何を考えているかわからないと言われましても


ドタバタがドピークな連休が過ぎそのまんまの勢いで東京へ。ほんとにまあ、前に連休とったのいつやろうか記憶にない。脳みそが疲れた。

出張というのは何かしら目的があって行く訳やけど、ここ数年、出張というものがなんだか“休息”に近い、脳みそのアイドリング期間のような感覚値があり。そもそもそれどないやねんという気もして、ちょっと生活を根本的に見直さなくてならぬ気もする。

昔からよく周囲に何考えているのかわからないと言われる。ついこないだも。
およそ恋愛的な私的お別れ時に言われるご挨拶No.1の台詞は紛れもなく“何を考えてるんか全然わからない”でもあり、そう言われる度になんだか申し訳ないなぁと思う反面、いやいや絶対無理やで何考えてるかなんて全部把握するんなんか聞けるもんなら聞いてみやがれ、とも思ってる。思ってた、やな正確には。

基本的に率直に物申したい性分ゆえに、聞かれたらストレートに答えていると思っているし、もし回答があやふやなところがあるなら申し訳ないなぁとは思うけど、全部口にして言える気がしないだけ。

自分の脳みその構造自体、中学くらいから変わった気はしないのだが、物心ついた頃くらいから割りかし性能の悪いCPUつんだデュアルコアというか、自分の中に何人かいる感覚があって。その人数は年々増えてる気もする。

自分で自分は多重人格じゃないか?と疑ったこともあるくらい常に脳みそが忙しい訳だが、本当にリアルな多重人格の人を前にした時に自分は違うなと感じた体験と、自分の中に何人かいるというその感覚を深く見てみるとおよそ多重人格とはちょっと違って、

“自分の中の、色んな立ち位置の自分が同時並行で物事を考えてる”

という表現が最も近いという感じで。

性能が悪いというのは、およそその1つ1つの立ち位置の自分が持つCPU的スペックは別に高くなく、世の中にいっぱいいる“頭の回転が早い人”ではない自覚はある。自分より頭の回転早い人めっちゃおるし。

その色んな立ち位置の自分が同時並行で物事を考えてるというのは、例えばどうすれば地方に移住者が増えるか?みたいなことを考えようとなったとして、ってこう書いてる間にフッと今自覚した分だと

◆かつて街中で働いていた時の自分
◆移住相談の仕事してる自分
◆民間企業である自分
◆村のおっさんとしての自分
◆子供がいる親としての自分

くらいがパーっと並行して考えていて。最終的に体も口も1つしかアウトプット先がないから、『あー、』とか、『うーん、』とか口走りながら、どの立ち位置の自分が口火を切るか考えていて、この立ち位置のわたくしはこう、この立ち位置ならばこう、と言葉が順番に整列して出て行く。そんな感覚。

そんな感じなもんで、何を考えているのか教えてと言われても、1つの口から出る言葉だけで伝えられる気が全くしないし、5倍速くらいで話すか5倍話さないといけないし、でもそんなにマシンガンでもし全部口に出せたとしても相手は理解できるのか?とか思うと、もう口にする方がめんどくさくなっていやいやもうええやんとか切り上げてしまう。ややこしくなるともうええわと見切りをつけてしまう。

考えすぎてショート気味になると、猛烈な目眩がするようになったのは20代後半くらいから。かつては処理できてたものが出来なくなってきた側面もあったり。

そんなことだから、人に何か話すことよりも、人の話を聞く方が好き。何より自分が楽やし、逆に人の話を聞いてる方が自分の脳みそが整理されていく不思議。

年々、色んな在り方が増えていくのと同時に歳なのかメモリは減っていく感じがしてきて、昔は即答できてたものが即答できなくなってきたりも多少の衰えも感じてきつつ。これからの自分の脳みそとの付き合い方もうまくやっていかないと衰える一方になってしまいそうな気もするから、ここらで何か根本的に大きな変化が必要なのかなとも思う。

過剰運転気味の脳みそを意図的に落ち着ける方法として30歳過ぎに見つけたのは、

何か夢中になれるものをする(今んとこ漫画読むが一番簡単で最強)か、
ただただ没頭できる簡単な作業をするか(ただただハンコ押すとか)、
こうして何か文章に落としまくるか、
瞑想する(頭の中で呼吸の数数えるとか)か。

最近すぐ脳みそが疲れるから、ちょっと棚卸しを欲している。そういう状態の時に、そういう環境が欲しい時にちょうどいいタイミングで現れるイベントが、今年は明日に。

何考えてるんかわからないと言われる度に、頭の中が見せられるなら見せてやりたいわと思ったり、こうして伝えてみようと言葉にすればするほどなんだか違う気がしてきたり、どれが本当でどれが本当じゃないかとか迷う時期も社会人なりたてくらいの時まではあったけど、そういう時期はとっくに終わってて。

個人的には、相手が何を考えているか(どんな人なのか)は、言葉よりもよっぽど、会ってみた時の印象や、話してる時の素振りや雰囲気、目、癖、匂い(物理的な匂いではなく)等、別に話さなくてもわかる部分の方が口から発せられる言葉そのものよりもよっぽどその人がどういう人かを知る上で信頼できる情報源な気がしてるけど。

かつての生活環境では終電という一日の絶対的な終わりの時間があるし、営業なんかしてたら『手短に』とか『1分でどうぞ』とか言われることが多いから余計に全部が全部伝えられないので優先順位つけて伝えたい、伝えるべきものだけ伝え、時間切れになればそこで終了みたいな現場が大半で、余計に全部伝えることが変な話アホくさくなる環境でもあって。全部話す必要性なんかどこにあるんやろうかと。

それでも世の中には、何を考えているのかさっぱりわからんわと言いつつも普通に接してくれる人達もいて。何考えてるんかわからないのに付き合ってくれるというのはどれだけいい人なんだろうかと笑

そもそもそんな話にすらならず適当に遊んでくれる人もいて。

丹波は終電がないから話したい時はとことん話せる環境があり。時間の制約がないから以前みたいに話を簡潔にまとめる癖がどっかいっちゃってダラダラとりとめもなく話すような感じになっちゃって、ああもう街中の企業に戻って働かれへんわとか思ったり笑

はぁ、なんか出し尽くした気がするので、この辺で。

なんとなくこないだ言われて申し訳ない気がしたので、全力で回答してみました。

夜は前職の本社がある浜松町で知人らと飲み会。懐かしかったなあ。またゆっくりいきたいな、東京タワー。
それにしても、昔に比べて満員電車とかそんなに嫌いじゃなくなった。嫌いじゃなくなったというか、大丈夫になったというか。昔は息苦しくなって真冬でも車内で汗だくになってしまったりしてたこともあった。精神的にまいってたのかな、あんま自覚ないけど。

それだけ平和な毎日を過ごせているってことかな、今は。