anti planning


計画を立てても、完全に計画通りにうまくいったことがほとんどない。

計画通りの順序で物事が起こることも少ないし、ツマミをひねれば火がでるといった予定調和的現象ですらたまに違う結果をもたらすことがある。

その計画を綿密に立てれば立てるほど、具体的にすればするほど、実際の現場は計画が狂うからうんざりしてやる気が失せる。

そうなるくらいなら、鼻から計画なんぞ立てない方がいいんじゃないかって思っている。無限に時間はないし、なによりもったいない。

つまるところ自分には、綿密な計画を立ててもそれを遂行する能力がない。むしろ遂行するつもりもないのかもしれない。うん、皆無に近い。
なによりまず計画を立てるのがめんどくさい。
めんどくさいに負けてしまうが故に、このプランニングできない自分の弱さについてはかねてからずっと何度も改善を試みてきたが、どうしてもできない。向いてないんだという結論にいたっている。

なので、自分が何かやるときはざっくりとした方向性と判断基準となる目的と、どんな現象が起こっても絶対に譲りたくない結果を決めることにしている。

なにより、具体的で緻密な計画は人に共有しづらい。ややこしくて複雑になり、伝えるのに時間がかかりすぎて伝える気が失せる。崇高なプランは、その崇高なプランを実行できる人によってのみ理解ができ、それができない人からすれば何の役にもたたないばかりか、思考が停止しおまけに動きまで止める。

そもそも、なんの為に計画をするのか?

計画をたてる前に、今一度その必要性と意義を考えた方がいい。真剣に。

実現したい、手に入れたい結果は何なのか?
その為に、いまやろうとしているそのプランニングは本当に必要な過程なのか?
なぜ計画通りに遂行できないのか?そんなことを言及する前に。自分自身がやらない計画なのであれば余計に計画そのものが実現可能性に欠ける計画を立てた方が悪いということになる。

一か月以上先の計画なんぞほとんどが机上の空論で、大体想定していたリスクヘッジなんぞただの取り越し苦労で終わる。確かに、考えておくことに越したことはない。ただ、それは考えておくなんていう暇と余裕があればの話であったり、考える人と実行する人が分かれていてそれぞれ存在する場合の話。

計画をたてることがものすごくアホらしくなって、存在意義すら揺らぐ事がこれまでの人生において多々あった。もし仮に、ありとあらゆるケースを想定して、あらゆる事態にも完全に対応した計画が立てれたとしよう。
それを完全にこなし切った場合、100点満点。

しかし、100点以上はとれない。全てが計画通りで想定通りやから。

何をもって100点にするかによるが、個人的には想定外の不測の事態が起こった時にとっさの判断で当初考えていたゴールよりも予想をはるかに超えたゴールをもぎ取ったその瞬間の、自分が思っていた、期待していた以上の結果を手にした時の快感がもはや中毒的になっていて、もはや今更計画通りに動く人間になれと言われてもそれが実にちっぽけな存在に見えてしまってなろうと思えない。

150点がとれるもんならとりたい。

200点とれたら最高。

1000点とれたらもうお祭りや。

10000点とれたらもうそこが人生の終焉で構わない。

わたくし、そっち派。