帰国~アメリカまとめ~


楽しかった夜の余韻も気持ちよく過ぎ、朝5:30にホテルを出てタクシーでindianapolis空港へ。

indianapolis

もうしれっとスタバでラテでもなんでも頼めるようになった、買い物くらい普通にできる。自分としてはかなり大きな前進。ついこないだまで海外に出ることは一生ないと考えていたんだから。

ここで神宮商行の彼ともおさらば。彼はデトロイト経由だそうで。日本でも会わないのに、海外で会うというのはなんとも不思議。

さよならアメリカ

インディアナポリスから一旦サンフランシスコへ飛び、サンフランシスコから関西国際空港へ。
サンフランシスコからの飛行機にはたくさんのアジア人と日本人。ああ、もう終わりなんだなあという感じがどこか寂しい。次はいつくるかわからないけど、またこようと思う、アメリカ。住むにはちょっと、水とご飯がきついけど。特に水。硬水すぎてちとしんどい。おまけに水の方がジュースより高い。こんだけ土地があって、水がないなんてなかなかに不思議ですな。

あと、それにしてもエコノミークラスってやつはえぐいですな。全然背もたれ倒れないし。10時間はまじできつかった。
寝れないことより、ケツが痛いのがやばくて、ケツ用のクッションをサンフランシスコで買ったくらい、ケツの方が耐えられなかった。ビジネスクラスで飛び交える人になりたいもんです。

篠山口

15時頃、関西国際空港着。19時頃、篠山口着。
迎えにきてもらって、薬草薬樹の湯いって、ご飯とみそ汁とトンカツ作って食べて寝た。一瞬でリセットされてきて、ほんまにアメリカいってきたんかなと思うくらい。

英語が話せないから何しにいくのやらという感じから始まったアメリカ。
自分の中の壁を突破するには絶好のチャンスであり、実に安全で健全にチャレンジでき傍から見たらものすっごい小さな、違いすら見当たらない程度のチャレンジであったであろうが、34歳にもなって初めて海外にいくことになった田舎のおっさんには素敵過ぎた体験であった。

異国といえど、言葉や宗教観や色々違えど同じ“人”。
英語圏の人でも、日本人の話す日本語同様、さほど言葉そのものにそこまで重要視していないし、適当に使って抵当に話してる。ジェスチャーでも十分通じる。

等々。

海外に行ったことのある知人友人たちから聞いていた噂の数々が、実体験でもって腑に落ちてきたのは、何よりの体験だった。身をもって理解するのは何より大事だ。何事も。

まじ満足した。英語話せるようになろう。頑張ろう。

集合写真

実はアメリカ人が心底嫌いだった。前職時代にどうしようもないアメリカ人がお偉いさんだった時期があって、自分の言ったことを平気で言ってないといい、取引先と決めたことを翌日ひっくり返したり、とにもかくにも最悪なやつだった。そいつのおかげでまるっと一括りに嫌いだった。どれくらい嫌いだったかというと、それはそれ、これはこれと普段何でも切り分けられる性質だと思ってるけど、飛び越えて嫌いやった。

でも、今回そんなことも思い出すこともなく、しれっと出発し滞在。
会う人会う人皆いい人で、落ち着いて考えると当たり前なんだが人それぞれであって国民皆がそうであるはずもなく。
銃で撃たれるんちゃうかなんていう身の危険を感じることは今回は一度もなく。物を盗まれる気配も微塵も感じなかった。

もはやどこで植えつけられた先入観なのかさっぱりわからないが、なんだか“アメリカ人は日本人が嫌い”みたいなイメージは戦後のメディアイメージなのか、1980年くらいのデトロイトでの日本車襲撃の映像なのか。もはやこのご時世にそんなものは皆無やでって感じやったし、もはや一昔前の話なんだろなと。もちろん場所に寄っては治安の悪いとこもあるし、今回はwoodmizer社にある程度見守られた中での活動だったこともある。

それでも以前よりたくさんのアジア人がたくさんアメリカに訪れ、自分がこうして訪れる前に沢山接触し、接触することで沢山互いに凝り固まった偏見を先にほぐしてくれてたりもするんだろうな、先日のとしえさんご家族とかいい例で。

とか考えると、それもやはり日本のこの片田舎でも同じことで、同じ日本人でもよそものを一人も受け入れたことのない地域とそうでない地域で受け入れ体制に格段の差があり、かつて丹波市も10年ほど前までであっても、同じ丹波市内の引っ越しであってもよそもの扱いされていた程だ。なので、日本だろうが海外だろうがどちらも同じ事でこの話も世界共通なんだろなと。

片道24時間もかかるえげつないほどに遠い異国に飛んで、そこで巻き起こった今回の1週間は、普段はなんら関わりのない海外の話のはずが、どこか日本の田舎と共通することが多々あり。小さくて狭い片田舎の事情も、世界に通じている。

だから、結局のところ、今目の前にある物事を1つ1つクリアにしていくことが、必ずそれが世界にまでちゃんと通じていて、今回美山里山舎がお手本を繰り広げてくれていたんやけど、自分の持ち場を真剣に取り組めば取り組む程、ちゃんとそれが世界のお手本になることだってあり得るんだなっていう、実感。

日本はもうダメだから海外へ行こうとか、丹波市はもうダメだからよそへ行こうというのは、やっぱり何か違うと感じるのはこの辺なんやろうな。結局どこいっても一緒やし、逃げたやつはどこ行ってもうまくいかず次またどっかいっちゃうやつになる。

目の前のことに、逃げずに真っ向から勝負する。何より大事。

世界というのは想像以上に広く、狭かった。

総じてほんと、いい旅だった。