”が大前提だと思う。関係をつくりたいと思ってもないのに、関係なんて創れる訳がないのだから。