アメリカ滞在記5日目~同じ“人”という感覚~


朝6時半から滞在先のホテルで朝食バイキング。美山里山舎の小関さんと先に頂き、あとで遅れて中園さんが合流。
すると、我々が目にしなかった目玉焼きを皿にのっけてやってきた。どこにあったのそれ?と聞くと、バイキングのところのおっちゃんにゆえば作ってくれるんだと。英語が話せる話せないで生まれるこの格差。昨日の奇跡の出会いといい、英語を話せるようになろうという決意がふつふつと湧いてきた。

meeting

ここから二日間、世界各国のディーラーが集まってのディーラー会議。woodmizer社のあらゆる製材機の実機見学と工場見学、現状と今後のwoodmizer社の方向性のプレゼン等々。英語がさっぱりわからないがプレゼンではゆうてることを記載してくれているのである程度わかる。

高校受験までの“お勉強”ではおよそ読み書きであり、話す話せないという実際問題のやりとりに不可欠な方がほぼノータッチ。日本人であっても日本語の文法が全てパッとわかるような人はほぼいるようには思えないし、それは英語圏の人が英語の文法のことをわかっているかといえばそうではないのと同じ。もっとちゃんと会話の方をやりたかったなあ。今更ゆってもしょうがないから、これからこれから。

世界各国共通の話となると、どうしてもプランテーション的製材の為の産業用製材機の話がメイン。大昔は丸太ごとコンテナ等に詰め込んで木を輸出していたそうだが当然中身に空洞がたくさんできるので運搬効率が悪い。よってwoodmizer社のような製材機を用いてプレカットの板状にし詰め込んで運ぶ。同じ形に切りそろえることで文字通り隙間なく“パンパンに詰めて”輸出できるようになる。

しかし、産業用の動画を見ていて、やはり違和感がある。

日本人がおよそ木に命や神が宿っているとし、木の根っこ側なのか上側なのか木の持つ性質に合わせてどちらから切るかとか、どう切るとどう反るのか等を考慮しながら切っていくのに対し、上も下も関係なくガンガンに切り捌いていく様子を見て、やっぱり根本的な木に対する世界観が違うのだなあと感じる。単純なモノ、素材、製品として見ている。だから日本では海外と同様に産業用機械でガンガンに掻っ捌いていくイメージがつかない。美山里山舎のようなやり方が日本でのオーソドックスなスタイルのように思う。

そんなん言ってるから日本の経済がダメになっていくんだよ、と言われても、これだけは譲れない、という世界観が日本の職人にはあるんじゃないかな。

woodmizer

それにしてもおもしろいのが、一つの会社の製材機を、世界各国で利用し、各国の気候や条件、生えてる木と種類や性質、それらをどのように同じ武器でもって利用しているか。同じ武器であるのに利用の仕方がそれぞれ違うのが面白い。

例えばブータンでは松がやたら生えていて地味に松茸をガンガンに日本に輸出していたりする。そうなってくると、一つの会社の同じ製材機を通じて、別のビジネスチャンスが飛び込んできたりする。
ガーナでは日本では生えておらずほぼ出回っていないアサメラの木がガンガンに生えていたりマンゴーがそこら中にできていたりする。そういったもののうちいくらかでも日本に流せるのであれば色んなものが舞い込んでくるようになる。

もちろん、日本国内であってもどこの誰がどういう思いでもってどのように作っているのかなんてことに消費者がこだわる傾向が年々強くなっているので、同様に相手方の様子もちゃんと把握し伝える術も必要になる。双方の物事を知るにあたり、よくも悪くも英語という共通言語がもう世の中にある以上、英語というツールを使いこなせるようになるだけで扱える話がこれまで以上に広がる。やはり英語を話せるようになろう。自分で。ちゃんと。

chip

それはそうと、indianapolisではいたるところでガーデニングにチップが使われている。たまに色をつけてあるのもある。雑草が生えにくくなるし、見た感じなんだかシャレ乙やし。チッパー欲しい。

ゴーカート

夜は交流会ということでspeedway indoor karting。いわゆるゴーカート。
woodmizer社の社員さんたちとディーラーの皆さんも混ざって。

美山の星

ぶっちぎったるさかいと意気込む美山の星。

美山の星

“ブレーキ踏んだことなんかない”と豪語する美山の星のレースを外で観察。見た感じまあまあのスピードが出ている。何度かチラチラと車体後部のランプが赤く点滅していたような気がするがどうやら疲労困憊だったのかな。僕の目がイカれていたのであろう。

ひとしきりレースを楽しんだあと、ご飯食べてホテルへ。

夜

仕事モードが外れ、お遊びモードになり、一気に英語が聴きやすくなる。製品情報や林業関係等の単語があまりにもこれまで触れてこなかったからやろう。日常会話になると聞き取りやすい。仕事から離れて色んな話をした。異国の地の、異国の言語を話す、異国の人が急激に身近に感じられる瞬間があった。

つたない英語で、たわいのないことを話していると、どこで人は笑い、どういう話で喜び、どういうところで楽しめるのかというポイントがかなり共通していることに気付く。ああ、やっぱり遠く離れた異国の地に住む人といえど、同じ“人”なんだな、と感じられた瞬間から何かバリアが溶けた感覚が生まれ、英語を話すことに抵抗感が一気に失せた。

アメリカにくる前に、世界中を旅した友人から色々アドバイスを聞いていて、所詮どこの国の人でも同じヒト科の動物やから大丈夫なんとでもなるからといったことも聞いていたが、そこにはまだ実感値が伴っていなかった。しかし、それらのアドバイスがほぼすべてにおいて実感値として理解できたことが、なによりの収穫。

自分にとってはとてつもなく有意義なレクリエーションだった。
残すところあと一日、ということに寂しさを感じる程の充実感だった。