関西リーダーズキャンプin奈良県吉野 一日目


先日東京で行われたコクリ!の時、齋藤潤一さんに今度奈良でキャンプやるからけーへん?とお声掛け頂き、行きますと即答していた関西リーダーズキャンプ参加の為、朝早くから電車に揺られ集合場所の橿原神宮へ。

知らん人ばっかりかなと思いきや、知ってる顔もちらほらいて。知ってる顔が二、三人いるだけでなんだか仲良しこよしの旅行気分感がグッとあがるのは何故なんだろうかねしかし。

道の駅で休憩を挟んだ後、最初に足を運んだのは徳田銘木さん。
今回、自分としては一番楽しみにしていた訪問先。

徳田銘木さんは材木屋で、どんな材木屋かというと変わったカタチの木を中心に30000点程ストックしている。

通常の材木屋さんやったら一銭の値打もあらへんということで捨ててしまうような木であったり、間伐材として切り倒されてしまうような木を磨いて商品にしている。白蟻に食われた木でも、カビの生えた丸太も商品。こういった木が商品になる、売り物になる、買う人がいるという、これまで誰かが思いつきそうで思いつかなかったこのマーケットが開拓されていくことで、およそ世の中でいう“間伐すべき木”という概念が覆るどころかなくなるくらい衝撃的なマーケット開拓を行っている。これはマジですごい。

30000点もストックしているからこそ、大量発注を受けることができるし、一本二本の注文であれば逆に成り立たないこともあるので日本だけに限らず海外からも注文があるんだとか。世界中探してもこういった変わった木を販売しているところがないから。

山に生えている木を切って、おろしてきた木を製材し、そこから家とか色んな用途で使われていくという流れの中で、全てをワンストップでやってるところはほとんどなく、木を切るのが仕事という具合に分業のようになっていることが大半。
そんな中、山に入っていくいわば木こりさんが、木を切る為に手にチェーンソー持って山に入ればそりゃ、目にうつる木は全て“切るか切らないか”の対象にしか見えなくなる訳で、そこで内装業者やら建築家やデザイナー等、普段山に入らない人達を山へ連れていくことであの形の木をそのまま公園の遊具に活用できないか?とか、あの変わった木の形を活かしてカフェの外装を創れないか?とか、新たな視点が入る。
昔ながらの木を使った家がどんどん建つことがなくなり、床柱もこの30年間程でマーケット自体98%以下にダウンし、山に携わる人が減り、沢山あった材木屋もほとんどなくなってしまったという中、こうした新しい取り組みで存続していく企業はほんとすごいと思う。

『商品を開発して、販路拡大して、用途を提案する。この当たり前のことを当たり前のようにしていった結果です』

という社長の言葉がかっこよすぎた。

社長の案内で近くの山へ。戦後の植林で間伐されずにずっと放置されていた場所。途中で間伐することを前提に植えられていたにも関わらず間伐せずに今に至り、そのことにより地面にまで日光が差し込んでこず下草も生えず、日光が差し込まないことによって木も育たず鬱蒼とし、いつ土砂崩れが起こるかわからない山になってしまっている。と、説明を聞きながらも丹波市のその辺の山よりゆうて整っているあたりも逆にすごい。山の産業がまだ細々とはいえ続いていることが見てとれる。丹波市の方が絶対にやばい。見るからにその違いがわかる。

270年かけて育てられた山はこんな感じ。杉やヒノキが一本一本、めっちゃ太い&めっちゃ高い。ここまで育つのかと感心というか感動すら覚えるレベル。

山に関わる年輩の人は必ずといっていいほど口にされるのは、日本の森は戦後異常なまでに青々と生い茂っている状態であり、戦前までの日本の山はほとんどが禿山に近い状態で、森林破壊もなにも木を使わないと何もできなかった時代が100年も前の話ではないということ。

自分が今30代で、親父世代が60代で俗にいう団塊の世代。じいちゃん世代が今の90歳くらいだとすれば、戦前戦後の山の状態を知る年代はもう90代以上と言える。団塊の世代といえばもう高度経済成長期の日本に突入しているから大きな会社に入ってさえすれば後は年功序列である程度終身雇用で生きていけるなんていう時代でほぼ大多数がサラリーマンで生きていった時代なので山に入っていくなんていう一次産業従事者が数少ない時代に突入していってる為、今田舎の集落において村をどうしていくかとか自治会の山をどうしていくかを考え方向性を決めて運営していっている世帯主世代は60~70代が中心なので、もうどういう状態が正常な山の状態なのかを体験値をもって理解している世代ではないことも、今これまでどこの地域の山も基本放置されて野放し状態になっている一因なんじゃないかとも思う。今の60代、70代は、自分の人生を山に生かされていない世代ともいえる。

この徳田銘木さんの取り組みはとても奇抜で真似できるもんでもないが、山に対する見方、捉え方、考え方はとても参考になり勉強になる点が多々あった。超絶お腹いっぱいに色んなことを知ることができた。

夜は暮すように泊まる宿hanareへ。

入口からものすごい、おばあちゃんちにきました感漂う佇まい。縁側っていいよね。

中に入ってみると見慣れた暖炉が。聞いてみたらやっぱりなんたん暖炉
うちのカフェにも入っているこの暖炉を、まさか吉野でみることがあるとは。びっくり。週明けなんたん暖炉をつくっている美山里山舎の小関さんと遊ぶことになっているのも何の因果なのか。

夜は色んな人とゆっくり話を。印象に残っていることは大きく二つ。

1つは、大学生の子らに自分の過去の社会人生活の話をしていたら、なんだかものすごく絶賛してくれて、その話を聞いてくれてた社会人の人達にも大うけだったこと。話すべき時がこないことにはもうとっくに過去の話であえて自分から話そうとは思わないネタだったけど、それでも人の役に立つこともあるんやなあと思うと同時に、こうして年々、時がたてばたつほど、その過去の話はもっと過去の話になっていって今と関係がなくなっていく。だから、今を生きる田舎の親父世代に対し、昔はどうだったのか?とか、若い頃丹波市(旧氷上郡)はどんな感じだったのか?とこちらが聞かないことには自然に話してくれることはどんどんなくなっていくんだろうし、過去から今にいたる地域のルーツを探る為にはやはり掘り下げにいく意思をもった人間がいないとその今と過去のギャップは埋められないんだろうなという気付きをえた。やっぱどんどん聞いていかないとな。

もう一つは、これまで度々顔を合わせてきたけど、お互いの昔話から今にいたるまでの経緯を聞かずにきていた、京都移住計画の田村君とゆっくり話す時間ができたこと。うまく言葉にできないけど、このタイミングで話せてよかったと思った。

就寝時間は27時頃。力尽きて爆睡。