五月病は五月のうちに


今朝も爽快な朝を迎えられた。どうやらもう完璧に不眠症を抜けた感がある。

抜けました。お騒がせしました。

 

 

今回、不眠症の発端はGW中に突如、息子の授乳姿に生理的に受け付けられない嫌悪感を覚えた、というきっかけからスタートし、その一週間後とある肥満児の五月蠅すぎるいびきによって寝れず、間接フリーキック的に全然関係ない事件が重なった事で深みに入ってしまった。

 

自分的には、ガチでやばかったらFacebookとかなんやらに投稿してないだろなと思うし、多少の余裕があるから出来てる訳で。うんともすんとも言わなくなってるやつがヤバイというのは、自分も崩れてみて思う。

 

完全に抜け切って振り返ると、ほんともう最終着地点が俺の中ではただの笑い話でまた人生におもろいネタが出来たと思っていたりするし、今の反応はどういう反応か?なぜそういう反応がでるのかその背景は?その背景は何がどう機能して構成されたのか?等と、何層にも深掘りされていったことで人生で5本の指に入るくらい新たな理解と深い気づきと学びを得られたと思っている。

 

が、こうした花粉症なんかと同じでアレルギー反応のリミットのような、臨界点を超えるきっかけ、事件と聞くとどんな酷いことがあったのか、100%のうち、80%くらいのインパクトがあるように勝手に思い込んでいるような気もするが実はとても些細な、1%、普段何気なくみかけるアレ程度のきっかけでもそれが100%に到達するしないのきっかけになり得たりするんだなということを身をもって体感した。

 

だから、実際のところ、授乳姿が云々というのはきちんと整理していくと直接はほぼ関係ない話だというくらいのもので、この一部始終は結局、俺だけでなく、嫁様も含め双方の生まれ育ちくらいまで遡られ、とてもとても深く、自分たちを見つめなおすいい機会となった。

 

自分だけでなく他に関係者がいるのでここで全てを話すことはできないが、ここまでに話した何人かの反応を見ていると今回の体験は聞いてもらう側にも、現状を見つめ直し改善させる一手を考察する機会となっている側面も見受けられるので、会った人には話せるとこまで話したいと思う。

どこまで話せるかは、人によって異なってしまうことは申し訳ないなと思うがこればっかりは仕方ない。むしろ日常に無関係のよその人の方が話しやすい。

あかんと思う事態に直面してから即座に改善の手を洗いざらい打ちまくり、恐らくこれが最短のリカバリールートちゃうかと思うルートで改善され、以前よりも快適な暮らしに突入しております。なのでもう大丈夫。

いやあ、清々しい。雨やけど。

 

眠れない時間が多い=考える時間が多い=色々調べられる時間が多いということで、今回色々聞いたり調べたりしてて、きっかけになった授乳への嫌悪感についてネット上だと嫁側の話ばかりで旦那側の話がほとんどなくこれは自分だけの希有な事例なのかどうかはわからないけど、嫁側で授乳に嫌悪感を持つ人は相当数いるんやなという実感値。

これは本件に付随して意外な発見の一つだった。(ちなみに今はもうすっかり大丈夫)