故郷意識の根源


午前中、丹波市にUターンしたやつと、元地元である丹波市の為になんかしたいというやつとおしゃべり会。

午前中

丹波市に住んでるおっちゃんおばちゃんじいちゃんばあちゃん達はどう思ってるか知らんけど、元大阪人の吹田市育ちの俺からするとちょっと異常なくらいの人数と熱量やと思いますよ?

この、そういうやつらがいるんだ、ということを、どうにかしてお伝えしたいなぁ。どうにかこうにか。

語弊を恐れずに言うと、吹田市で育ったやつで吹田市に住み続け吹田市で働きたいなんていうやつ、正直皆無に近いし、実際そうなってるやつは数人しかいない。高校の時なんか同級生は400人いたし、中学も250人くらいいたけど。

街中のベッドタウンに住んでると基本住宅以外なんもないし、どこも同じようなスーパーが並んでるからかどこいっても結局同じものがある。その為か別に吹田を離れて尼崎にいこうが西宮にいこうが守口にいこうが門真にいこうが茨木にいこうが高槻にいこうが箕面にいこうが、ただ単にそこにいい条件の物件があったからくらいの理由だけでそっちへいけてしまうし、昔と違って学区も統合されたから別に高校も色んなところを選んでいけるようになった。なんやかんやゆうて街中の高校と高校は距離が近いし電車があるからどこでも普通に通えてしまう。丹波市のように片道1時間半以上かけてチャリで通学なんてことはないのだ。

街中はどこも均一化されてる。行政サービスも行き届いてるから町に対してあれやこれやとする必要がない。だからどこ住んでも大体一緒。違いを見つけることの方が難しい程に。1つの町にこだわる理由を見つけることの方が難しい。

地方は全国どこにでもあるようなチェーン店はコンビニとかくらいしかないし、大半がそこらへんのおっちゃんおばちゃんがやってる個人商店。その個人商店自体には特に思い入れがなくてもあの店のおっちゃん、その店のおばちゃんにはやはり思い入れがあるもんで、店がなくなっていくことが哀しいのではなくて、そこにいた人物が一人また一人と消えていってしまうといった“人”が思い入れの重要な要素として絡んでいるように感じている。元丹波市民の、地元に対しての想いというのは。人ありきで、成り立っている物事がたくさんあるからこそ余計に。

なので、地元に戻りたいとか地元に対して何かしたいという熱量は、地域の人との関わり合いの総和なんじゃないかと思う。
人が絡んでない思い出は実に浅くもろいもんだ。

高田

夕方からは今度12日に行う晩飯屋イベントの打ち合わせ兼メインメニューのお試し仕入れ。
一旦メインは元板前に完全にお任せ。お楽しみに。

夜はまた人権学習会。同じビデオを二夜連続でみるというのもなんだかなあという感じではあるが、南中の方では終わってからの話し合いが妙に続いたのは、やっぱり実際に認知症の人がそばにいて経験値としてもっている人がいるといないのとで、現実味が全然違うんやろうなあと。

その後は松茸山の入札。今年は外しました。残念でございました。