過干渉VS無干渉


夕方、元みんなの家の住人、ふえのみち農園の横山君に家の畑復活の手伝いをしてもらう。

軽く野生化していたうちの畑。
ポチで軽くすいてもらう。しばらく放置して、次回は畝立て。いやあ、ポチあると楽ですなあ、畑仕事も。中古だと10~20万程で手に入るんやとか。一家に一台あってもいいですなあ。まあ、それでも一年に2,3回しか使わないけど。それがね、やっぱアホらしくなる。農機具はもっとレンタルできたらええのになあ。

夜は春日町の辻よしで昨夜の女子大生たちとのお話会引き続き。

元々丹波市出身の子で現在都会で暮らしていますという人や、今丹波市にUターンしてこっちで暮らしていますという人たちのほとんどに共通していることやけど、大体の人が

『丹波市のことが嫌で嫌でしかたなかった』
『二度と帰ってくるもんかという気持ちで外へ出た』

という。この話は前からどこかもやもやした気持ちで聞いてた。自分にはない感覚だなあと。
高校生くらいまでの生活の中で、どうやったら町のことが嫌いになれるのだろうか?
自分の場合を振り返ってみても、どうあがいても町がそもそもそんな対象になり得ない。家を出て、高校へ向かい、そこで生徒や先生と関わり、帰路につく。生活のどの場面を切り取ってみても町そのものとの関わりが無さ過ぎて、町自体が関心を寄せる対象ではなかった。町そのものを認知していないんだから、好きも嫌いもへったくれもなかったというのが正直なところ。

それを、こうしてはっきりと嫌いだったとか、二度と帰ってこないと言い切らせる程に、関わりがあったということが、自分との大いなる違い。

何がそうさせたんだろう?と色々聞いてみると、例えばででてくるのが、

『何か突拍子もないことをやっているとあっちゃこっちゃから出る杭は打たれるじゃないけど注意されまくったりやめるように圧がかかったり世間で悪い噂として広められたりするのが嫌だった』とか、

『どこへいってもどこへいってたかバレるのが息苦しすぎて嫌だった』とか、

『常に人が一緒で、嫌いな人も一緒にせまいコミュニティの中で生きていかないといけないからそれがめんどくさい』とか。

あえて一言で言い表すと、

『過干渉過ぎる環境が嫌だった』

とでもいうべきか。だから街中で暮らし始めるとフリーダムに感じる。関わらないから。マンションに住んでみるとお隣さんのこともギリギリよく知らない、なんていう超絶隔離された感を感じられるほどに干渉がほとんどない。
俺が生まれ育った新興住宅街であればあるほど余計にそうだろう。昔からずっと続いているなんていう行事もない、歴史もない。およそめんどくさいと感じられるほどの付き合いは、自分から手に入れる気持ちがないと手に入らないくらい遠い世界にある。

昔、中学校のツレが吐いた名言がある。

『どんだけ恥ずかしいことしてようが、人から笑われようが大丈夫。もう二度と会わないから』

そう、街ゆく人のほとんどが二度と会わないのだ。特に意識してでもしない限り、あいつ会うの二回目や!とか考えない。それくらい、関係性が希薄なのだ。

自分自身は、町とはほぼ無干渉の中に育ち、今こうして過干渉の地域に暮らす。その中で、確かに息苦しい側面もあったりするが、基本的には心地よい距離感で、妙な安心感も感じながら日々暮らしている。

元丹波出身者は、町と過干渉の中に育ち、無干渉な街中生活がまるで自由に感じられフリーダムを謳歌している。
当初の思惑通り、嫌いになった町には戻らず、街中の心地よい無干渉さに泳ぎつつ人生を豊かに暮らしている。それはそれで、そうなるわなと思う。

ただ、最近のUターン者はというと、過干渉に育ち、無干渉の中で自由に楽しく暮らしつつも、昔の生活が実は過干渉ながらも人の温かみがあったんじゃないかと、街中の冷たさが目立つように感じられたりする人もいる。周囲にたくさん人がいるのに、いない感覚。それに不安を覚えたりする人もいる。

メディア等では、地震や水害等、有事の際にはやっぱり人との繋がりが大事だとかいう。でも、田舎から街中へ出て行った人たちの根本的なニーズとしては、無干渉を望んでいるんじゃないかと思う。

こういうことを考えていると、UIJターンを促進するなんていう仕事に関わっている身からすると、何が正しいのかわからなくなることがある。

間違いなく言えることは、万人に共通する答えは存在しておらず、言い換えると答えは1つじゃないということははっきりしている。全ての人に対応するのはやはり無理がある。望んでいる暮らしが全員違うから。

これは定期的に考察が必要なテーマだなあ。