同じ阿呆ならなんとやら


夕方から氷上町で行われた愛宕祭りへ。愛宕祭りに行くのは三年ぶり。

三年前はちょうど市島町で豪雨災害があった直後で、みんなの家に毎日のようにボランティアさんが泊まりにきていた真っただ中。市内の色んな行事が自粛自粛の総自粛ムードだった最中、愛宕祭りだけはやろうと。なんでも自粛してたらあかんやろってなことで開催が決まり。そこで誰からか忘れたけど、二日目の日になんか店出せへんか?と打診を受け、串焼きを出すことになり。

ボランティアさんにも手伝ってもらって、前日にせっせと串を作ったにも関わらず、当日はひどい土砂降りの雨で、おまけに花火も無理やり雨の中あげたので全部煙の中に吸い込まれていって姿形も見えない、とても災難な日だった。でも、その日居合わせたボランティアさんとはいい思い出話になった。

そんなこんなで今回。
今回はちょっと前に、この愛宕祭りをなんとかして盛り上げていきたいんだというとある地元のおっちゃんから話をもらっていて、どこをどうするもなにも、何より俺知らんしな、と思い、今年はちゃんと全部参加してみて、全体像を把握してみようということで、一日目の夜は練り込みに参加させてもらう。

練り込みというのは、踊りながら街中を練り歩くというもの。
ここで団体ごとに“連(れん)”を設け、~~連をつくって踊り歩いていく。

例えば農協は農協連といった具合。今年は全部で10個くらいとのこと。連の数も年々減ってきているんだそう。まあねー、そうなるんかなあやっぱり。

国際交流連なんかもあって、意外とグローバル。でも、連が減ってる、参加人数が減ってる。若い人が参加しない。踊らない。という現状とのこと。

練り込み後、全員で1時間程盆踊りをする時間があるけど、ここで連が大半帰ってしまうと。なぜなら、連の大半がJAとか信用金庫とか地元の企業による連で、練り込みはやるけど最後まではちょっと、ということになってしまうと。そりゃね、仕事で参加してる(もしくはそう思って参加してる)なら、そうなるかな。そうなるわな。ただでさえ最近残業とかうるさいのに。世知辛い世の中ですわ。

盆踊りの類は、個人的にずっと思ってるけど、

“踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らな損々。”

の次元だと思っていて、やっぱどうせ踊るなら楽しく踊り狂わないとおもしろくないんよなー、そもそも論で。
盛り上げたい、もっと盛大にしたい、と思うならまずは自らがガンガンに突っ込んでいかないと、巻き込みたいと思っている人達がどう乗っかっていいものか様子見してるのに、火つかないと思うんですよ。やっぱり。仕事じゃないんだし。おもしろいからやってるし、楽しいからやってる。その輪を作らないと。とは思う。

国際協会連なんて、外国の人まで連れてきてるのに。もったいないなあと思う。

練り込み以外に、こうした出し物が街中に設置されていて。むしろこっちが愛宕祭りの歴史そのものだそうで。
色んな造り物で道ゆく人を楽しませる、江戸時代から続く大衆芸術。らしい。これもめっちゃええやんって思うんやけどな。少し枠を広げて、日本中から現代アートの作家さんにきてもらって展示してもらったりすればもっとおもしろくできそうなんやけどな。
造り物の定義とかルールとか遵守してもらって。

って、なんだかんだ思いつくけど、結局これって、誰がやるのか?って、やるやつだけ決まれば何もかも動き出すんやろなっていう、よくある“主語は誰か?”論争だな、きっと。やるやつが決まれば万事解決するやつ。だってなんでもそろってるやん、って感じで。切り口も豊富やし。

ってなことをとりあえず、報告しにいこう。楽しい祭りでした。